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砂の水

作者: ウォーカー

 その若い男は一人暮らし。大きなマンションに住んでいる。

マンションは大通りに面していて、交通の便は良い。

その代わりに道路を走る車の騒音が激しいのだけれど、

防音設備がしっかりしているので問題はない。

部屋は一人暮らしには十分な広さで、その若い男は気に入っている。

隣近所との関係も悪くはなく、

特にお隣さんの一軒は、同年代の男の一人暮らしということもあり、

その若い男とお隣さんの二人は、すぐに打ち解けて意気投合し、

今や一緒に酒を酌み交わすほどの仲だった。


 ある日の夜、街の居酒屋。

その若い男は、お隣さんと、いつものように酒の席を楽しんでいた。

天気の話、テレビ番組の話、スポーツの話、仕事の愚痴。

他愛もない話を続けて話題が一服した頃。

その若い男が何気なく、こんな話を始めた。

「そう言えば、最近この辺りの地域で、

 野良猫が虐待されることが増えてるんだそうだよ。」

「ああ、聞いてるよ。

 まったく、酷いことをする奴もいたもんだ。」

「それで、人間に虐待されて死んだ猫が化け猫になって、

 人間に復讐しているんだって。」

「化け猫の復讐?祟りとか?」

「そう。砂の水っていうんだ。」

そうしてその若い男はおどろおどろしく、猫の祟りの話をした。


砂の水。

かつてこの地域であった話。

ある野良猫が、人間から餌をもらっていた。

初めは人間を警戒していた野良猫は、餌付けされたことで、

やがて人間に心を許すようになった。

だが、それがいけなかった。

野良猫は餌を食べている隙に、人間によって捕らえられてしまった。

その人間は悪い人間で、野良猫を捕まえては檻の中に閉じ込めて、

野良猫が飢えて死んでいく様を見て喜ぶような奴だった。

誰にも助けてもらえず、檻の中で衰弱していく野良猫は、

人間への復讐を誓って死んでいった。

それ以来、この地域では、野良猫を虐待すると猫の祟りに遭う。

猫の祟りは、水を砂に変えてしまう。

祟られた人間は、水を飲むこともできなくなって、

砂を喉に詰まらせて死んでいくという。


長い話を終えて、その若い男はビールジョッキに口をつけた。

これはその若い男が近所の猫好きの人たちから聞いた話。

もちろん、ただの怪談の類だろうが、茶飲み話には良いだろう。

そう思って話したのだが、しかし。

話を聞いたお隣さんは不快そうな表情をして黙りこくっていた。

どうやら話題を間違えたようだ。

少なくとも、飲食店でする話ではなかった。

それからその若い男とお隣さんの気まずい空気は晴れることがなく、

いつもよりも早い時間にお開きとなったのだった。


 居酒屋からの帰り道。

「ちょっと寄る所があるから。」

お隣さんはそんなことを言って、夜の街に消えていった。

その後ろ姿を見送って、その若い男はため息を一つ。

「僕もスーパーでも寄ってから帰るかな。」

その若い男は一人でスーパーマーケットに立ち寄ることにした。

食べ物だの飲み物だのを適当に買って、会計を済ませて店の外に出る。

すると、その視線の先に、さっき別れたお隣さんが歩いていた。

どうやらお隣さんは、その若い男には気が付いていないらしい。

お隣さんの手には、どこかの店の買い物袋。

どうやらペットショップのものらしく、お隣さんはペット用品を抱えていた。

その様子にその若い男は首を傾げた。

「あれ?うちのマンションって、ペット禁止だったよな。」

声をかけるのも躊躇われて、その若い男はお隣さんを黙って見送った。


 それからしばらく、その若い男はお隣さんと顔を合わせることがなかった。

お互いに時間が合わなかったり、仕事が忙しかったり。

夜は居酒屋に立ち寄ることもなく、酒を買って帰る日が続いた。

すると、その帰り道に、いくらかの人だかりが目につくことがあった。

事情を立ち聞きしてみると、どうやら野良猫が怪我をして見つかったらしい。

近所の人たちが怪我をした野良猫を捕まえて、動物病院に連れて行くようだ。

時には既に手遅れで、地面に横たわり布をかけられた猫の姿もあった。

野良猫を虐待している人がいるのでは。

この辺りは車の通行が多いから。

動物病院ももう一杯で、受け入れてもらえるかどうか。

辺りで立ち尽くす人々が囁き合うそんな声が漏れ聞こえていた。


 そんなことが続いた、ある日の夜。

その若い男は、いつものように酒を飲んでから眠っていた。

すると就寝中に、猛烈な喉の乾きに襲われることになった。

まるで何日も水を飲んでいないかのような、喉が張り付くような感覚。

堪らず、その若い男は目を覚まして布団から起き上がった。

「喉が熱い!まるで喉が焼けるようだ。み、水・・・!」

明かりを点ける手間も惜しく、飲み水を求めて暗い台所へ。

蛇口を捻ってコップに口をつけて、異変に口の中のものを吐き出した。

「ぺっ、ぺっ!何だこりゃ!?水じゃないぞ?」

口の中を満たすのは水ではなかった。

コップに溜まっていたのは、砂だった。

蛇口から水ではなく砂が出てきてコップを満たしていた。

水道の異常か、はたまた夢か幻か。

その時、その若い男の頭を過ぎったのは、砂の水のこと。

水を飲めずに死んだ猫の祟りで、水が砂になる、

というあの話を思い出していた。

「まさかこれって砂の水、猫の祟りか?

 でも僕は猫を虐待なんてしてないぞ。」

断水や水道管の破裂では、こんなことにはなるまい。

そう思うのだが、それでも水道管の確認のために、

その若い男は玄関からマンションの廊下へ出た。

水道メーターなどがある小さな扉を空けてみるが、異常はない。

すると、背中にゾクッとする気配。

周囲を見渡すと、廊下の先、お隣さんの部屋の前に猫が佇んでいた。

「なんでこんなところに猫が?

 どこかの飼い猫が紛れ込んだのか?」

よく見るとその猫は毛皮もボロボロで、少なくとも飼い猫には見えない。

その時、切れかけた廊下の電灯が明滅した。

するとその猫は、暗闇で青白く発光しているように見えた。

青白く発光する猫は、その若い男の顔を一瞥すると、

お隣さんの玄関の扉に向かい、すーっと消えていった。

「猫が消えた。お隣さんに何かあるのか?」

お隣さんの玄関の扉に手を伸ばすと、鍵はかかっていなかった。

悪い予感がする。

中に入らない方が良い。

そう思うのだが、今更逃げるのはもっと恐ろしい。

その若い男は意を決して、お隣さんの玄関の扉を引くと、

部屋の中へと入っていった。


 青白く発光する猫が姿を消した先。

お隣さんの部屋の中に入ると、玄関は真っ暗だった。

しかしその奥の部屋からは、弱々しい明かりが漏れているのが見えた。

どうやらお隣さんは在宅のようだ。

そうだ、水道のことについて尋ねてみよう。

そんな軽い考えで、その若い男が部屋の奥に進むと、

そこには凄惨な光景が広がっていた。

広い部屋の壁には、小さな金属の檻がびっしりと並べられていた。

無骨な金属の檻は錆びついていて、その中には数多の猫が入れられていた。

檻の中の猫は毛皮もボロボロで、血が滲んでいる猫もいるようだ。

そのどれもがぐったりと力なく横たわっていた。

まるで強制収容所のような光景。

その部屋の中央には、人が倒れている。

背格好からそれはお隣さんに間違いなかった。

「おい、大丈夫か!?」

その若い男は咄嗟に倒れている人を起こした。

倒れていたのは確かにお隣さんで、口の周りは砂だらけ。

それどころか、半開きの口の中は、砂でびっしりと埋められていた。

「これは砂の水?じゃあお隣さんも猫の祟りに遭ったんだ。

 いや、それどころか・・・!」

それどころか、部屋の中にたくさんの猫を捕まえて、

あるいは猫の祟りはお隣さんに向けられたものなのかもしれない。

これほどまでにたくさんの野良猫を監禁し、虐待もしていたのだろう。

きっとお隣さんは、猫の祟りに遭うほどに猫に恨まれていたに違いない。

あの気さくなお隣さんが、連続していた野良猫の虐待の犯人だったなんて。

人は見かけによらないものだ。

せめて、可哀想な野良猫たちの亡骸だけでも、檻から出してやらねば。

その若い男がお隣さんを床に寝かせて、檻に手を伸ばす。

すると、檻の中でぐったりしていた猫の何匹かが、こちらをギョロッと見た。

どうやら、死んでいると思われた猫の中には、まだ息がある猫がいたようだ。

一匹また一匹と、檻の中の猫たちが目を覚まして、その若い男を睨みつけた。

「まさかお前たち、僕も呪うつもりか?

 僕はお前たちを助けようとしてるんだぞ。」

猫たちの眼力に怯んで、その若い男が立ちすくんでいると、

やがて檻の中の猫たちは、にゃーにゃーと大合唱を始めたのだった。


 そんなことがあった数日後。

賑やかな街の居酒屋で酒を酌み交わす、その若い男とお隣さんの姿があった。

ビールを一口飲んで、お隣さんが言った。

「いやぁ~、今回は世話になったよ。」

そう話すお隣さんはピンピンしていて、

とてもついこの間まで病院に入院していたようには見えない。

あの夜、部屋で倒れていたお隣さんは、すぐに救急車で病院へ運ばれた。

猫の祟りで呪い殺されていた、と思い込んだのはその若い男の早とちり。

実際には、お隣さんは、連日の激務の過労から倒れていただけだった。

いや、水が砂になっていたのだから、猫の祟りではあるのだけれど。

しかしお隣さんは決して野良猫を虐待などはしていなかった。

お隣さんは、怪我をしたり衰弱した野良猫を保護し、

自宅に匿っていただけだった。

野良猫は気性が荒かったり病気を患っていたりするので、

自宅に匿うときはケージに入れていただけ。

しかしそこで不測の事態が起こる。

お隣さんが過労で倒れてしまった。

するとお隣さんは一人暮らしだから、

保護された猫たちは檻に閉じ込められ外に出ることができない。

健康な状態ならともかく、衰弱した猫にとっては、

餌や飲み水を一日摂らなかっただけでも生死に関わる一大事。

最低限、飲み水を絶やしてはならない。

檻に閉じ込められた野良猫たちは、餌も飲み水ももらえず、

このままでは死ぬ運命。

しかし、実際にはそうはならなかった。

砂の水。

水を砂に変える、猫の祟り。

実は、それと同時に、砂を水に変える祟りでもあったのだった。

猫たちが閉じ込められていた檻の中には、トイレのための猫砂が用意されていた。

その猫砂が、猫の祟りによって水となり、

閉じ込められていた猫たちの飲み水になって、猫たちの命を繋いだのだった。

今はもう餌も飲み水もたっぷりと与えられている。

そうしてお隣さんも猫たちも無事に済んだというわけだった。

一件落着、だがお隣さんは不服そうに口を尖らせて言う。

「俺は野良猫を助けてやろうと保護してたのに、

 勘違いで猫の祟りに遭うなんて、失礼しちゃうよ。

 猫の面倒を見るのって、手間も金も馬鹿にならないんだぜ?

 そのせいで最近忙しくって倒れたってのに。」

踏んだり蹴ったりのお隣さんに、その若い男は苦笑いで返した。

「そんなに大変だったのなら、僕に相談してくれたらよかったのに。」

「いや、あのマンションはペット禁止だから、相談するのも気が引けたんだよ。」

「ともかく、君も猫も無事でよかったよ。

 助けを呼びに来てくれたあの猫には感謝しないとね。」

その若い男がお隣さんの異変に気が付いたのは、玄関に現れた猫のおかげ。

するとお隣さんは顔を近付けてヒソヒソと言うのだった。

「それが、変なんだよ。

 うちに保護してる猫には、あの時に外に出られた猫はいないはずなんだ。」

「・・・なんだって?」

「うちの猫は全部、ケージに入れてあるから、

 自分では外に出られないはずなんだ。

 そもそも、野良猫がどうやって玄関の鍵を開けたと思う?」

「言われてみれば、そうだね。

 じゃあきっとあれは、本当に猫の幽霊だったんだろう。

 良く考えれば、僕たちは砂の水、猫の祟りには遭ったんだものね。」

「じゃあ、その猫の幽霊は、間違った相手を祟ってしまって、

 それで隣のお前を呼んだってところか?」

「それか、出られなくなった猫たちを助けたかったのかもね。」

「なるほどな。失礼しちゃうな、あの恩知らずの猫たちめ。」

不機嫌そうにビールに口をつけるお隣さん。

しかしその若い男には、猫の祟りの理由が分かる気がした。

猫にしてみれば、人間に保護されて檻に入れられるのも、

檻に入れられて虐待されるのも、どっちも大差ないのかもしれない。

猫には人間の都合など理解できないのだから。

その証拠に、砂の水、猫の祟りは、

部屋の区分を越えて隣のその若い男の部屋にまで及んだ。

本来であれば、疑う余地もないその若い男を祟ることはできないはず。

きっと、猫にはマンションの部屋の区分など、

理解できなかったせいに違いない。

人間に保護された猫は、人間に保護されたつもりなどないのだろう。

決して報われることのない人間の苦労を偲んで、

その若い男はお隣さんと乾杯するのだった。


今日も街のどこかで、野良猫は餌にありついている。

恩知らずな野良猫たちは、

餌を用意してくれた人間に感謝もせず、

不味そうに餌を食べるのだった。



終わり。


 夏本番、水に関するホラー小説を書こうと思い、

水が飲めなくなる呪いの話を考えてみました。


もしも、蛇口から水ではなく砂が出てきたら、

そして間違ってそれを飲んでしまったら、

考えるだけで喉が痛くなりそうです。


猫の呪いや祟りはよく耳にします。

しかし中には呪う相手を間違えることもあるのではと思い、

猫の幽霊の勘違いが結果として人や猫の命を救う、

という結末にしました。


お読み頂きありがとうございました。


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