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【4・ふくろつめ】

 木人町一丁目、木一町内会館。

 旧市役所前通りから道を曲がって、北へ、郊外に向かう道中の左手にある。

 そこは左右を民家に挟まれたアスファルト敷きの小さな一画で、四囲を駐車場でもない半端な空間に囲まれた、小さな平屋建ての小屋が建っている。磨りガラスの引き戸を開けると広い玄関の右手に大きな下駄箱があって、擦り切れたスリッパや履き潰されたスニーカーが常に放置されていた。誰の物かも知らない、異臭がした物から、ゆっくりと廃棄されるだけだ。

 中に入ると、給湯室、トイレが並んで、しかし建物のほとんどは縁側に面した大広間だ。

 数える気もないけど、二十畳以上はあるんじゃないかという和室には、人数分の卓袱台と、干されているのを見たことがない重みのある座布団があって、からっぽの床の間と、違い棚にはいつも薄く埃が積もっていた。奥の壁にはカレンダーと、小さな黒板が掛かっている。

 集会は隔週の日曜日に。今月は十三日と二十七日だ。

 その真下には町内会長の柳井年雄と、役員の人達が並んで座っていた。

 彼らと向かい合うように、木一の住民が各々の尻に座布団を敷いていた。

「木暮の所の長男が蒸発したそうだ」と町内会長は重々しく切り出した。「なんでも一緒になるとか言って、どっか欧州だかの出で背の高い男を家に連れて来てな、一緒に住まわせろって言うんで、木暮も奥さんも反対したんだ。子供はどうするって聞いたら、養子を貰うつもりだとかで、血が途絶えたら困るって叱ったら、今度は誰かに産んで貰うとか言ったんだと」

 子供達は話に飽きて動き回ったり、縁側から外に下りて遊んだりしていた。

 本当に小さい子供と、その親と、あとは老人ばかりだ。おれはここに来る前から居心地が悪くて、また辿り着くはずのない天の川を目指して逃げ出したくなった。祖母が言うには、見た目が変わった事を知らせる為に顔を見せるだけでいい、との事だった。知らない人間が町内をうろついている、西島家に出入りしていると思われたら、その説明が余計に面倒だからだ。

 一目見ればすぐ西島信久だって分かるのだから、別に外見は何でもいいのでは。

「だったら、その産んでくれる人と一緒になればいいものを、それは嫌なんだと。大体誰が子供なんか産んでくれるって聞いたら、いよいよ押し黙るって始末でよ。なんでも甲州新都心の方では細胞の何やらから機械で子供を作る施設があるらしいが、木暮にそんなもんに出せる金があるわけでもねえし、近所に顔向け出来ねえから普通に結婚してくれって言ったんだ」

 そうしたら、手紙の一つも残さずに欧州の男と二人、家から居なくなっていたわけだ。

 荷物と幾ばくの金も消えていたので、まあ家出をしたのは確実だろうけど、木暮夫妻は息子を探さなかった。次男はまだ幼く、八歳か九歳で、他の子供達と一緒に外で走り回っているけど、木暮の家を継ぐのは次男という事に、夫妻の間ではなったらしい。畑と、家と、もしいつか長男が戻って来たら、その世話とが、その両肩に掛かっている事を本人はまだ知らないようだった。上がり込んで来て、おれの腕を掴んだ。「しんくー、遊ぶぞ」命令口調である。

 別の子供も近づいて、一瞬だけ冷酷にも見える目がおれの服の裾の辺りを凝視した。

「しんく小さくなってる。なんでそんな恰好してるの、しんくじゃないみたい」

 今日も相変わらずフードパーカーに、下はスパッツだけ。服はまだ買えていなかった。

 段々とそういう恰好にも、信久を誰も信久と読まない事にも、もう慣れてしまった。

 音読みをされようと訓読みをされようと、それはいいのだけど、遊びたくはない。

 しかし年長の子供達はもはや集会には現れないので、おれが恰好の遊び相手に狙われたようだ。二人ずつに腕を取られて、泥に嵌まった荷車のように引き摺られていく間、おれは無抵抗を貫いた。そのまま部屋の後ろの方に投げ出されると、今度は後ろから羽交い絞めに腕を回され、腕が回され……全く別の動きを捉えた。胸に、十指がしっかりと食い込むような感覚。

 悪寒がした。相手が子供だとか、自分の身体だとかは関係なく唯々気持ち悪かった。

 素早く払い除けて、振り返るとあらぬ疑いを掛けられたように不貞腐れる顔があった。

 反応が早すぎるだろう、と思った。

「なんだよ、ちょっと引っ張っただけじゃん」と、清水か溝口の所の子は、十歳らしい生意気な口調で言っていた。その目が胸元を見る度に、その手を後ろに隠そうとするのが、わざとらしいくらいだった。「何したんだ」と別の子が言い「胸触っただろー」と別の子が言った。

 やっちまった、と思った。そんなわざわざ言う事でもないのに。

「うるさい」と言って清水だか溝口少年は座布団を拾い上げ、振り回した。

 子供達が大げさに避け、それを追い回しておれの周りを、と視界が傾いた。

 二度目に、座布団で殴られたと覚った。激しく頭が揺れて、おれは全身を脱力させて畳の上に横たわった。これ以上はやめろという意思表示だったのだが、何を思ったか二人、三人と座布団を手に取り、寄って集っておれの全身を殴り付け始めた。痛くはない、しかし重さはあるので、体に受ける衝撃も馬鹿にならない。お腹の良い所に入ると、息が詰まって咳が出た。

 顔の上に大きな影、動きを捉えた瞬間、片手でそれを掴んで引っ張った。

 つんのめった少年の手から零れた座布団を逆に顔面へ食らわしてやった。

 数歩よろめいて、即座に彼は「卑怯だぞ」と自身を顧みようともしない堂々たる物言いをしながら、更におれに突っ込んできた。こうなると座布団を挟んでの攻防は、僅かに体重差で決まる事になる。座布団で体を押さえ付けて「カウント、カウント」と呼び掛けると、横に居た少年が座布団を投げ捨て、床に俯せて畳を叩き始めた。十を数え終えるまで暴れに暴れて、やっと立ち上がった少年が再び躍り掛かろうとした所で、後ろから両肩を掴まれてしまった。

 そこに居たのは彼の母親だった。「やめなさい、信ちゃん困ってるでしょ」

 少年は何も言わず、拗ねたような顔をしてそっぽを向いた。

「ごめんなさいは?」

「別にいいけど、十カウントも経ったらもう負けだよな。なあ」

「うん」レフェリー役の少年が頷いた。「今のは慶次の負けだよ」

 また慶次が暴れそうになって、肩を更に強く引っ張られていた。「相手してくれてありがとね」そう言って、母親はおれの顔から、足先まで、品定めの目を動かした。「本当に変わっちゃったんだね。なんでそうなったんだっけ、なんか若返っちゃって、おばさん羨ましいわ」

 思わず口元に手を触れてしまうけど、ヒゲはもう生えていない。手首の内側もだ。

「夜帰る時に、道で妖魔に会って。気付いたらこうなってたんだけど」

「そう、妖魔にね」それについて何も言わず、母子は去っていった。「あんたはおとなしくしてなさい」引っ張られていった慶次は、もうこちらを見もしなかった。見られるのが恥ずかしかったのだろう。それはそうだ。母親に一つも逆らわない姿なんて、慶次らしくもない。

「妖魔に会ったの」と言われ、肩を揺すられた。「しんくー、すげー、ずるいー」

「そうだな。会わない方がいいけどな。この前も……」

 ちょうど、その話をするつもりだった。開きかけた口の中は、しかし一瞬で渇き、嫌な緊張感が、おれの息を乱そうとした。口止めされたとはいえ、終わった話として、面白おかしく話してしまえると思っていた。当事者はおれだけだ。そうじゃない事をおれは忘れていた。キャップを被った若い男が大広間に入って来たのだ。その黒いスーツ姿を、ここで見るとは思わなかった。見覚えのある顔は、おれを一瞥してから、つまらなそうに目を細めただけだった。

 次に「最近この辺りに出る『ふくろづめ』についてだが」と町内会長が言った。


 もちろん妖魔の事だが、その『ふくろづめ』とは布黒爪という字を書くそうだ。

「最近、木人町内で、不審な黒い袋が捨てられてる」町内会長は、町民を牽制しながら、主には魔人会の男に向けて、説明するような口調で語り出した。「つまり、ちょうど大人の男が入るくらいの大きさの袋で、実際にそういう風に膨らんでるんだが、最初っから人が入ってるってわけじゃない。近づくと目に見えない爪か何かで周りの物がズタズタに裂かれる。それで何人かケガさせられたんだが、今のところ、食われた奴が居るって話は一人も聞いていない」

 そこで町内会長は一拍の間を置いて、彼の隣を軽く横目に入れて、言った。

「それで今回はこちらの、魔人会の退魔師の方に来ていただいたわけだ」

 正午前に散会になると、若い親子連れや独り身の男性達から先に、町民達は徐々に散って行った。残ったのは午後に畑仕事の無い年寄りで、彼らは場所を変えるのが面倒だからと、集会所を憩いの場に話し始めた。昼食の用意はどこからともなく運ばれて、そこに濁酒が紛れ込んでいる。密造なら、見付かれば投獄は免れないが、年寄りに関してはわりと見過ごされる。

 おれは祖母を置いて一人で集会所を出て、そのまま大鳥の後を歩いていた。

 スレッジハンマーを肩に担いだ男は、手書きの地図に目を落としながら、刻々と目の前を遠ざかっていた。その歩幅は広く、足取りも軽くて、おれは何度も小走りになって彼に追い縋らなければならなかった。いや、このまま逃げ帰っても良かった。「あの、この前は」何を言うかも決めずに、彼の隣から話し掛ける。「社長と、丸田川……さんは、大丈夫だった?」

 言ってしまってから、そんな事を気にしていただろうかと疑わしくなる。

「ああ」と彼は答え、横を向いた。「指揮官も、かなり弱っていたが見付かったそうだ」

 広い道に出て、南向きに横断すると、その先は箭内町一丁目に入っている。

 大きな鳥居を潜って、横道に入ると、大鳥は袋小路から引き返して来るところだ。

 立体駐車場の脇を進んで、不意にその中に入って、放置車両で半ば塞がった通路を、上に向かって左回りに上って行った。途中の階で、彼が既に左回りに階を下りている事に気付き、おれは出口まで引き返した。近所の公園で、彼は水道屋に小銭を投げて水道水を飲んでいた。

 今度は郊外に向かって歩き出し、潰れた家電量販店の駐車場の奥に回っていった。

 そこにも、何も無かった。彼は国道を引き返し、おれに次の進行方向を示した。

「もう帰るの?」

「あと五箇所だ」と言って、彼が手に持っていた地図を見せてきた。

 線を何本か引いて、その内の広い道と、目立つ建物の名前が書き込まれている。

 そこに元からあった印が四つ。新たに加えられた印が三つ、大雑把に道を囲っていた。

 大鳥がまた歩き出したので、おれは姿が見えなくなる前に腰を上げ、彼の後を追った。

「現場検証が長引いている」旧駅舎方面に戻る道中で、大鳥は倒れた信号機を見ながら急に語り出した。「あの状況だったからな。地元の材木屋に頼んで、残った木を加工して運び出して貰ってはいるんだが、まだしばらく掛かるだろう。中には不自然な形に曲がったり、ほとんど朽ちていたり、爪で抉られたような物もあって、そういうのは使い物にならないそうだ」

 自分の手を見ると、白く伸びた三日月を噛み千切りたくなった。

 それは鋭くないし、隠せもしないし、痒くもない。「大変ですね」

「社長は、お前の事も正式に魔人会の退魔師として登録しておきたかったと言っていた」

「そんなに評価されるような事してないと思うけど」

「厄介な存在だからだ。地面を陥没させ、妖魔を無力化して、五行隊の標的にもなった」

 最後のは誰のせいで……「厄介か。五行隊といえば、最近急に……」

 ちょうど、コマーシャルが流れていた。

 コマーシャルが。液晶モニターに。流れていた。

『甲州議会に現れた彼らこそは、陰陽師の流れを汲む最強の対妖魔部隊、内閣特務機関、式部局に属する五行隊だ。レッドウィード、レッドフレイム、レッドブリック、レッドメタル、レッドフォール、五人の戦士が、市井に蔓延る悪しき妖魔どもを科学の力で打ち倒すぞ!』

 派手な爆発が起こって、画面横のスピーカーから割れた轟音がじゃらじゃらと溢れる。

 五人が扇形に広がってポーズを決めると、その背後には神官風の大男が立っている。

「あいつはボルドーマン」と大鳥が言った。「星を読む事が出来るとか言ってる奴だ」

「星を……」

「漢字が読めるとかいう話じゃない。星座でもない。たぶん天命とかそういうものだ」

「分かってるけど」

 彼にも天の川が見えているのだろうか、今も空には、うっすらと道が通じているけど。

 それから更に二つのコマーシャルを聞き流して、今にも落ちそうな跨線橋を渡ると、住宅地の一画を切り開いた巨大な廃工場が目の前に現れた。その脇に沿って、要塞化した女子高の裏に入って路地を進むと、大鳥は再び地図を見ながら横道に入って行った。一つ、二つと確かめながら、同じ横道に入ると、すぐそこに大鳥が立っていた。「あそこに黒い袋が見えるか」

 彼が指した所は、ちょうど三方をブロック塀に囲まれた袋小路の最奥だった。

 折れた電柱が倒れていて、潰れたゴミ捨て場の上に、古い張り紙が並んでいた。

 道の中央には、ゴミ捨て場から引っ張り出したような黒い袋が投げ出されていた。

「あれがそうなのか?」

 聞き返すと、彼はしばらく反応を見送った。「分からない。行ってみろ」

「なんで急におれが」形だけ不平を残して、数歩ばかり近づいてみると、中心がぼんやりと青く光って見える。「核がある。ん……なんか、六、七個くらい見えるけど。あれ誰か入ってるんじゃ」振り返ると、大鳥も振り返っていた。道の入り際、二つの民家に挟まれた丁字路の所にも、黒い袋が落ちていた。ほとんど潰れていて、その中心が小さく盛り上がっている。

 まるで、成人の男性よりも、小さな物が中に入っているみたいな大きさだった。

「お前、あそこに何か、置いたか?」と大鳥がおれに聞いた。

 首を振った。「あんなもの無かったけど」と答えて、袋小路の奥を見た。

 つまり袋は二つあった。

 袋は、おおよそ成人男性がぴったり入るくらい……だから縦にか、縦に細長い袋で、中心を通っているファスナー以外に、持ち手などは何も付いていなかった。本当に、人が休むか、ただ入れられる為だけの袋なのだ。それが道の真ん中に、真っ直ぐになって横たわっていた。そして袋小路の奥にある方の袋にだけ、七個くらいの核が、ほぼ真ん中辺りに密集していた。

「なんで二つもあるんだ」と呟きながら、おれはその答えをほぼ察していた。

「地図には目撃情報がいくつも書かれていた」そう言って大鳥が地図を振った。「移動しているか、させられている可能性もあった。実際、他の場所には何も無かったからな。お前も見ただろうが、木や密閉された部屋を作りながら移動する妖魔も居る。この袋も、本体を隠す為に用意したもので、中身は別にあるのかもしれない。今の所、その姿は想像も付かないが」

「じゃあ……あれを開けてみるのか、それとも」倒す方法が。

「核があるんだろう、あっちのは」大鳥が地図を畳んでポケットに押し込んだ。

 スレッジハンマーを振り上げて肩に担ぐと、路地の奥に踏み込んでいった。頼もしい背中にも見えない。重いせいなのか、腰が引けているのか、足先で探るように慎重に進んでいて、しかもスレッジハンマーと逆側に体が少し傾いていた。柄の先端と上端を持っているのは、使い慣れている感じはするけど、何にだ。妖魔よりは、人にじゃないかと、少し思っている。

 あのまま、やるとしても、上から叩き潰すしかない。

 そうするとどうなる。

 袋の中身が潰れたら、それは動けなくなるかもしれないし、核が露出するかもしれない。

 そうなったら、おれが食らうしかないのだろう。七つもある、核を、ど……どうやって。

 箱を翳したら勝手に食ったように、おれを翳したらおれも勝手に食っているのだろうか。

 そこまでは大鳥に任すとして、もう一方の袋はおれに任された気がする。

 と、歩き出そうとした瞬間だ。心臓を掴まれた。気がした。

「見ねえ方がいいんじゃねえかと思いますけどね」誰かに声を掛けられたのだ。


 顔を上げると、道の向こう側、視線を通さないフェンスの上に、女の子が腰掛けていた。女学生風の服は上下ともに紺色で、水兵服のような大きな襟に真っ赤なリボンを垂らし、スカートの固いプリーツは脚に沿って閉じたままだ。その下にある肌は首元、手首も、膝下は爪先まで肌に吸い付くような漆黒のボディスーツに覆われていて、彼女が素肌を晒しているのは蒼白な顔と顎のラインまでだった。前髪の上に、これも真っ赤なカチューシャを着けていた。

 黒くて長い髪が肩甲骨の辺りまで真っ直ぐ垂れていた。

「ガキが食われたみたいですよ」と女の子が言った。か細い声を張って、おれの耳にようやく届いていた。「その袋ん中、たぶんもうバラバラでしょうね。見ますか、そんな物?」彼女が足を組み替えた瞬間に、漆黒のボディスーツが彼女の全身を締め付けているのが分かる。

 隆起した筋肉のように張り詰めていて、その表面は砂のようにざらついていた。

 更にビスか、ボタンのような丸い物が、その表面に等間隔に嵌め込まれていた。

 女の子は二メートル近いフェンスから飛び降りて、ゆっくりと道を渡って来た。黒い袋を挟んで、おれと、おれより頭一つ背の高い女の子が向かい合っている。彼女の顔は蒼白で、その大きな目にも口にも、表情らしい表情はほとんど無くて、そこに人形が立っているみたいだった。「危ねえ事してますね、二人して」指で胸元のリボンを弄りながら、彼女は言った。

 真っ赤なリボンが、際立って鮮やかに見えた。

 青い炎がリボンを、大きく縁取っていたからだ。

 とても、まるで人一人分の大きさとは思えないくらい、それは大きな核だった。

 きっと妖魔で、だとしたら彼女は人を何人、いや妖魔を何体食らったんだろう。

「こいつは」という言葉に、どこか遠くで鳴った、鈍い音が被さった。

 体内を伝わる骨折の音を聴くような、まるで響こうとしない小さな音だった。

 なぜだろう、気付いていたのに、おれはその出所に目を向けたくなくて、女の子と目を合わせていた。代わりに彼女の黒い指先がゆっくりとおれの背後を指差した。そうだ、スレッジハンマーだ。打ち下ろしたというよりは、取り落としたかのようだった。振り返る寸前、背後で男が悪態を吐いた。「くそ、腕を持ってかれた」そして足音が路地を吹き抜けていった。

 大鳥は左腕を庇いながら袋から距離を取っていた。二の腕の辺りを押さえて、その下には負傷した跡も無ければ、腕すらも無かった。腕は、輪切りにされた状態でアスファルトの上を這っていた。最初それをおれは骨だと思った……もっと細い物は切り刻まれた木柄で、ヘッドの部分と共に袋の周囲に散らばっていた。腕の小片はずるずると袋を這い上って、開き切ったファスナーの奥に、黒い闇が外まで広がっていて、そこを目指して進んでいるようだった。

 その中に七つの核が見えた。

「あれ。七つも……って事は、七体は居るんじゃないのか、この妖魔?」

「そんなに居ねえけど、そんな事はどうでもいいんです」慌てて後退してきた大鳥が、おれの背に隠れて袋の様子を窺った。黒い袋の、ファスナーは独りでに閉じていき、大鳥の左腕が完全に飲み込まれてしまった。女の子が二つ目の袋を開いて、黒い闇の中に手を突っ込むと、輪切り状の肉片を取り出した。断面の中心の白い骨と、その周りの肉と、その周りの脂肪の層を青白い皮膚が包んでいる。「どうしようもねえ感じですけど、手伝ってやりましょうか?」

 肉片を放り捨て、彼女がボディスーツから露出させた左手は皮膚が爛れていた。

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