第五話 カチカチにはならない
「ウォルトさん。ちょっといいですか?」
制作に取り掛かってから丸二日。
睡眠時間を削り、限界の状態でも手を止めることなく。無心で魔法陣を書き写していた。
「―――ウォルトさん。聞いていますか??」
「……悪い。何か用か?」
既に余裕はなく。回らない頭でメリアの問いかけに言葉を返す。
「お疲れのようですね。あ、手は止めないで聴いてください」
中断することも許されない環境に涙が零れそうになりつつ、メリアの話に耳を傾ける。
「無事に販売させてもらえる店を確保することができました」
「流石だな」
たった二日で販売先を確保してくるとは。
「いえ。かなり時間が掛かってしまいました」
「そうなのか……?」
「はい」
十分すぎる成果だとは思うが。
そう感じているとメリアは珍しく毒を吐く。
「十件以上回りましたが、どの店も見る目など持ち合わせていませんでした。一人を除いて」
「そんなもんだろう」
生活必需品でもなく、何かに活かせる道具でもない。
得体のしれない娯楽品を進んで取り扱おうという人の方が珍しい。
「寧ろよくその一人が見つかったな」
「はい。その点に関しては幸運でした。大通りの外れに位地する小さな店で、立地に難はありますが。
店主の目は確かですし、大きな問題にはならないと考えています」
溢れ出る絶対の自信。
メリアがそこまで言うとは。
「なら安心だな」
「はい。あとはウォルトさんに掛かっています」
「そうだな……」
メリアの期待が重い。
だが彼女は最善を尽くした。ならできる限りそれに応えるのが自分の役目だろう。
「よしっ」
気合を入れ直し、魔法陣の書き写しに再び集中していく。
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「終わった……」
積み上げられた魔法陣の書き写しの束に最後の一枚を加え、作業の終了を実感する。
製作開始してから三日目の昼。意識の飛びそうな頭を無理やり起こし、書き写した皮紙をメリアの元へと持っていく。
「これで最後のはずだ……」
記憶が飛んでいなければ、先に納品されているものと合わせて三十個。
人形の調整をしていたメリアへと手渡す。
「はい。これで終わりですね。お疲れ様でした」
品物を確認したメリアが労いの言葉を口にする。
「あぁ。メリアもな……」
「はい。あとは私がやっておきますので―――」
メリアの声が遠くなっていくような感覚。
「―――」
メリアが心配そうな顔をしながら何かを言っている。
他人ごとのようにそんな感想を抱いた瞬間。視界が歪み、一瞬の浮遊感が全身を襲う。
「あ―――」
直感的に理解した身体の限界。
気の抜けた声が漏れ出る。それは意識が途切れることを表す音だったのかもしれない。
「ウォルトさん!?」
心配するメリアの声が部屋に響く中、一人深い眠りへと落ちていった。
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「ん、んん」
そんな声を出しながら伸びをすることで意識が覚醒する。
柔らかなベッドの感触に、久々の纏まった睡眠。疲労していた身体は回復し、気分もいい。
靄が晴れたように思考がはっきりしている。
快調な身体に満足しながら、身体を起こすと。
「あ、起きた!!」
嬉しさに驚きも混じったような声音でティナが声を上げる。
「ごしゅじん! おはよう!!」
「あぁ。おはよう。メリアは?」
前と同じく部屋の中に姿はない。
「おでかけ!」
「そっか。お出掛けか」
言っていた店に向かったのか、他に用事があるのか。
どちらにせよ。この場にメリアは居らず、今は暇な時間ということである。
「やっと読める……!」
こうしてはいられない。
無駄にする時間を一秒でも減らすべく、すぐにベッドから起き上がる。
「ごしゅじん! ぼさぼさ!!」
「そうだなぁ」
寝癖の頭を直す時間も惜しみながら、机の横に掛けていた革袋から黒い魔術書を取り出す。
今日こそ魔術書の謎を解き明かす。そう息巻いて魔術書を開くと、
「なんだこれ?」
挟まれていたのか、一枚の紙が机の上に落ちた。
折り畳まれていた紙を開き、中の文字へと目を通す。
筆跡はメリアのもので間違いはなく。
中身は次の仕事について記されていた。
「あー、休暇が欲しい……」
切実な願いが口から零れ出る。
「…………」
サボって、メリアが帰ってきた直前に起きたということにしておこうか。
そんな名案が思い浮かび、一度深く考える。
第一にメリアはこの場に居ない。置手紙を残しているぐらいだから、それなりに時間は掛かると見て良い。問題はいつ出ていったのか。出かけてから時間が経っていてはサボれる時間は少なく、バレた時のリスクとリターンで釣り合いが取れない。
「ティナ。メリアはいつ出かけたんだ?」
「さっき! 一緒にごはん食べてから行ったよ!」
「そっか!! ご飯は美味しかったか?」
「うん! すごくおいしかった!!」
満足そうなティナの返答により、問題がないことが裏付けされた。
他に何か障害はあるだろうか。否。誰だろうと我が探求を止めることなどできやしない。
許せメリア。
そう心の中で呟いてから、魔術書を読み始めた。
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「……ふむ……」
一つ一つの術式が複合することで未知の術式となる、ということは魔術の世界に於いてままある。
しかし、ここまで複雑で且つ、他の文献の知識と照らし合わせても未知であるというのは非常に珍しい。ティナと出会った時、推測していたのは術式の系統は座標の移動。だがティナの言動や術式作動の手応えから、座標の移動というよりも新生、或いは発生に近いような気がしていた。
その推測を確信に変える為、魔術書に再び目を通しているが。書いてあることは中央に穴の開いた魔法陣。他の頁には古代文字で書かれた細かい部分の術式構築のやり方や誰に向けて書いたのか分からない誤情報だけ。術式の理論の一つでも書いてくれていれば紐解けるのだが……。
現状、大した成果はなく。時間だけが嘲笑うように過ぎていく。
「ごしゅじん。ひま~!」
流石に人形に飽きてきたのか、ティナが一人で遊ぶのをやめて背中へと圧し掛かってくる。
「それ、おもしろい?」
圧し掛かりながら横から顔を出したティナは、手元の魔術書に興味を示す。
「気になるのか?」
「うん」
「そうかそうか。凄く面白いぞ~」
「見たい!」
魔術書に興味を持つとは見る目がある。
「いいぞ」
「やった!」
そうしてティナに魔術書を手渡すと、食いつくように読み始めた。
通常の魔術書を知識のない子供が読み解くのは不可能。だが、魔術書の術式によって現れたティナなら、或いは……。
そんな期待を胸に様子を見守っていると、すぐに魔術書は帰ってきた。
「わかんない」
「少し難しいからな」
「どこがおもしろいの?」
「うーん」
どう面白いか。言語にするのは意外と難しい。
未知を既知に変える。術式や理論の美しさ。それらを自身の知識として蓄える面白さはあるが、ティナでも分かる面白さの伝え方。
「この魔術書は、ティナと俺やメリアを繋いでくれた本なんだ」
「そうなんだ。すごい本だね!」
「凄い本だよ」
だからこそ面白い。
この本に記された術式の意義や意味。制作された意図までも理解することができた日にはティナが何者なのかも分かるはずだ。
その為にも早く読み解かなくてはならない。そう思っていると。
「そうですね。凄い本だと思います。挟んでいた紙で伝えた仕事よりも優先してしまう程ですから」
「ひっ」
背後から放たれる怒気を孕んだ冷たい声。
驚きと恐怖のあまり心臓を掴まれたような錯覚すら覚える。
「あ! おかえり!!」
「ただいま。いい子にしていましたか? ティナちゃん」
「うん!!」
元気よく返事するティナの頭をメリアが優しく撫でる。
「流石です。偉いですね」
「えへへへ」
満足そうな笑顔を浮かべるティナと対照的に、メリアの眼光は鋭く。
ティナと話している時は笑顔なのに、こちらを見る瞬間だけ目が笑っていない。
「ティナちゃんでもいい子にできるのに、どうしてウォルトさんは書いてあった仕事一つやれていないんですか?」
「待て。悪かった。一旦、話をしよう。な? だから剣を握ろうとしないでくれ」
部屋の片隅に立て掛けていた魔剣へ、手を伸ばそうとするメリアを急いで呼び止める。
が、止まることはなく。
「……やっぱりその魔術書なんです。全ての元凶は」
そう言ってメリアは剣の柄を握り、鞘から剣をゆっくりと抜いていく。
「その魔術書があるから追われるんです。その魔術書さえ消してしまえば……」
抜き放たれた刀身から冷気が漂い始め、部屋全体の温度が急激に下がっていく。
「待て待て待て待て。これは依頼者のだ。落ち着こう、な。疲れてるんだよ」
「確かに疲れています。誰のせいだと思ってるんですか」
間違いなく全ての元凶は自分にある。
暴走しつつある彼女を止める権利を俺は持っていない。
だがどんな理由があれ、魔術書を所有者の断りもなく処分するのは自分の中の一線を越える行為だ。
「すまない。そこに関しては全面的に俺が悪い。それは認めるし面倒を掛けてる分、感謝もしている。
だが、今やろうとしている行為だけは看過できない。悪いが俺も全力で抵抗させてもらうぞ」
メリアの刀身に魔剣特有の予備動作が一瞬でもあれば即座に拘束術式を発動させる。
それでも収まらないようなら強引に気絶でもさせて、一人でこの街を去るとしよう。
恐らく狩人が追っているのは俺一人と魔術書だけだろうから。
そんな未来についての思考は、メリアが剣を鞘に納めたことで意味をなくした。
「はぁ……わかりました。
言いたいことは色々とありますが、働かせ過ぎたのも事実です。お互い水に流しましょう」
「良かった。ここまで苦労を掛けさせて悪かったな」
「仕方ないです。事情が事情ですから」
大事には至らず、無事収束してくれたことに安堵していると、いつの間にか端へと避難していたティナが戻って来た。
「ごしゅじん。カチカチにならないの……?」
「ならないよ」
「え……」
「なんでちょっと残念そうなんだよ」
ティナの反応に納得がいかないまま夜を迎え、その日はお互いの労いを兼ねて少し豪華な食事をしに行くこととなったのだった。