第三十六話 対策不能の追跡者
「…………うっ」
全身に広がる倦怠感に声を漏らしながら、意識が覚醒する。
瞼が開き、視界に見覚えのある天井が映り込む。
「帰ってきたのか………」
幻影都市の滞在で宿泊していたコハクの所有する屋敷。
こうして無事に運び込まれていることから、大森林での問題は概ね解決したと考えていいだろう。
そんな推測をしながら敷布団から起き上がる。すると、
「ごしゅじん………?」
横からティナが声を上げながら、起き上がった。
その横にはメリアが寝息を立てていたため、指を立てて静かにするよう合図を送る。
意図が伝わったのか、静かに頷くティナ。
そうして部屋を出ようと再び合図を送り、メリアにそっと掛け布団を掛けてから一緒に外へ出る。
「…………ふぅ」
メリアを起こさないよう細心の注意を払いながら襖を閉め、息を漏らす。
すると、
「ようやく目が覚めたようじゃのう?」
「ッ―――!?」
思わず悲鳴に似た声を漏らし掛けたが、すんでの所で留まり、後ろの声の主へと視線を向ける。
そこには見慣れた狐族の少女の姿があった。
「驚かさないでくれ」
「何やら面白そうなことをしておると思っての?」
「脅かして楽しむことより、面白いことはしてないな」
「まぁ、そう言うでない。無事、回復しておるようで何よりじゃ」
そう言ってコハクは視線を上下に動かし、改めて俺の身体を確認した。
「回復って、確かにあの時は限界だったが………」
若干の違和感というべきだろうか。
疲労と身体の軋み以外に大きな外傷はなかったはずだ。
そんな認識のズレを察するようにコハクが口を開く。
「なんじゃ? お主、己の具合も把握せずに無茶しておったのか?」
信じられない馬鹿を見るような表情でこちらを見てくる。
「二日も昏睡していた上に、骨折を始めとした怪我の見本市の様じゃったというのに」
「…………」
明言されて初めて思い当たる節もない訳でもないが、それ以上に訊きたいことが浮上した。
「ビャクヤはどうなったんだ?」
「………一命を取り留めはした。が、いつ目が覚めるかは分からぬそうじゃ」
「そうか」
一命を取り留めたという話に胸を撫で下ろしつつ、未だ目覚めないビャクヤに会話が少し暗くなる。
「じゃが、いつかは目覚めるじゃろう。今は大森林でのお主らの話が聞きたいのう?」
「了解だ。行こうかティナ」
「うん!」
場所を変えるべく、踵を返したコハクの背中を二人で追いかけるのだった。
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「―――という感じが、俺たちがあの場所で経験した全てだな」
大きな机を挟み、用意されたお茶菓子などを摘まみながら、大森林に転移した経緯も、ビャクヤと協力していた理由も、ミズチと戦っていた訳も全て隠すことなく説明した。
「なるほどのう」
「何故、転移先が大森林だったのか。何故、ティナを狙っておったのか。謎は残るが、大まかな経緯は理解できた。我が兄に協力して頂いたこと、感謝を述べるほかあるまい」
そう言ってコハクは改めて頭を下げる。
「いや、いいんだ。こっちもビャクヤには危ない所を助けられた」
あくまで恩を返す為、そして幻影都市に無事帰る為の見返りを求めた行為でしかなかった。
故に深々と感謝を述べられる理由もなく、コハクに頭を上げるよう促す。
「であったとしてもじゃ。妾にとって、兄の命を救って貰ったことに変わりはない」
頑として感謝の念を口にするコハク。
その瞳はいつになく真剣なもので。
「まだ為さなければならない問題こそ残っておるが、現状の功績だけでもお主らのことは無下にはせぬと約束しよう」
「それって―――」
以前、話した利害関係のことだろうと理解する間もなく。
突如、床を叩くような激しい足音が鳴り響いたかと思うと、勢いよく襖が開け放たれた。
「師匠が起きたって、ほんと!?」
紅い髪を靡かせた少女が肩で息をしながら、そう口にする。
「忙しないのう。ほれ、そこにおるじゃろ」
対面に座るコハクは湯呑を口に近づけながら、来訪者へと答える。
そして視線はコハクからこちらへと移り、
「師匠………! 大丈夫って分かってたけど、無事でよかったぁ」
「待て待て」
そう言って抱き着こうとしてくるダイナを制止し、少しだけ距離を置く。
相変わらず距離の近い彼女に困惑を隠せないでいると、ダイナは悲し気な表情で懺悔するように口を開いた。
「もしかして、怒ってる……?」
「ん? いや、そうではないんだが」
「あの術者を取り逃したから? ごめんなさい。まさか逃げられるとは思ってなくて」
叱られる子供のような声音でダイナはそう謝罪を口にするが、その内容が衝撃過ぎて頭が混乱しそうになる。
「え、ちょっと待ってくれ。逃げた? 誰が? まさか戦っていたのか?」
「え、うん。師匠を大森林に連れて行った術者のことだけど」
さも勝利は当然であり、逃がしてしまったことは恥であるかのように答える少女に気が遠くなる。
何故か距離感が近くて忘れつつあったが目の前の少女は確かに、魔術王国執行部隊・狩人の地位を持つ魔術師なのだと再認識させられる。
「………戦ってみてどうだった?」
「うーん。古代魔術に明るくないから、師匠ほど上手く分析はできないけど。それでもいい?」
「あぁ。ダイナの率直な感想が聞きたい」
魔術王国でも屈指の実力を持つ彼女の感想は何よりも貴重な情報となるはずだ。
「不自由さを感じた、かな」
「不自由さ?」
「うん。魔術はもっと自由で、もっと自在なものなのに。何かに囚われている、或いは重大な何かが足りていないって感じがした。本人の技量不足なだけかもだけど」
「何かに囚われているか……」
転移魔術を駆使する術者が技量不足なんてことがあるとは思えない。
素直にダイナの言葉を受け止めるなら、何かしらの制限のようなものがあったと考える方が妥当だろう。
そんな状態でもメリアと二人掛かりで抑えきれなかったのだから、クレディウスの実力の高さが伺える。願わくばそんな彼と古代の魔術について話し合いたかった所だが、今はもう叶わない願いだ。
そう一人悔やむ気持ちに浸っていると、コハクが建設的な話へと一歩会話を進める。
「して、魔術を専門とするお主らは、転移魔術を持つ敵を相手に如何なる対策を講じるつもりじゃ?」
「………」
転移魔術。話には聞いたことがあったが、実際目にするのはあれが初めてであり、その厄介さは身を以て体験した。あれがある以上、クレディウスは神出鬼没であり、打ち倒すことも困難である。
「一応、事前に話は聞いていたから、対策はしたけど不発だったのよね」
「どう対策したんだ?」
「術式を機能不全に陥らせる魔術。あれを使ったの」
「あーー」
言われて思い出す、ダイナの火の粉。
確かにあれであれば効果は期待できそうだが。
「不発というのは?」
「文字通り効果がなかったわ。他の術式には作用していたみたいだから、考えられる理由は二つ」
そう言いながら、ダイナは指を立てて説明していく。
「一つ目は元々、用意された術式だった。或いは、何かしらの補助を得た術式だったか」
「なるほどな」
ダイナのその言葉と過去の経験である程度の理解ができた。
恐らく彼女の術式阻害は元々構築されていた術式には効果が薄いのだろう。そして最大の弱点が、補助を得た術式にも効果が薄いこと。これは杖やスクロール等、道具の補助を指していると予想が付く。
「二つ目は?」
「二つ目は効果範囲外からの起動」
「というと?」
「簡単に話すと術式阻害が届かない距離なら、起動できるよねという話なんだけど。師匠が聞きたいのはたぶん、転移魔術による空間歪曲に関する方よね?」
静かに頷き、ダイナの話を促す。
「起点が効果範囲内なら起動はしないはず。それでも起動したなら、考えられるのは効果範囲内が終点だった場合。これだと、起点は効果範囲外からとなり、影響は受けない」
「どういうこと?」
魔術の話ということもあり、静かに耳を傾けていたティナが疑問の声を上げる。
理解しようとする意欲的な姿勢に嬉しくなりながら、ティナへ解説していく。
「つまりだ。効果範囲内のこの部屋側からこの襖を開けられなくても、効果範囲外の隣の部屋からなら開けられるよねって話な訳だ」
「あ~! わかった!」
理解できたことが嬉しかったのか、目を輝かせるティナ。
具体的な例えを出すことで、より自分の認識も深まった気がする。
そしてこの例え通りなら、
「クレディウスは自動的に転移魔術を起動できる可能性があるということでもあるのか」
転移魔術の自動発動など考えたくもないほど厄介な可能性であるが、浮上した以上考慮せざるを得ないだろう。
「協力者が別にいる可能性はどうじゃ?」
可能性として、コハクが挙げるが。
「その可能性は薄いと考えて良いかも。王国側が把握している情報として、単独犯であろうというのもあるけど。なにより、目的遂行に支障が出てるのに出張ってこない仲間がいるとも思えない」
「それもそうじゃな」
確かに幻影都市全体を混乱させる程の作戦であったにも関わらず、最後の最後まで協力している雰囲気ではなかった。
問題は依然として山積みだが、協力者が居ないと分かっただけでも心は少し軽くなった。
そうして様々な対策案を出し合っては没になるのを繰り返し、数刻の時が経ったころ。
ダイナが終わらない対策会議に終止符を打つような案を口にする。
「いっそのこと、復元術師に頼んでみるのもありかもね」
「ふくげんじゅつし………?」
ティナが反芻しながら、頭を傾げる。
「復元術師は使用された魔術の再構築。つまり復元を専門とする人たちのことよ」
「そこまでは理解できるが、依頼してどうするんじゃ?」
転移魔術の対策にどう関係するというのか。
そう訝し気にコハクは問いかける。
「転移魔術への明確な対策法など、現時点では存在しない。
それも古代魔術が関連しているなら、なおさら」
実質的な結論。それを明確に口にするダイナ。
そして彼女は―――、
「対策できないなら、大元の原因を叩いてしまえばいい。そうじゃない?」
不敵な笑みを浮かべ、存在しないはずの解決法を口にしたのだった。




