第四十五話 古き盟約の継承者
「――ルトさん! ウォルトさん!」
身体を揺すられ、意識が覚醒する。
「ここは……?」
「ここ、って……何がですか?」
どこか聞いたことある会話に、一瞬背筋が冷たくなる。
だが同時に、確かな安堵もあった。
「いや、なんでもない」
お狐様との邂逅は、はっきりと覚えている。
幻術に囚われている感覚もない。ならば、ここは紛れもなく現実だろう。
そこまで理解が及ぶと、次に気になったのは。
「……コハクは?」
問題ないと信じてはいる。だが、気掛かりにはなる。
視線をメリアから、制御門の前に佇む少女の背へと移す。
「さっきのウォルトさんと同じで、意識がないみたいなんです。
いったい何があったんですか?」
当然の疑問をメリアが口にした。
「夢の中で、お狐様に会った」
「お狐様にですか……」
メリアは小さく呟き、コハクに目を向ける。
そのとき、ふいにティナが周囲を見渡しながら言った。
「あれ、霧が……?」
「晴れてきましたね」
そして、次の瞬間。
「ッ――!?」
メリアが息を呑み、裾を引かれる。
「なにか―――」
振り返り、見えた光景に言葉が喉で凍り付いた。
声が出ない。いや、上げてはならない。
地面を埋め尽くす、無数の眼。無音のまま、ただこちらを見つめる群れ。
それは記憶に刻まれた眷属の幻影。以前の戦いを呼び起こす、悪夢そのものだった。
「何故ここに……!? 幻術は、終わったはずだ」
理解が追い付かない。
だが今、理由を推測している時間などなく。
今はただ、どう生き残るかを考えなくてはならなかった。
「私が道を切り開きます! ウォルトさんは、ティナちゃんとコハクさんを!!」
魔剣を抜くメリア。
その姿に嫌な記憶が蘇る。
あんな事は二度と繰り返してはならない。
「俺が切り開く。メリアが二人を連れて行ってくれ」
最善ではない。だが最も犠牲が少なく、そして可能性が残された手段。
それを信じて口にするが、返ってきたのは即答だった。
「馬鹿なことを言わないでください」
一蹴された。
「この状況で、ウォルトさんに何ができるというんですか!?
少なくとも魔剣がある分、私の方がまだ戦えます」
正論だ。それでも、譲れない。
脳裏に刻まれた光景。魔剣を振るうことすら許されなかった彼女の末路を見てしまった。
ここで任せることは、彼女の死を許容することに他ならない。
「ダメだ。俺がやる。それにメリアが二人を運んだ方が早い。
頼む……俺に任せてくれ」
「……どうして、そこまで……。わかりました」
不満と戸惑いに眉を寄せながらも、それ以上は問わず、彼女は頷いた。
覚悟を決める。
既に一度経験している。眷属の配置、展開、反撃の予測。
その全てを並列し、対抗術式を構築する。
「よし」
そう呟き、一歩踏み出した――その瞬間。
「――え……?」
殺気が霧のように消え、眷属たちが一斉に跪いた。
異常な光景。異様な様子に、ただただ呆気に取られる。
理解が追い付かず、立ち尽くしていると、背後から静かな足音が響く。
「わぁ……」
振り返ったティナが思わず、声を上げる。
そんな彼女につられるように、振り返ろうとすると一人の少女が横を通り抜けた。
靡かせた黒髪と白き装束。黒い八本の尾、そして月光の如く輝く九本目の尾を揺らす狐族の少女。
「コハク……?」
間違いなく、彼女のはずだ。
だがその背に漂うのは、確かにお狐様の気配だった。
「在りし日の影よ。大義であった」
眷属たちは頭を垂れたまま、彼女の言葉を享受する。
「ここに誓う。今は亡き先代に代わり、妾が盟約の担い手とならんことを。
来るべき刻、我らが命運、主らと共にあらん」
先頭の眷属が頭を上げ、彼女の言葉に満足したように頷いた。
すると穏やかな表情を浮かべ、口を微かに動かし、
「―――」
「……ふっ。善処しよう」
コハクの返事を聞き、眷属たちは徐々に輪郭を失い始めた。
やがて痕跡すら残すことなく静かに霧散していったのだった。
--- ---
「コハクちゃん……?」
眷属の霧散を見届け、なお背を向けて佇む彼女へと、ティナがおずおずと呼びかける。
「なんじゃ?」
振り返ったコハクの装いは変われど、かつての彼女に相違なく。
ティナは近づいて来るコハクに、目を輝かせながら問いかける。
「コハクちゃんきれい! この服、どうしたの!? なんで白い尻尾が増えてるの!?」
興味津々のティナに押されつつ、コハクは何かを思い返すように視線を逸らして答えた。
「何故かと問われれば、返答に窮すが……そうじゃな。
お狐様と契約を結んだから、ということになるかの」
「「えっ」」
思わぬコハクの回答に、メリアと揃って同じ反応を返してしまう。
「待ってください。お狐様と契約……?
最後の制御門を奪取しに来ていたのではなかったんですか?」
状況についていけず、もっともな疑問を口にするメリア。
それに対し、
「うむ。制御門を奪りに参り、実際に奪取した。
それが、お狐様の目に叶ったのかもしれぬな。結果、契約を結ぶ運びとなった。
妾はそう解釈しておる」
コハク自身、正確に把握できてないからか、推測するように語る。
「少しだけだが、俺もお狐様と話したしな。契約なんてこともあり得るんだろう」
あの時、お狐様はコハクについて。才無き者について問うていた。
あれはきっと、コハクを見定める為だったのだ。契約を結ぶに足る者であるかどうか。
結果、こうしてコハクが契約を結んでいる以上、お狐様の期待には応えられたということだろう。
「……そんなことがあったんですね。驚きましたけど、ひとまずお二人が無事でよかったです」
「あぁ……」
メリアのそんな言葉を耳に、コハクへと視線を移して湧いていた疑問を投げかける。
「ところで、気になっていたんだが。
その尾、どうなっているのか見てもいいか?」
白く、ひときわ存在を主張する彼女の尾を指さすが――、
「ウォルトさん……?」
メリアの冷たい声が耳を撫でた。『次はないですからね』――そう言われた記憶が脳裏を過る。
「ま、待ってくれ。これは、その……あれだ。見るだけ! 見るだけだから!」
「本当ですか? 触りませんか?」
「あぁ、触らない。それなら、問題はないはずだ」
未知の塊のような存在が目の前にあるというのに。触れることすら許されないのは、お狐様の幻術に匹敵するほどの悪夢だ。とはいえメリアに魔剣を向けられては敵わないため、諦めるほかない。
「それなら、まぁ。コハクさん、ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」
「見るだけであれば、幾らでも構わぬが」
そう言って体勢を変え、コハクが九本目の尾を見せる。
「これが……! なるほど……ッ!!」
美しい毛並み、手触り。一見すると他の尾と同じ回路だが、その本質は別にあり、端々からお狐様の術式の片鱗を垣間見――、
「ッ~~!!」
「ぶふぇッ……!」
コハクの声にならない声が漏れたのと同時に、後頭部に固い何かが直撃した。
言うまでもなく、魔剣の柄である。
「すみません。本当に」
「よ、よい。それよりも、死んではおらぬか……?」
コハクの心配そうな声を耳に、硬い地面の感触を全身で味わいながら、仰向けになって空を見あげる。
澄み渡った青空だ。雲一つ無く、制御門の騒動など嘘だったかのような景色だ。
そんなことを思いつつ見上げていると、覗き込む影が二つ。
「ごしゅじん、大丈夫??」
「あぁ」
心配するティナの声に答えつつ、視線を横に逸らす。
すると、そこには薄い茶褐色の小動物、狐が居た。
「あ、狐さん? また会ったね!」
そうティナが口にすると、狐は一瞥し踵を返すように、何処かへ駆け去っていった。
小さな背に、似合わぬ影を微かに残して。
こうして、この日。幻影都市で起きた騒動は静かに幕を下ろしたのだった。




