プロの義妹を自称する蒼葉ちゃんは、絶対に義兄に恋をしないらしい
父親の再婚で、俺・蓮田礼に世にも不思議な義妹が出来た。
初めての顔合わせの日、都内のイタリアンレストランで、俺と彼女は出会った。
イチャイチャしたい父さんたちは、「あとは若い二人で!」などという無責任な発言を残して店を出て行く。
いや、ふざけんなよ。初対面の同年代の異性と二人きりなんて、俺たちにどうしろって言うんだよ?
仲良く会話しろってか? 異性どころか同性の友達すらろくにいない俺に、そんなハードルの高いこと出来るわけないだろう。
今すぐこの場から立ち去って、自室でゲームに没頭したい。しかし今日はめでたい場である為、そんな心中を顔に出すわけにもいかず、ただただ無言&笑顔を続けていた。
沈黙には慣れている。父さんたちが戻ってくるまで、このまま時が過ぎるのを待つとしよう。
そう思っていたら、なんと彼女の方から話しかけてきた。
「礼さん……いえ、礼兄さんと呼ぶべきですか?」
「別にどっちでも良いよ。兄妹と言っても戸籍上の話で、実際血が繋がっているわけじゃないし」
昨日までは赤の他人だったんだ。そんな相手をいきなり「兄」と呼ぶのには、抵抗があるだろう。
しかし俺の予想は、見事にはずれる。
「戸籍上とはいえ、礼兄さんは私の兄ですから。プロとして、ケジメはつけさせて貰います」
「……プロ?」
「はい。私はプロの義妹なんです」
プロの義妹とは、一体何なのだろうか?
野球選手や作家にプロがいるのは知っているけど、義妹のプロフェッショナルなんて聞いたことがない。
どういうことか説明を求めると、彼女はプロの義妹を自称する理由を教えてくれた。
「プロの義妹というのはですね――」
話を聞くと、彼女には三人の実の姉がいるらしい。
三人の姉は全員既婚者で、結果彼女には俺以外に三人の義兄がいることになる。
つまり彼女は俺と会う前から、義妹だったのだ。
「一番上の姉が結婚した時から、私は徹底して理想の義妹を演じてきました。可愛いけれど、決して恋愛対象にはならない。そんな存在になる為の努力を重ねてきました。だから私は、プロの義妹なんです」
「だから――」。彼女は続ける。
「義兄妹の恋愛なんて、漫画やアニメじゃよくあることですけど、ご安心を。私はプロの義妹として、絶対に礼兄さんを男性としてみませんから」
それは自分への宣誓であると同時に、俺への牽制のように思えて。
「私たちは義兄妹だ。恋愛感情なんて不要だ」と、そう言われているような気がした。
俺だって、これから家族になる相手に恋をすることが、高いリスクを孕むことくらいわかっている。
彼女は義妹だ。それ以上でも、それ以下でもない。改めて、自分に言い聞かせる。
こうして彼女は――蓮田蒼葉は、俺の義妹になった。
◇
数日後、蒼葉が義母と共に我が家に越してきた。
初日の夜は二人の歓迎会も兼ねて、豪勢な夕食になった。
異常に張り切った父さんが次々と料理を作った結果、4人ではとても食べ切れない量の料理が食卓に並ぶ。
唐揚げにパスタにハンバーグに。普段なら、一品だけでお腹いっぱいになりそうなものばかりだ。
余った分は唯一の若い男である俺が食べることになったので、若干気持ち悪いくらい満腹になった。
テレビを見ながら談笑をして、夜11時くらいにそれぞれの部屋に向かう。
父さんと義母さんは「夜の楽しみはこれからだ!」と言っていたけど、両親であまりそういう想像はしたくないので敢えて触れないことにした。
俺は夜型の人間で、大体毎日日付が変わるまでベッドに入ることがない。
今夜も勉強机で本を読んでいると、トントントンと部屋の扉がノックされた。
来訪者の正体なんて、考えるまでもない。
「どうぞ」と一声かけると、案の定蒼葉が部屋の中に入ってきた。
「夜遅くにごめんね、礼兄さん」
いつの間にか、蒼葉は敬語をやめている。これもプロの義妹としての嗜みなのだろう。
そんな彼女を可愛いと思うが……うん、これは恋愛感情じゃない。どちらかと言うと、ペットの犬や猫に抱くような感情だ。
「構わないよ。……深夜に男の部屋を訪ねるのは、どうかと思うけど」
「……兄の部屋でも?」
「……ごめん、さっきの発言はなかったことにしてくれ」
「お前は義妹に変なことをするのか?」と問われたみたいだったので、俺は思わず先の発言を撤回した。
「どうかしたのか?」
「んー、ちょっと眠れなくてね。引っ越したばかりで、今までとベッドが違うからかな?」
「それはあるかもな」
「だから眠れるまで、お喋りしようよ」
勉強机に備え付けられている椅子は、俺が占領している。床に座ることが憚られたのか、蒼葉は俺のベッドの上に座った。
同年代の女の子が、自分のベッドに座って脚をばたつかせている。これはあれか? 俺を試しているのか?
しかし俺は蒼葉の兄なので、そんな彼女の仕草を見てもいやらしい気持ちにはならない。
心頭滅却と言わんばかりに、俺は読書に集中し直した。
一言も発することなく本を読み進める俺に、蒼葉は不満を抱いたようで。
ベッドから立ち上がると、俺の背中に抱き付いてきた。
「何読んでるのー?」
「官能小説」
「嘘!?」
「嘘」
読んでいるのは性的描写の一切ない本格ミステリーだ。
俺は基本幅広いジャンルを嗜むのだが、その中でも特にミステリーを好んでいる。
「あっ! これってこの前映画になっていたやつでしょ? 私観たよ!」
「そうなのか。俺も観たけど、なかなか面白い作品だったよな」
面白かったから、こうして本でも読もうと思い立ったわけで。
「確か犯人は……主人公の親友だったっけ? 義妹を殺された復讐をしていたとか」
「よく覚えているな」
「それだけ面白い映画だったってことですよ。……ねぇ、礼兄さん。もし私が殺されたら、兄さんも復讐鬼になってくれる?」
冗談だとしてもあまり良いものじゃなかったので、俺は兄らしく「コラ」と蒼葉の頭を小突いた。
「滅多なことを言うんじゃない」
「……ごめんなさい」
怒られたというのにニヤついているのだから(恐らく義妹として怒られたからだろう)、こちらとしては複雑な心情だ。
「だけどまぁ、俺が復讐鬼になることはないだろうよ。取り返しのつかないことになる前にーーお前のことは必ず守るから」
その途端、ニヤニヤしていた蒼葉の口元が動きを止める。
次の瞬間、彼女の顔が一気に真っ赤に染まった。
その表情は、義妹が義兄に向けるものというより、女が男に向けるもののように思えて。
「……もう寝るね、おやすみ!」
逃げるように、俺の部屋から去って行く蒼葉。
それからというもの、俺は読書に集中出来なかった。
◇
二人が越してきて初めての週末、俺と蒼葉はスーパーに買い出しにやって来ていた。
父さんと二人暮らしだった頃は、比較的自由な時間の多い俺が買い物担当だった。どうやら蒼葉も、同じのようで。
スーパーはいわゆる、俺たちのホームグラウンドだった。
「蒼葉ー、今日の晩飯はどうするー?」
「うーん……肉じゃがにしようかな。じゃがいもは家にあったよね?」
「あぁ。そうなると、必要なのは肉と玉ねぎとにんじんか」
「あとしらたきも」
「はいはい」
どこに何が陳列されているかは、熟知している。なので俺たちは効率良く店内を回っていった。
「ねぇねぇ、兄さん。このお菓子も買って良い?」
……訂正。かなり寄り道していたりする。
しかしここまでスーパーで盛り上がれる若い男女というのも、なかなかいないだろう。まぁそれも、義兄妹という関係性があるからで。
もしこれが恋人とのデートなら、きっとスーパーには来ていない。
遊園地とか水族館とかショッピングモールとか、そういった定番のデートスポットに足を運んでいるだろう。
二人並んでスーパーで買い物をしていることが、俺たちが恋人でない何よりの証拠で。紛れもなく家族なのだと、胸を張って言えた。
卵がお一人様1パック限りだったので、2パック買いたい俺たちは二人揃ってレジに並ぶ。
会計をしている最中、レジのおばちゃんが話しかけてきた。
「あら、二人で買い物なんて、仲が良いのね」
「まぁ、家族ですから」
代表して、蒼葉が答える。
するとレジのおばちゃんは、どういうわけか驚いていた。
「家族って……随分早い結婚なのね」
『!?』
俺と蒼葉は、義兄妹である。だから二人の関係を「家族」と表したのだが……どうやらレジのおばちゃんは、それを「夫婦」だと勘違いしたらしい。
確かに夫婦も家族だし、明確な答表現をしなかった俺たちも悪いのだけど……なんだか釈然としなかった。
一方蒼葉はというと、てっきりムキになって反論するかと思いきや、顔を真っ赤にして俯いたままだった。
おいおい、そんな顔をしたら誤解が解けなくなっちまうだろう。
そう思っていると、あっという間に会計が終わり。結局俺たちは、夫婦疑惑を否定することが出来なかった。
◇
義母と蒼葉が越してきて1ヶ月が経った頃、俺たちの関係に転機が訪れた。
夕食を終え、いつも通り読書をしていると、蒼葉が俺の部屋に入ってくる。
「礼兄さん、良いかな?」
ここ数日、蒼葉は毎晩のように俺の部屋に遊びに来ている。最近では、ノックをしなくなったくらいだ。
「良いよ」
そう返すと、蒼葉は俺に近づき……そして俺の背中にもたれかかってきた。
てっきりいつも通りベッドに座るとばかり思っていたので、俺は思わずビクッとなる。
「今日もミステリー?」
「まっ、まぁ。……それより蒼葉、背中」
「背中? ……あぁ」
指摘されて、ようやく俺の背中に胸部を押し付けていることに気付いたのだろう。
しかし自覚してなお、蒼葉は俺から離れようとしなかった。それどころか、俺への抱擁が一層強まっている気がする。
「もしかして、欲情してる?」
「するわけないだろ!」
「そうなの? 私はしてるけどな」
……何だって?
蒼葉は今、「欲情している」と言ったのか?
あれほど自分をプロの義妹だと主張していた蒼葉がそんなことを口にするなんて、信じられなかった。
「蒼葉、今何て言った?」
「もうっ、礼兄さん。女の子の発言は、きちんと聞いてなきゃダメだよ。……礼兄さんに抱き着いて欲情してるって言ったんだよ」
聞き間違いでなかったとわかっても、それでも蒼葉の言ったことが理解出来なかった。
「ごめん、蒼葉。勘違いだったら申し訳ないんだけど……それってつまり、俺に恋愛感情を抱いているってこと?」
「……うん」
弱々しくも、でも確かに蒼葉は頷いた。
「プロの義妹とか言っていたくせに……これじゃあプロ失格だね。今までも義兄はいたけれど、三人ともお姉ちゃんのお嫁さんで、だから好きになっちゃいけない相手で。……礼兄さんが初めてなんだ。好きになって良い権利の残されている義兄っていうのは」
この1ヶ月、同じ家で過ごして。ありふれた日常を共有して。互いの良いところや悪いところを、間近で見ることが出来た。
その結果相手への恋心が芽生えてしまった。
血が繋がっているわけではない。互いに特定の相手がいるわけではない。その事実が免罪符となり、自身の中の恋心を増幅させていく。
そうして出来上がったのが、俺に恋する今の蒼葉なのだろう。
何でわかるのかって? 俺も同じ気持ちだからに決まっている。
「俺だって、いつの間にか蒼葉を義妹として見られなくなっていたさ。……なんて、ベタすぎる告白か?」
「良いんじゃない。私たちの関係が異常なんだから、告白くらい普通なくらいが丁度良いよ」
その日蒼葉は、密かに引退宣言をした。どうやら転職するみたいだ。
プロの義妹から、俺の恋人に。