聖女ルナ
「ユーゴ! 私と一緒に神殿から逃げてちょうだい!」
中央神殿の一室で、世界に十数人しかいない聖女の一人が声をあげた。
彼女の名前は、ルナ。聖女の序列では5番目にいる、高位の聖女である。
「聖女様、ご冗談をおっしゃっては困ります。
午後一番目の〝癒しの業〟ご希望の方が既にお待ちのようでございますよ。」
ルナの言葉をさらっと流したのは、聖騎士と呼ばれる神殿付きの騎士のユーゴだった。
ユーゴは、今月は、ルナの警護についていた。
「いいえ、ユーゴ、私は本気よ!もう神殿での生活には耐えられない!
これから一緒に神殿脱出の綿密な計画を立てていきますからね!」
そう言って、ルナは一人で〝癒しの業〟を施す部屋へ向かってしまった。
〝まったく、ユーゴったら、いつの間にか、お堅い騎士の取り澄ました顔ばっかりするようになっちゃって! 気に入らないわ!〟
ルナは、むしゃくしゃしていた。幼馴染のユーゴなら、多くを言わなくてもルナのことをわかってくれる気がしていた。それなのに…。
ルナは、銀色に輝く、ウェーブがかかった長い髪と、紺碧の空色の瞳を持つ21歳の女性だった。
低位ではあるが貴族の生まれであり、見目がよかったので、聖女に叙任後は、神殿の祭祀にも早くから役目を言いつかり、〝癒しの業〟の力も強かったので、聖女としての地位もどんどん上がっていった。
そして、神殿では、貴族階級に〝癒しの業〟を施すのは、同じ貴族階級出身の高位の聖女が担当することになっていた。
ルナとしては、本当は、貴族階級だけではなく、神殿に集まってくる様々な人々と交流したかった。そして、人々を通じて広い世界を感じてみたかったが、それは今の環境では、叶わないことだった。
そして、ルナにとって、一番嫌なことは、〝癒しの業〟を、貴族のじじい、いや壮年の男性たちに施さなければならないことだった。
求める人、病める人に業を施すことはよい、それは聖女としての自分の役目だとしっかり受けとめている。だから、そこは粛々と、ただ神から授かった力により、業を施していきたかった。
それなのに、貴族の男性が、「私の息子と結婚しないか?」とか「養女として迎えよう。」などと言ってくることがよくあった。
今まで聖女の地位にいた女性が、役目を退き、婚姻するなどして俗世へ戻ったことがあるとは聞いていた。けれどもその多くは聖女としての力が弱くなったり、序列が低い聖女であったらしい。
それなのに、なぜ、まだ力が強い、高位の聖女である自分にそんなことを言ってくるのか、ルナには理解できなかった。
実は、ルナは、その見た目が美しいだけではなく、表情や瞳に生き生きとした生気を宿している様子が、他の浮世離れした聖女たちの様子とは異なっていた。
貴族の男性たちは、その生気の輝きに惹かれ、声をかけている…などということは、ルナにはあずかり知らぬことだった。
そして、ルナは、神殿の定めるまま、毎日〝癒しの業〟を施し、時に神殿の月例の祭祀に駆り出されている今の状況を、とても窮屈に感じるようになってきてもいた。
〝何せこちらからは、「嫌です。貴方には業は施せません」と言えないことがつらいのよね…。〟と、ルナには聖女らしからぬ考えまで浮かぶようになってきていた。
〝こんな不届きな思いで聖女をやっているのも、神様に申し訳ない気がする…〟ルナはそう思うようになり、いっそのこと神殿から抜け出て、世界を見てみよう、自分の好きなことをしよう、と決意したのだった。