辻馬車の中で
ルナは、どうにか一人で胸にさらしを巻き、男物の服を身に着けた。
「ユーゴ、私は、あなたの弟ということでどうかしら?
名前は、そうね…ルナリスとか?!」
ルナは楽しそうに言った。
ユーゴはサイズが小さめの服を買ってきたが、それでも細身のルナには大きく、彼女をより華奢に見せていた。どう見ても成年男性には見えないので、弟の設定は妥当と思われた。
また、ルナの長い前髪は、瞳の本来の色を暗く見せることに成功していた。
「わかった。じゃあ、辻馬車の乗り合い場所へ急ぐぞ…ルナ…リス。」
「うん!兄さん!」
ルナが元気よく返事を返した。
その日から、辻馬車を乗り継いで、南の辺境の地を目指す旅が始まった。南の辺境の地は海に面しており、いくつかの大きな港町もあった。ユーゴは、一度も海を見たことがないルナに、海を見せてやりたいと思っていた。
そして状況を見て、可能ならば、ルナと二人で海を渡り、他の国へ行ってみたいとも思っていた…。
一日中、馬車に揺られ、ときには森の中で野宿となる過酷な旅で、ルナは身体のあちらこちらが痛くなり、疲労で食欲もなくなってきてしまった。
しかし、ルナは一切、泣き言は口にしなかった。
ルナは身体は辛かったが、神殿の外は、とても呼吸がしやすい感じがした。
〝自分の身体を癒せないわけではないのだけれど、やっぱり人を癒す方が断然、力が強く作用するのよね…。〟
このことは聖女の〝癒しの業〟の特徴として昔から知られていることだった。
だからルナは、一緒に来てくれた感謝の思いを表したくて、ユーゴに〝癒しの業〟を施したかった。しかし、日頃の鍛錬の賜物なのか、ユーゴはピンピンしていた。
「ねえねえ、ユーゴ、どこか、つらいところはないの?」
と、二人きりのときに、ルナが聞いても、
「いや、俺は大丈夫だ。」
と、ユーゴはあっさり返してくるだけだった。
「え~!? つまらないな~。」ルナが口を少しとがらせて言った。
すると、「それは、聖女として、おかしいだろう?!」と、ユーゴは明るい笑みを浮かべるのだった。
身体がつらい強行軍の旅でも、こんなユーゴとの些細な会話がルナには嬉しかった。
それは、南の辺境の地まで、あと2日の行程というところだった。
辻馬車に同乗していた、6歳くらいの少年が腹痛を訴え始めたのだった。
少年は、両親と共に親戚を頼って港町へ移住する旅の途中だと聞いていた。
少年は、その日の昼頃に馬車の中で、「お腹が痛い」と言い始めたのだが、時間が経つにつれ、どんどん症状が悪化していった。
度々嘔吐をし、腹痛も強くなっているようだった。少年は少しでも腹痛を和らげようとしてなのか、頻繁に体の向きを替えていた。
そして、熱も出てきたのか、少年の顔が赤くなり、額に汗も滲んできていた。
苦しそうに身をよじる息子へ、母親が必死で声をかけ続けていた。
「ジャン、ジャン…、夕方には街に着くらしいわ。
そうしたら街の薬師様に見てもらうから、それまで頑張って…。」
ルナは、狭い馬車の中で、少年の看病を手伝っていた。
クッションを少年の背に当てて体勢を整え、額や首の汗を手巾で拭った。
嘔吐の後に少年に少量の水を含ませ、口をすすがせた。
ユーゴは嫌な顔一つせず、吐物の処理を手際よく行った。
「まずいな…、虫垂炎か?」
ユーゴが、ルナに小声で話しかけてきた。
ユーゴは、〝癒しの業〟を司る、神殿付きの騎士として、病や怪我についての一通りの知識を持っていた。
「ええ、おそらく…、時間が経つにつれ、痛みが右下腹部に限局してきている様子がある…。」と、ルナもユーゴに小声で返した。




