第二十六話 無謀な約束
ビャクヤを先頭に周囲を警戒しながら、沢を沿うように上っていくこと少し。
「此処だ」
先導していたビャクヤが立ち止まって、そう口にした。
「ここか……」
開けた視界に映るは一見湿地のように浅く広がった湖。
そんな場所の中央には霧が立ち込めるように大きな何かを包み込んでいた。
「あれが封印だ」
「不思議なことになってるな……」
封印術式に明るい訳ではないため詳細なことまでは言えないが、異質な術式であることは確かだろう。
「近づいてもいいか?」
「構わぬが、余にも全ては把握できておらぬ。用心しろ」
「あぁ。ん? 把握できてないって、どういうことだ? 封印は誰がやったんだ?」
ビャクヤが施したものとばかり思っていただけに、少し驚きつつ問いかける。
「母様が死の間際に施したものだ。余には封印を繋ぎとめておくことしかできておらぬ」
歯噛みするようにそう答えるが、他者の術式を引き継ぎ二年繋ぎとめ続けた事実は彼が思っているよりも凄いことである。
「慰めにもならないだろうが、上出来だ。誇っていい」
「誠に慰めにもならぬ言葉よ」
そう口にするが、ビャクヤの表情は少しだけ柔らかくなった気がした。
そして改めて封印の元へと足を踏み出す直前、
「ティナも行っていい?」
「危ないかもしれないんだ。何かあったらいけないから、ここで待っていてくれ」
「えーー。ティナも見たかった……」
「安全が確保できたらな」
付いていきたいとせがむティナをビャクヤに預け、足場を固めるべく術式を構築する。
「凍結」
詠唱と共に術式が作動し、足元の水が凍り始めた。
足場ができたことを確認し、湖へと足を踏み入れる。
氷を踏みしめ、霧に覆われた中央へと一歩ずつ足を進めていく。
「これが封印か……」
よく見える位置まで来ると足を止め、そう呟く。
濃霧が包み込む様は、さながら雲のようだ。
胎動するように濃霧は揺れ動き続け、近づく程に猛獣のような呻き声が大きく聞こえてくる。
願わくば永久に封印されていてくれと思いながら、氷の足場でポケットからペンを取り出し作業に取り掛かる。
氷の表面を削るようにペンを走らせ、陣を描く。
そうしてできた術式にマナを流し、唱える。
「術式解明」
直後、書いた陣を中心として新たな魔術式が陣の外側へ書き出されていく。
こうして封印術式の抽出を終えると、その場で術式構造を読み解き始めるが、
「摩耗しすぎて術式が読み取れない……」
術式を補い続けていると言っていたが、元の術式の影すらなく。
ここまで持っているのが不思議であり、奇跡としか言いようがない程であった。
「いつ破綻してもおかしくないな」
むしろ破綻していなければおかしいとすら言える有り様に、手の施しようはなく。
今すぐ離れるべきなのだろうと思い即座に切り上げてティナたちの元へと戻ると、ビャクヤが口を開いた。
「どうであった?」
「結論から言うが、手の施しようがない」
「そうか……」
期待を裏切るようで心苦しいが、打てる手はないと言わざるを得ない。
「悪いことは言わない。諦めて都市に帰るべきだ」
ビャクヤがどんな事情を抱えているのかは分からないが、彼の帰りを待つ人を知っている以上。ここで命を捨てるような行為を見過ごすことはできない。
「いや、ここまでで充分だ。余は、余の責務を果たす」
「責務責務って、無謀なことに命を捨てることの何処が責務なんだよ。
果たせないなら全て無意味だ。違うか?」
「舐めるな。余は命に代えても討ち果たす」
「舐めてるのはどっちだ。言いたくはないが、母親の死と引き換えに成し遂げられたのは化物の死ではなく封印だ。この意味が分かってるのか?」
ビャクヤたちの母がどれほどの使い手だったかは分からない。だがその母が命に代えても不完全な封印しかできなかった。戦力が最大の当時、打ち倒せなかった時点でビャクヤに勝ち目はない。
「理解している。だが無謀だろうと為さなければならぬのだ!」
「気持ちは理解できるが諦めるべきだ」
母親の仇を討つ。その激情は強い力を持つが、やはり無謀でしかないのだ。
そう思って口にしたが、ビャクヤは首を横に振る。
「気持ちの話ではない。これは都市の存亡を賭けた戦いだ」
「……は? え、ちょっと待て。どうしてここで都市の存亡なんてものが関わるんだ?」
ビャクヤの口にしたことが事実であれば、前提が全て覆る。
まさに言っていた通り、命を捨ててでも為さなければならない責務となる。
「知らぬのも無理はなし。ミズチは古代より生ける災害よ。
瘴気を撒き散らし、水を汚染し、大洪水を引き起こす」
「それが事実なら、確かに命に代えても果たさなければならないか……」
都市を守るという思いを否定することはできない。
そして、それが責務だと言う彼を止めることもできない。
「理解して頂けたようで何よりだ」
「あぁ。無理に引き留めて悪かった。だが、無謀なことに変わりはないだろ?」
事情は理解した。ビャクヤの言う責務も分かった。
それでも状況は何一つ変わっていない。
無謀で無茶で無鉄砲ではあるが、今はまだ最悪にまでは至っていない。
考え得る最悪はビャクヤが仕留め損ね、幻影都市に危機が迫り、対抗しきれず滅びること。
ここで彼を失うことは森を抜ける為にも絶対に避けなければならない。
その上、危機から助けられた恩も返せていない。
「はぁ……」
一度ため息を吐き、すぐ傍にいるティナへと視線を向ける。
「ごしゅじん?」
純粋無垢な碧い瞳が戸惑いに揺れながら、こちらを真っすぐと見返して来る。
「ビャクヤを助けてもいいか?」
最優先に護るべきはティナの安全だが、様々な思考から出た結論を彼女へ問いかける。
いや、ティナの了承を得ることで赦されたかったのかもしれない。
そんな思いなど知らず、問い掛けられたティナは元気よく答える。
「いいよ!!」
満面の笑みで了承したティナを見て、俺も覚悟が決まった。
「という訳だ。協力しよう」
「何を申しているのか理解しているのか?」
「あぁ」
「主らが命を懸ける理由などないのだぞ」
正気の沙汰ではない。そう言いたげなビャクヤだったが、
「命を懸けるつもりはないが、命を張る理由ならある。
見ず知らずにも関わらず、命を懸けて助けてくれただろ?」
「あれは命を懸けるつもりなど……」
「あぁ。もういい。取引だ、取引。討ち果たせたら、森を抜けるまで護衛してくれ」
恩を返すのもあるが、打算も込みの提案であることに違いはなく。
協力を拒否しようとするビャクヤへ、ダメ押しの言葉を送る。
「俺たちじゃ、どうせ森で迷う。それにあのクレディウスってのに勝てない。
だから助けるから、助けてくれ。死なれたら困るんだ」
そう言うとビャクヤは豆鉄砲を食らったような顔をして、すぐに口角を上げながら口を開いた。
「……はははっ。その潔さ気に入った! よかろう。これ以上、野暮はなしだ。
ミズチを討ち果たした暁には、必ずや主らを都市へ無事送り帰すと約束する」
「その約束、死んでも果たしてもらうからな」
「無論。約束は果たさせる主義故な。主らが死んでも果たしてもらうぞ」
「望むところだ」
こうしてミズチ討伐への協力が決まり、大森林での護衛も取り付けることに成功したのだった。




