表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/30

第8話 沈黙に語らせるもの

 ユリアンからの呼び出しは、前触れなく届いた。


「──至急、王太子殿下より“非公式の面談”を所望されております」


 使者はそう言った。

 非公式──つまり、誰にも報告されない。記録にも残らない。


 リリアは一度だけ頷いた。


「受けましょう。……ただし、私の条件で」


 夜、王城東棟の書庫。

 政務と儀礼の隙間に存在する、誰もが忘れかけた空間。

 ユリアンはそこを“選んだ”。


「珍しい場所ですね」


 そう声をかけると、彼は本を閉じて立ち上がった。


「ここは静かで、余計な耳がない。……それに、君が“言葉を選ばない場所”でもある」


 その言い回しに、リリアは目を細めた。


「では、率直に伺います。殿下。──私を“切り捨てた”その日、あなたは何を思っていましたか?」


 その問いに、ユリアンはすぐには答えなかった。

 窓の外の風が、枝を揺らす音だけが響く。


「……君が、泣かなかったのが意外だった」


「泣いていれば、何か変わりましたか?」


「いや。むしろ“安心した”のかもしれない。──君は、どこかで“それを覚悟していた”ように見えた」


 リリアの指先が冷える。


(それが、正しさ? それが、優しさ?)


「あなたは、私を“信じて”処刑したのですね」


「信じたというより、“選んだ”。その方が傷が浅く済むと思った」


「誰の傷ですか?」


「……君の。──そして、僕の」


 ユリアンは感情をほとんど込めずに言った。


「その日、君が処刑されることで“王家の秩序”は守られた。だが、“僕”は壊れた。

 それが正しいかどうか、まだわからない」


 その声音は、淡々としていて、どこか壊れかけていた。


 リリアは黙って彼を見つめていた。


 ユリアンの語り口に、悔いが混じっているとは思えなかった。

 ただ、それは“取り戻すことができないもの”に対して、距離を保とうとする者の態度に似ていた。


「……私が戻ってきたこと、驚きましたか?」


「正直に言えば、“君が別人のようだ”と思った。

 まるで、剣のような目をしている」


「剣は、ただ突き刺すためだけにあるものではありません」


「……守るため、か?」


「違います。“切り分ける”ためです。

 必要なものと、不要なものを」


 ユリアンの目に、わずかな変化が走った。


「君は、僕を切るのか?」


「あなたが“真実を隠す”というなら、はい」


 応接の間に、静かな張りつめた空気が満ちる。


「セシリアの婚姻に、あなたはどこまで関与していました?」


「……最初は、遊びだった。王妃候補としてではなく、“感情の遊び”として近づいた」


 リリアはまばたきもせず、その言葉を聞く。


「でも、気づいたときには、“周囲が期待していた”んだ。

 君は完璧だった。何一つ間違いを起こさず、誰からも好かれていた」


「それが、あなたにとって何より“恐ろしかった”?」


「……ああ。君に何も与えられないことが、怖かった」


 沈黙が落ちる。

 それは、重さというより、空洞のような余白だった。


 ユリアンはようやく目を逸らした。


「君のような人間に、“許されたい”とは思わない。

 ただ、せめて“理解されたい”とは思っている」


「それは傲慢だと、おわかりですね?」


「……わかってる」


 その瞬間、リリアは自分の中で何かが“切れた”のを感じた。


 怒りでも、憎しみでもない。

 それは、“見切り”だった。


「では、教えてください」


 リリアは声を低くした。


「あなたは、あの日“私が罪人でなかったと知りながら”、処刑に立ち会ったのですか?」


 ユリアンは視線を戻す。

 そのまま、しばらく口を開かなかった。


 それだけで、答えは出ていた。


「……“疑わしきは罰せず”という原則が、王家にはありません。

 “秩序を守るためには、犠牲が必要だ”という原理しかない」


「つまり、“誰でもよかった”?」


「いや、君だったから成立した。君の沈黙が、秩序を保った」


「それは誇りに思うべきことですか?」


「違う。──呪いだ」


 リリアの指が、ひとつだけ震えた。


 怒りではなかった。

 悲しみでもなかった。


 それは、“諦め”の反応だった。


「ならば私は、“その秩序”を焼く側に回るだけです」


 ユリアンが目を伏せる。


「そのとき、僕も焼かれるのか?」


「……あなたは、その火種を蒔いた人間です。

 焼かれる覚悟くらい、お持ちでしょう?」


 静かな笑みを浮かべたリリアに、ユリアンは返さなかった。


 部屋を出る前、リリアは一度だけ足を止めた。


「殿下。あなたに許しを乞われる日が来たとしても、私は決して“肯定”しません。

 けれど、“裁かない”可能性は、残しておきます」


 それは、唯一の情け。

 そして、復讐ではなく“対話”の可能性を捨てなかった証。


 廊下の奥で、レアが待っていた。


「……お疲れさまでした」


「ええ、少し疲れたわ。でも──」


 リリアはまっすぐ前を見据えた。


「これで、“誰が最初に壊れるか”が見えた気がする」


 毒は、もう静かに回っている。


 最初に崩れるのは、仮面をかぶった王子か。

 それとも、“笑顔の聖女”か。


 リリアは、手を汚す準備ができていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ