懐かしい呼び名
食堂を出て、町の路地に止めてある、ユーゴが借りた簡素な荷馬車のところまでいくと、フードをかぶったダフネが待っていた。そして、馬の近くには、昼に会った少年ロイと、がっしりとした体をもつ中年の男性が立っていた。
「ルナ様、大工のトムです。お見知りおきを…。」トムと名乗ったその男性は、ルナ達を荷台に乗せた後、ロイと共に御者台に乗り、すぐさま荷馬車を動かし始めた。
「ユーゴ、トムさんは…?」
荷台の後面の幌の布地を引いて開口部を閉じた後、ルナの隣に座ったユーゴに、ルナが聞いた。
「ああ、トムとロイは、俺たちが神殿から来たことを知っている。二人について今はまだ詳しく話せないが、味方だ…。」
ユーゴの言葉に、ルナは頷いた。
「ねえ、ルナ。その少年の変装はもうやめましょうね…?」
ルナの斜め向かいに座ったダフネがルナに言った。
「え!?この変装はまあまあ気にいっていたんだけど。」
と、ルナが返すと、ダフネは呆れた顔をした。
「染粉で髪の毛が傷んでしまって痛々しいもの。かつらを用意してあげるからね。
それから前髪も切りましょう。目に悪いわ…。」
ダフネの言葉に、ルナは女将さんがくれた餞別の薄いピンク色のリボンを思い出し、ズボンのポケットから取り出した。
「まあ、可愛らしい素敵なリボンね…。」
と、ダフネが言った。
「女将さんにいただいたの。いつか髪に結んでって…。」
ルナはリボンを撫でながら、つぶやいた。
「そう、その方は、ルナが女性だってわかっていたのね…。」
ダフネがポツリと言った。
ルナには、自分にこのリボンを結ぶ日が訪れるのか、全くわからなかった。
けれども、もしそんな日が訪れたなら、女将さんに見せに行きたい…、ルナはそう思った。
ダフネが言った。
「二人は、私が薬房の下働きとして雇ったということにするわね。呼び名は…、ルーとユーにしましょう? 懐かしいでしょ?」
ルナがルー、ユーゴがユーと呼ばれていたのは、同じ聖養母の元で育った最初の2年間くらい、つまり5歳から7歳くらいまでの話だった。
「それは、また、懐かしすぎる呼び名だな…。」
ユーゴが少し不満げにつぶやいた。
「じゃあ、ダフネは〝ネー〟って呼んだらいいの?」
と、ルナがダフネの昔の呼び名を出して聞くと、
「あら、私はもちろんダフネでいいわよ。これでも薬師様ですもの?」
とダフネはすました顔で言った。
「何かずるい気もするけど、いいわ。」
ルナがクスクスと笑うと、他の2人にも笑みが溢れた。
荷台から漏れ聞こえてくる楽しそうな声を聞き、御者台で馬を操っているトムは少し口元を綻ばせた。
ルナが荷台で、とぎれとぎれの仮眠をとると、朝焼けの中、村の隅に佇む家に到着した。
そして、ルナたちが荷馬車から降りると、眠そうに目をこすっているロイが替わりに幌の中に上がっていった。
ルナが御者台に座るトムに礼を言う間もなく、トムはユーゴとルナに黙礼をして鮮やかに馬を操りその場を去っていった。
〝トムさんは、ただの大工さんではなさそうね…。〟
ルナがそう思いながら、去っていく荷馬車を見送っていると、ダフネがルナとユーゴに言った。
「ようこそ、我が薬房へ。」
ダフネが家の中にルナとユーゴを招き入れた。
「狭いけれど診察用のベッドがある部屋と、患者さんが休憩するための部屋が一つずつあるから、そこを使って休んでいてくれる?私はちらっと患者さんたちの様子を見に行ってくるから。」
ダフネはそう言って、すぐにまた出て行ってしまった。




