第三十一話 片鱗と矜持
「―――じん…………しゅじん…………ごしゅじん!」
朦朧とする意識の中、聞こえてくる子供の声で少しずつ現実へ覚醒していく。
「…………うっ……」
動こうとすると全身に激痛が走る。
身体は重く、脳を直接殴りつけられているようだ。
どうにか痛みを逃そうと身を捩るが背中に当たる地面の感触は硬く、それでいて泥交じりで気持ちが悪い。
「…………何があった……?」
ようやく思考が痛みから解放され、現状の把握へと進展する。
「ごしゅじん……!」
「いっ……!」
涙を浮かべるように抱き着いてきたティナに悶絶しながら、気を失うまでの記憶を呼び起こしていく。
畳みかけていたはずが思わぬ反撃を受け、咄嗟の防御魔術が間に合うかというところで―――、
「そうだ! ミズチは!? ビャクヤはどうなった!??」
全身の悲鳴を無視し、無理やり身体を起こして辺りの様子を見回す。
一帯を取り囲む水の壁、姿の見えないビャクヤ、そして―――、
「なんだあれ……」
ミズチが居たであろう場所に巨大な水の柱が竜巻のように渦を巻いていた。
間違いなくミズチの仕業であろうが、問題は何をしているのか。
見た所、気を失ってから時間が経っていないようだが、
「…………ミズチはあの中か?」
囮の可能性も考慮して、ティナへと問いかける。
「うん! 水がぶわって出てきて見えなくなっちゃったけど」
「そうか。ありがとう」
何故、移動しなかったのか。今、何をしようとしているのか。
新たな疑問は増えたが、一歩進展したと考えるべきだろう。
そしてそこまで考えると、次の選択を迫られる。
取り返しが付かなくなる前に叩くべきか。それとも今度こそ逃げるべきか。
「どうする……考えている時間はないはずだ……」
様々な憶測が頭の中で浮き上がり、どう行動するべきか分からなくなってくる。
逃げたい。逃げるべきだ。ここで命を捨てる理由はない。
賢明な判断を下す為の理由はいつの間にか、生存への渇望に変わり、思考はそれを肯定し始める。
「ティナ、逃げるぞ……」
「…………うん」
零れ出た言葉は再度、心へと問いかける。
本当に逃げていいのか? 共に戦ったビャクヤを見捨て、幻影都市を見捨て、逃げるのか?
焦りに対し、俯瞰したような理性が生存本能へ問い続ける。
迫るミズチと執拗に追跡してくるクレディウスを相手に誰の力も借りず、大森林を抜けられると本当に思っているのか?
避けられない問題から目を逸らした所で意味はないと。最初から分かっていたはずだ、と。
理性が本能を抑えつけるように警告を流す。
「……くそっ」
「…………ごしゅじん?」
不思議そうに覗き込んでくるティナを見て、謝罪を口にしながら指示を出す。
「悪い、ティナ。こんな俺で、ビャクヤの息がまだあるなら一緒に都市へ逃げてくれ」
「ごしゅじんは?」
「俺はミズチを……倒せるかは分からないが引き留めるくらいはしてみせる」
ティナに大変なことを言っている自覚はある。
ビャクヤが息をしていなければ一人で森を抜けろというのだから、気が狂っているとしか思えないだろう。
だが、自分の出せる最大規模の魔術であれば陽動として、クレディウスから逃げる時間を稼ぐことぐらいはできるはずだ。
そんな考えから口にするが、
「だめ。ティナものこる」
「え? いや、それこそ……」
聞き分けの良かったはずのティナが見せる駄々に、困惑が隠せない。
「今はそんなことを言っている場合じゃ」
「どうして?」
「危険だからだ」
「ティナだって、ごしゅじんと同じことできるもん!」
「いったい、何を言って……ちょっ」
一歩前に出て、渦の中心へと手を掲げるティナ。
その小さな手から紫色の巨大な魔法陣が展開される。
「魔法陣……!?」
魔術への適性が高いことは知っていた。
だから特別驚くようなことではない。普通であれば。
「瘴気の中だぞ……」
未だに一帯を満たし続けるミズチの瘴気。
その影響を受けることなく、見事に魔法陣を展開させていた。
「きて!」
ティナがそう呼びかけた直後、魔法陣が周囲の瘴気を吸い込み始めた。
「その術式は一体……」
見た事のない術式構造。
断片的に読み取れた構造と吸い込んでいる現状から推測するに、
「瘴気を力に変えているのか……」
瘴気への対処の鮮やかさに驚き、吸い込み終わった魔法陣への構造理解を深めようとしていると、ティナはもう片方の手から見覚えのある魔法陣を展開し始めた。
「それは……!」
先程使った魔術。それを見様見真似でやろうというのか。
そんな驚きも束の間、最初に使った紫色の魔法陣は色を鮮やかな橙色に変化させ術式が組み替えられていく。
そうして組み変わった魔法陣が起動すると、大地が揺れ、地面が盛り上がった。
「魔法陣の同時展開までも……!」
誰に教わる訳でなく、大規模の魔術を二つ同時に展開してみせたその才能に興奮が止まらない。
術式系統からして大地に関連した魔術。その上、見覚えのある術式構造。
そこまで考えて、ようやく気付く。
これは以前教えた―――、
「土人形か!」
正解。とでも言うように大地から巨大な土人形が起き上がる。
小さな山ほどの巨体を動かし、片膝立ちになった土人形は主の命令を待つ。
「ちょっと待っててね」
そう言うと、稚拙ながらもティナは詠唱を始めた。
「わがいでもって? そのりんねに……? とこしえのあんねいを与えん 積層雹霜」
降り注ぐ雨雲に術式が作用し、徐々に雹が降り始める。
巨大な水の渦の上で雨雲は更に黒さを増し、巨大な氷塊を形成していく。
感覚で頃合いが掴めているのだろう。ベストなタイミングでティナが声を上げる。
「いけっ!」
術式維持の為に掲げていた手を振り下ろし、ティナが指示を出す。
すると土人形は落下し始めた氷塊を横から掴み、更に勢いを上乗せするように渦の中心へと叩きつけた。
「―――!!」
耳を突く程の大きな悲鳴が大森林を揺らす。
渦すらも強引に潰した氷塊は砕け、大きな破片となって辺りに散らばった。
直後、中心が煌めき、放たれた水流によって土人形の巨体が打ち砕かれた。
「あっ―――」
悲し気な声と共に、ティナの身体から力が抜け地面へと倒れ込んでしまう。
「大丈夫か!?」
「…………うん。どう? すごかった……?」
「凄かった。どうやって覚えたのか教えて欲しいくらいだ」
「えへへ。うれしい……けど、少しだけねむたくて……」
急に高度な術式を使いすぎたからか、或いはマナの使い過ぎによるものか。
どちらにせよ、限界を迎えたことに変わりはなく。
無茶をさせてしまった責任と、天賦ともいうべき才を目の当たりにできた興奮で感情は少し複雑だ。
本当にこんな才能を導くことができるのか怪しく思えてくるが、今やるべきはこの子の未来を護ることだろう。
―――決心はついた。
「安心して眠っていい。後は任せてくれ」
「…………うん」
少し離れた場所までティナを抱きかかえて、地面に寝かせる。
未だに全身に痛みが走るが、ティナの期待には応えなければならない。
「情けない所はもう見せられないな」
急速に成長を見せるティナに驚きはある。喜びもある。
だがそれ以上に、置いていかれる恐怖や寂しさも同時に感じている。
いずれは世界一の魔術師となるであろう彼女に置いていかれるのは時間の問題だということは理解している。だがそれでも今は、まだその時ではない。
目の前の脅威に打ち勝たなければ、教えを乞う彼女に、胸を張って教えることもできないだろう。
「師として在り続ける為にか……」
今までそんな殊勝な考えを持つことなどなかった。
我ながら今の心境に驚いているが、名残惜しいと思うこの感情は紛れもない事実だ。
命を懸ける理由に大義名分など必要なく、己が矜持を護る為に目の前の災害に打ち勝たなければならない。
「絶対に勝つ」
氷塊の残骸から出てくるミズチを前に、そう口にする。
両者、満身創痍。であれば勝機は自ずと見えてくるはず。
そんな思いもあったが、
「…………そういうことか」
目に映るミズチの姿に全てを理解する。動かなかったのは再生していたからなのだろう。
僅かに切断面から生えかけた尻尾に、全身に刻まれていたはずの傷が塞がり掛けている。
それでも脚を中心に傷口から僅かに血が流れているのは、先ほどのティナの氷塊によって傷口が開いたからか。
「長期戦は不利。なら……!」
「――――グァガァァ!!」
こちらを視界に収めたミズチが咆哮を上げた直後、懐に潜り込むように走り出す。
ビャクヤという前衛が居ない以上、魔術を扱う者のできることは限られる。
故に駆けながら術式を組み上げ、馴染みの詠唱を口にする。
「風よ。我が力となりて彼の者を討ち払え!」
最初は効果が無いと打ちひしがれた。
囮にしかならないと。だが、今は―――、
「―――ッ!」
ミズチの踏みつけを躱し、後ろ脚の前まで潜り込む。
そして、
「暴 旋風!!」
ビャクヤが刻み込み、ティナが再び開いた傷口に手を当て術式を起動する。
掌から展開された魔法陣が高威力の旋風を出力して傷口を抉り、後ろ脚の組織を内部から掻き混ぜるように破壊していく。
「―――!!」
耳を裂く程の叫びを上げ、ミズチの巨体が倒れ込むように膝を付く。
すかさず術式を組み替え、詠唱しようとした直後。
大地が震動し、ミズチの背後から何百、何千もの水流が噴き上がる。
「まさか……!」
嫌な予感を肯定するかの如く、噴き上がった水流は隙間を埋めるように繋がり一つの巨大な大波を作り上げた。
全てを押し流して終わらせると言わんばかりの光景に、思わず息を呑む。
災害と謳われる所以が漸く理解できた。
「最悪だ……!」
勝つと決めたが、これではティナもビャクヤも巻き込まれる。
素早く方向転換し、寝かせたティナの元へ急ぐ。
あれほどの大波を止めるだけの術式を組む時間はない。
退避する時間はあるのか? 安全な場所はあるのか?
考えろ。今の自分に取れる選択肢の中から最善を……、
「ッ―――」
ティナの元に辿り着いた直後、大波が決壊するように押し寄せ、死を予感した。
―――刹那。
白線が視界を走り、世界が光を反射するように煌めいた。
横薙ぎに振るわれた剣から、冷気が放たれ、破壊の権化たる大波が瞬く間に凍り付く。
「よかった。間に合って……!」
息を切らし、よく見知った白髪の少女がそこに立っていた。




