第四十四話 幻影都市の主
〈コハク視点〉
「ーーまた、か」
意識を取り戻すと目の前には、先ほどと寸分違わぬ光景が広がっていた。
「……」
既に二度、この場で死を味わった。
一度目は、眷属に為す術なく蹂躙され。
二度目は、幻覚と見抜いた上で思考を巡らせていた最中に、背後より刺し貫かれた。
二度に渡る死の体験など悪趣味極まりない。だが、悠長に思考を巡らす暇がないのも、また事実。
幻覚の最中にあるというのなら、同じ幻術を以て打ち破るのが道理というもの。
「才も技量も、凡てに於いて及ばぬ相手……
されど抗わねば、この輪廻にも似た繰り返しは止まらぬのじゃろう」
勝算など、皆目見当もつかぬ。
奇策、小細工が通用する訳もなし。
幻影を司る獣神と同じ土俵で相まみえる覚悟を決める。
「……魔術とは、総じて干渉するものに干渉される性質を持つ、であったか」
その理を適用すれば、この幻術も例外ではなく。
「なればこの幻もまた――干渉され得るという理屈になるじゃろう」
そう呟くや、尾を広げ、全ての回路を同時に起動する。
術式が始動し、全身へとマナが駆け巡った。
「妾とて、この二年、ただ忙殺されておった訳ではない」
為すべきを為し。積むべきを積んだ。
劣る者としての自覚、そして悔恨が、否応なく研磨を強いた。
「……掴んだ!」
繰り返される世界の中心、すなわち核たる術式へと手を掛ける。
後はその核へ触れ、術式そのものを書き換えればよい。
――ただそれだけ、なのだが。
「なんという術式強度じゃ……」
触れた瞬間、体内に巡る術式が押し返されるような感覚に、思わず息を呑む。
これが獣神たるお狐様の力……。
借り受けていた時よりも強大に思える。
「……寧ろ、これが本来の力というべきなのじゃろうな」
到底、及ばぬ境地。
身に染みるその差に、諦観のような想いが胸を埋めていく。
どうあっても、抗いきれない。
理解していた。理解していたつもりだった。
それでも――何処かで期待していたのだろうか。
欠落した己でも、母様のようになれると。
兄様のように武芸に秀でなくとも、せめて幻影だけは誇れるようにと。
「……悔しいのう…………」
届かない。及ばない。
全て、否定されるかのように。
掴んでいたはずの術式の核から、あっさりと弾かれる。
直後、
「くッ……!?」
鋭い痛みが背中を貫いた。
冷たい剣身が胴を突き抜ける感触に、全身が悲鳴を上げる。
時間切れ。そう告げるように、世界が、暗転しかける。
「……それでも!」
倒れそうになる身体で、なおも食いしばる。
最後の力を振り絞るように。
幻覚で倒れようと次はある。だが今、踏み止まらなければ、次もまた踏み止まれぬ。
そして何より、刻限を定められるのが癪だった。
「……現実ならば即死じゃろう。だが、ここは幻覚……!」
一矢報いたと勝ち誇るようにそう口にするも、ふと、違和感が過った。
二度目の死は、踏み止まることすら叶わなかった。であらば、此度と何が異なるのか。
強い意志を持ったことか? 否。
「これは……」
気付けば、全身が熱を帯びていた。
痛みによるものではない。
術式が、胎動している。
「――そうか。幻覚を、僅かながら塗り替えたのじゃな」
刺し貫かれた瞬間。無意識のうちに、体内の再構築を行っていた。
結果、致命の傷は、ただの外傷へと置き換わった。
同じ幻術の中だからこそ、為せた業であろう。
『実体と虚像かなんて、認識の差でしかないと思わないか?』
かつてのウォルトの言葉が、今になって脳裏を過る。
「……荒唐無稽な話じゃと思っておったが」
幻覚は妾一人の世界。
故に妾が実体と認識すれば、それはこの世界にとっての真となる。
「ならば、術式を書き換える必要などない」
己が幻を、新たな世界として押し通すだけ。
「この現実を、置き換えるまでじゃ」
尾を広げ、無意識下にあった再構築を基軸に、己が領域を拡張する。
貫いていた剣は塵のように消え、天守も制御門もその輪郭を失っていく。
代わって現れたのは、ただの草原。一本の木が佇むだけの、ただの風景だった。
新たな世界として再構築されていく、その途中で世界が唐突に抗った。
「っ………術式の核か? いや――お狐様じゃな!?」
再構築の及ばぬ境界の向こう、白き少女が姿を現す。
「――見事、そう評するには尚早。資格が足りぬ」
少女が左手を掲げた瞬間、世界の反発が激化し、再構築したはずの領域が押し戻される。
「くっ……!」
世界と世界の衝突。単純な出力勝負になれば敗北は必定。
「このままでは……」
模索せよ。打てる手は他にないか、或いは見落としはないか。
思索せよ。掴んだ機会を棒に振るな。
「――期待を背負った者とて、やはりこの程度。
所詮、人の子の青さに過ぎなかったか」
何処か遠くを見るような眼差しで、白き少女が呟いた。
人の子とは誰の事だろうか。意味を推察する猶予はない。
だが恐らく、彼のことだろうとなんとなく理解できていた。
「期待、か……」
才を欠いた者にとって、それは常に重荷であった。
投げ出したかった。逃げ出したかった。
ただそれでも、立場がそれを許すことはなかった。
いつか家族が帰ってくると信じて――。
そんな中、役割や責務に対してではなく、純粋で真っすぐな期待を向ける者が居た。
『それで思ったんだ。コハクにもできるんじゃないかって』
最初は困惑した。才の欠如を前提とせず、対等に向き合ってくれた彼の期待が心地よかった。
そんな彼の期待に応えたいと思ってしまったのだ。
「………幻影には、まだ先があるんじゃったな」
曰く、実体を持つ幻影だと云う。
虚像は中身が無いからこそ虚像。ならば、中身を術式で再構築して与えてやればいい。
「世界を騙し、虚像は実体となる」
広がる八本の尾。その中心に、持ち得なかった九本目の尾が顕現する。
白く、強く、輝きを放つそれが、回路に眠る本来の出力を呼び覚ます。
「――はぁッ!!」
全出力を解放し、再構築の波が少女の世界を押し戻し、そのまま吞み込んだ。
「……見事」
押し切られた少女が、目を見開き、ぽつりと呟いた。
「其方は、己が力を示した。よって資格ありと認めよう」
「わっ」
ふと転移するように少女が眼前に現れ、思わず声が漏れ出た。
「まるで鏡を見ておるようじゃ……」
白い少女を見つめながら、そう独り呟く。
「其方の姿を借りておる」
「……不思議な感覚じゃのう」
それから少しして、少女は再構築された世界を静かに見渡した。
「草原、とはな」
「……なんでもない、ただの風景じゃよ」
「其方が一番、よく分かっておろうに」
それきり少女は沈黙し、こちらを見つめてくる。
そんな彼女に抱いていた疑問を、ぶつけることにした。
「察しはついておるが、資格とは何に対するものか、訊いておこうかの」
「察しの通り。我と契約を結ぶ資格だ」
「ならば確認じゃ。契約の仔細を語ってもらおう」
「よかろう。この都市の成り立ちと、盟約について話そう―――」
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「――斯様な歴史が紡がれておったとはな」
「我は盟約の為に、其方はこの都市の為に」
「ならば、契約を結ぶこと、此処に誓おう」
その瞬間、静かに風が吹いた。
雲が流れ、草原の一角に柔らかな光が差し込む。
――こうしてこの日、長らく不在だった幻影都市の主が新たに誕生した。




