第14話 異世界の海は牙を剥く
「ペストリーゼ行きの船が出るのは3時間後で、大通りを抜けた先の港に集合ね! それまで各自自由時間!」
はーい、と元気に返事して、それぞれが思い思いの方向へと歩いて行く。
ここはシュレイツ王国東に位置する港町『ミルツ』
潮風に吹かれながらさっき屋台で買ったイカ焼きらしきものをぱくりと頬張ると、ミラレスよりもはるかに新鮮な海産物の旨味が口いっぱいに広がる。
馬車の旅を終えた俺は、ペストリーゼ行きの船に乗るべく、ミルツでまったりとしたひと時を過ごしていた。
街の中からでも海底が見えてしまいそうなほどに透き通った青い海も、悠然と佇む巨大な帆船も、木造りの船着場も、全てが一体となってこの港町の魅力を引き立てている。
「あーおいしかった。まだまだ時間あるし、ちょっと早めのランチと洒落込むか」
こうして一人で知らない街をぶらぶらするのは久しぶりなので、つい浮足立ってしまう。
そんな気分でいたせいか、気が付くと、やけに一通りの少ない路地へと足を踏み入れていた。
「ん、なんだあんちゃん、見ねえ顔だな……観光かい?」
「え? あ、はい。ランチにしようかと思ってたんですけど……ここら辺においしいレストランとかあります?」
通りすがりの白髪頭で焼けた肌の厳ついおっちゃんに話しかけられ、ありのままの現状を話すと、おっちゃんは頬を釣り上げ、値踏みするような視線を向けてきた。
「あんちゃん……この路地に来たってことは相当なグルメだな。この路地の屋台はミルツ1だからな」
「え、えと……わぁい?」
街並みを眺めながら適当にふらふらしていただけなのだが、ミルツ1の屋台が立ち並ぶ路地に来れたらしい。これはラッキー。
しかし妙なことに、周囲に屋台は一つもない。それどころか、このおっちゃん以外に人の気配はない。
「だが生憎、こんな有様だ。ここ最近はこんな感じだよ」
「何かあったんですか?」
「……リヴァイアサンさ」
「リヴァイアサン?」
その名前には聞き覚えがある。バジリスクに匹敵するほど危険とされている、大型の魔獣の名だ。
生息地は海のどこか。突然現れては甚大な被害を残してまた姿を消すといった神出鬼没っぷりから、生態はまだまだ謎に包まれている。
その姿や能力は、海が龍の形をしているかのようで、周囲の海水を身に纏い、自由自在に操ることができるとされている。
まさに災害。攻撃手段の限られている船の上では、まず勝ち目はないだろう。
「奴が暴れまわっててな。ここに卸される食材が手に入らなくなっちまったんだとよ」
「そう……なんですね」
「ま、ここら辺じゃないらしいし、この街全体への影響はほとんどないけどな」
「近海じゃないってことは……別の国なんですかね?」
「さぁな。そこら辺は俺も良く知らねえ。とにかく、ここじゃうまい飯は食えねえぜ」
「ありがとうございます」
リヴァイアサンの出現……ギルドに帰ったらまたてんてこまいなグリス先輩が見られるのだろうか。
なんて思いつつ、さっきの路地とはうってかわって賑やかな表通りに出ると、非常に見覚えのあるエメラルドヘアーの女の子が、人混みの中できょろきょろと周囲を見渡していた。
「どしたの?」
「あ、先輩……ちょうどいいところに……」
話しかけてみると、相変わらずの無表情で、エメラルドさんは駆け寄って来た。
「ってか、キリエちゃんは?」
解散した時、エメラルドさんはキリエちゃんと共に街へ繰り出して行ったが、辺りを見渡してもキリエちゃんの姿がない。
「キリエはおっちょこちょい。気づいたら迷子になってた」
「……そ、そうか」
70%くらいの確率でこの子が迷子になってそうだけど……なんて考えは海へ投げ捨てて、現状の打開策を考える。
「はぐれてからどれくらい経った?」
「んー……ちょっと前までは一緒に居たから、そんなに離れてないはず」
「そりゃよかったけど……この人混みじゃ探すのも一苦労だな」
「空から探したら早いかもだけど……私【飛行】使えないし……」
「疑似【飛行】ならできるぞ」
「……あれこわいからやだ」
模擬戦のあれを思い出したのか、一歩俺から身を引くエメラルドさん。
普段から考えられないくらい叫んでたもんな……もう一回やったらまた聞けるかな? (俺の中の悪魔)
「そういえば、『パレード』の時に俺を遠くから狙撃してたよな。その要領でキリエちゃん探せばいいんじゃないか?」
「あれは……あの時被ってた仮面のおかげ。植物と視点をリンクするって感じの魔法が込められてるの」
「そうだったのか」
植物に視点なんてものがあるのかと思うが、ここは武器に魔法が宿る世界だ。今更そんなことで驚いていては埒が開かない。
「それでその仮面はお家に置いてきた。魔力消費多いし」
「そうなると……やっぱ高いところから探すしかないか」
「え」
一歩下がって、身を守るように肩を抱くエメラルドさん。
あの疑似【飛行】はよほどのトラウマのようで、ふしゃーと威嚇までしている。
「そんな警戒しなくても、あれはもうやんないよ。ちょっと建物の上に登るだけ」
「どうやって?」
「それはだな――」
「……はぐれてしまいました」
エメラルドさんとはぐれて3分ほどが経っただろうか。
私の五感を研ぎ澄ませても一向にエメラルドさんと合流できない。まずどこではぐれたのかすらもわからないので、探しようがない。
(振り返ったらいないってどういうことですか! ドッキリとかだったら泣いちゃいますよ私!)
私の背丈ではこの人混みの中で探すのは困難なので、魔力で身体能力を強化して手ごろな建物の屋根に飛び乗る。
「んー……んーいないです……」
はぐれたであろう辺りを眺めて見ても、あの特徴的なエメラルドヘアーは見つからない。
屋根を伝って散策しても、どこにもエメラルドさんはいなかった。
「キリエちゃんミッケ!」
「!?」
落ち込んでいる私の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「よいしょっと、よかったな合流できて」
「うん、大儀であった」
「えっらそ~」
「な、なんでキョウト先輩がエメラルドさんをお姫様だっこしてるんですか!?」
というか、いまどこから降ってきて……
「とりあえず、地面に降りよっか」
「あ、そうでした」
そそくさと飛び降り、二人で行く予定だった海鮮レストランへと足を踏み入れる私達。
「俺も一緒でよかったの? ……もしかして財布要員か?」
「ち、違います! 普通にご一緒できたらなぁとおもいまして……」
「先輩とごはん~」
「二人がいいならいいんだけどな……」
「はい。それより、さっき私を見つけたのは一体どうやったんですか?」
私はずっと気になっていた話を切り出す。
あの時、周辺に高い建物は無かった。二人は【飛行】の魔法を使えないから空を飛んだってこともないと思う。
「空に足場を作って、疑似【飛行】した。ちょっとこわかったけど、おかげでキリエを見つけられた」
「疑似【飛行】?」
エメラルドさんは淡々と説明するが、私はその内容をいまいち飲み込めない。
空中に足場を作るとなると、ジェイル先輩の【空気操作】くらいしか思い浮かばないが、キョウト先輩もエメラルドさんも使えないはず……
「あー、覚えてるかな? 霧結いに込められた魔法」
「【締結】……空間と空間を繋げる魔法ですね」
「それを空中で使って、地面と繋げた。そこに立てば、地面に立ってるのと何ら変わりはないんだ」
「な、なるほど……そういうことでしたか」
それなら魔力の続く限りいくらでも空中に留まることができる。
【締結】にも効果範囲があるとキョウト先輩は言っていたが、ここからでもぎりぎりミラレスに届くほどの効果範囲だ。理論上、どこまでも高く昇っていけるだろう。
「既に上に居たんですね……いくら探しても見つからないわけです」
【締結】はその効果、魔力消費量の少なさ、応用性と、どれをとっても腐ることのない強力な魔法だ。
特に応用性。キョウト先輩が持つのなら、それこそが一番の武器になるだろう。
「これに懲りたら、もう迷子になるんじゃないぞ」
「なんで私の方を見ながら言うの」
「イカ焼きの匂いにつられていったエメラルドさんが悪いと思うなぁ俺は」
「あれはイカ焼きが悪い……おいしそうだったから……」
「それでも、何も言わずに離れたんだから、ちゃんとキリエちゃんにごめんなさいしなさい」
「う……ごめん、キリエ」
「……はは、もう気にしてないので大丈夫ですよ。……ふふ」
「?」
「なんか面白いことでもあったか?」
「いえ、二人がなんだか兄妹みたいだったので、つい笑っちゃいました」
お兄ちゃんに叱られて素直に謝る妹みたいなやり取りに、思わず笑ってしまう。
まるでずっと一緒に育ってきたかのように、自然な会話だったから。
「お兄ちゃん……うーん……」
「うぐっ! ち……違う! 俺の妹は京ちゃんだけだ……!! 落ち着け俺……耐えろ……耐えるんだ……お兄ちゃんを抑えるんだ……!!」
考え込んでしまったエメラルドさんと、何やら変なことを言いながら悶えるキョウト先輩。
……私はどうしたらいいのだろう。
と思ったのもつかの間。すぐに注文した料理が運ばれてきて、3人で食事を楽しんだ。
ちなみにお代はキョウト先輩が全部払ってくれた。流石に悪いと財布を取り出したけど、こういうのは未来の後輩に奢ってあげるもんだよ、と制止された。お、お兄ちゃんっ……!!
× × ×
「ふぅぅ……」
数時間後、俺たちは大海原へと繰り出していた。
これよりペストリーゼ帝国に向かう3日の間お世話になるこの船の名は『ハイ・ドルフィン』と言い、全長40mはあろうかという大きな帆船だ。
ただの帆船と言うわけでもないらしく、正しくは『風魔船』と言い、風魔法を封じ込めた魔石なる物を使って、風向きを自由自在に変化できるらしい。
個室もかなり大きく快適なもので、大満足の船旅になりそうだ。
「あー……だからハンモックなのか……」
ゆらゆらと揺れるハンモックに身体を預けながら、ただ何もせずぼーっと過ごしてみる。
これ普通のベッドだったら波で転げ落ちてただろうなぁなんて思いつつ、窓の外を眺めていると、個室のドアがノックされ、勢いよく開けられる。
「京斗も釣りしよ」
「ノックしたなら返事待とうか? まぁいいけど」
慣れないハンモックに手間取りながら降りて、真奈に連れられて甲板へと出る。
この船に客は俺達しかいないらしく、実質的な貸し切り状態となっている。これで気を遣うことなく船旅を楽しめる。ラッキー。
「お、来たねキョウト。はいこれ釣り竿」
「さんきゅ、レナ。釣果どんなもん?」
「生憎坊主だよ。あ、先にどっちが釣れるか勝負しよっか」
「っしゃ乗った。今誰が一位?」
「私……これくらいのが二匹」
真奈が自分の胸の前で手を広げ、50cmはあろうかという釣果を誇示する。
「強敵だな……燃えて来たぜ」
レナから竿を受け取り、陽炎揺らぐ海際へと歩いて行く。
まだ旅は始まったばかり、まずはゆったりと釣りでもしてのんびりとした時間を過ごそうではないか。
そんなふうに呑気な釣りを楽しもうとしていたところに、真奈がふと問いかけてくる。
「……釣った魚どうしよっか」
「食えばいいんじゃね? 冷蔵庫みたいな魔法具あるんだし」
「寄生虫とか大丈夫かなぁ……」
「ふっふっふ。それなら心配ご無用」
俺は背面に着けた霧結いを抜き、締めて血抜きされた魚を手に取る。
「【締結】」
右側に出現した霧のワープホールに魚を入れ、左側のワープホールから出て来た魚をキャッチする。これぞ発想の勝利、【締結】式寄生虫排除法だ。
「えっと、どういうことなの?」
「【締結】はどうも生物をワープできないっぽくてな。体の一部ならともかく、全体を入れようとしても弾かれちゃうんだよ。この魚はもう死んでるからワープできたけど、中にいる寄生虫は弾かれる」
「なるほど、そういうことだったんだね……よく見たら寄生虫が落ちてる……きしょぉ……」
「てなわけで、早速刺身にしようか!」
「釣った魚を即刺身……ちょっと憧れちゃうね」
俺も真奈も魚を捌くほどの技能は無いので、調理係の人にお願いする。「え、生で食うの?」見たいな顔をされたが、事情を説明したら不安そうにしながらも捌いてくれた。やさしい。
そうして出来上がったお刺身の味は……その……
「「……あんまりだな」」
魚は寝かせた方がおいしいらしい。ま、まぁ……これも経験ですな。うん。
× × ×
緩やかな船の旅ムードもつかの間。楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、明日の朝には既にペストリーゼ帝国の港に到着しているだろう。
だってこの船異様に設備が良くて快適なんだもん! 結構広めなお風呂とか快適な談話室とか! 無限にあると思ってた時間は無限の彼方へ消えてしまった。
しかし、正直そろそろ海も見飽きてきたので、手早い到着を願うばかりだ。旅は切り替えが大事。
「どうだレオ! この俺のフラッシュには敵うまい!」
「……フルハウス」
「あああああああああ!」
「僕の3連勝だね」
「キョ……キョウト……ぷふ……そんな自信満々に出して……っ」
相変わらず強い日差しが降り注ぐ甲板で釣りをする後輩組の談笑をBGMに、俺の個室に集まる2年生3人組。一人は勝って、一人は負けて、一人は負けた奴を笑っている。
はい、負け組白鷺京斗でーす。只今ポーカーでボコられ中。教えるんじゃなかったこのゲーム!
「ふ……船の揺れのせいだから……ベストコンディションの俺はこんなもんじゃないから……」
「揺れてるのは君の視線だけどね」
「うぐぐぐぐ……はぁ……もう一戦!」
別に賭けをしているわけではないのだが、こうも白熱してしまっては俺も本気を出さねばなるまい。
「せーの」
「スリーカード」
「ははっ、フォーカード!」
「おおお、キョウト勝った!」
よし、これでかろうじて言い出しっぺのメンツは保てた……
「さぁて、女の子達に混ざって来るかなぁ~」
と、部屋を去ろうとした瞬間、肩をがしっと掴まれる。
「女の子に混ざるのは死罪じゃなかったのかな? キョウト?」
恐る恐る振り返ると、9と書かれたトランプを5枚持ったレオが笑顔で問いかけていた。
「あー! キョウト能力使ったねー!?」
「……すいません」
観念して能力を解くと、フォーカードは崩れ、役無しの手札へと戻る。
「こんなことまでできるとは……ほんと便利な能力だね」
「だよねー。私もキョウトの故郷に行ったら教えてもらえるかな……」
「悪いけど……俺の故郷には誰も帰れないんだ。一方通行なんだよ」
「そうなんだ……残念」
間違った表現ではないと思う。『喰雲』ではない以上、俺たちの世界に戻ることなんて……
……本当に無いのだろうか。
「まぁそれは置いといて、今は波も穏やかだし、いっぱい釣りするのも悪くないね」
「あ、あぁ、そうだな」
降って湧いた疑問につい意識が向けられるが、例えその方法があったとしても、あまりいいことではないのだろう。
皆自分の世界で暮らした方がいいだろうから。世界の調和的な意味でも、個人の待遇的な意味でも。
「あ、みんな……混ざりに来たの?」
「おう。いいか?」
「私達は良いんですけど……少し気になることがありまして……」
「……気になること?」
釣り竿を取りに行こうとした手を止め、不思議そうな声色でそう言うキリエちゃんに問いかける。
「魚がやけに多いの。さっきから水面で跳ね回ってる」
「エメラルドさんの言う通り、大小いろんな魚が同じ方向から通り過ぎていくんです」
「同じ方向から……?」
水面を見てみると、確かに今までにないほどの魚影が見える。
その様子は慌ただしく、まるで……
「――何かから逃げてる?」
「先輩……! あそこ……!」
その時、エメラルドさんが魚が来る方向の水平線を指さす。特に異常はなく、ただの海だ。
しかしエメラルドさんの様子は何かおかしい。俺は能力で視力を9まで引き上げて、彼女の指さす先を凝視する。
すこし高い波があるただの海?
(……いや、違う)
あれは波じゃない。明らかに意志を持った挙動をして、だんだんとこちらに近づいてきている。
『……リヴァイアサンさ』
『リヴァイアサン?』
出航前にミルツで話した記憶が蘇る。
まさか……あれは……!
「【締結】! エメラルドさん、これを!」
部屋につなげたワープホールに手を突っ込み、エメラルドさんの弓を取り出す。
「……うん、わかった」
「二人とも……一体どうし……っ! なななんですかあれ!」
だんだんと波紋が広がる中、まるで砲弾のような水が船の周りに降り注ぐ。
発射されたそれが船の近くに落ちる度に、大きな波が立って船ごと俺たちを揺らす。
「っ! 正当防衛成立だ! 思いっきりやってやれ!」
「【紫電よ撃ち抜け――雷纏矢】」
エメラルドさんが放った稲妻は一直線にそいつへと命中するが、見たところダメージは無さそうだ。
それでも無視はできなかったようで、海が膨れ上がり、巨大な水柱が噴き出てくる。
その水柱はだんだん龍の形へと変化していき、完全に空中へと飛び上がったその姿は、まさしく水龍といった容姿だ。
「船の中に避難して! 早く!」
「な……何でこんなところにアイツが……! 航路はずらしたはずなのに……!」
「ひぃっ! こ、こっちに来てる!」
レナが呼びかけると、船員たちはすぐに船の中へと非難する。
この船に大砲なんかの防衛機能はない。そもそもこんな魔獣と接敵することすら想定されていないのだ。
「先輩……結構本気で放ったのに効かない。あいつなんなの……?」
「おそらくは……リヴァイアサンだ」
海を纏う災害……まさかこんなところで接敵するとは。
猛進するリヴァイアサンの勢いは止まらない。むしろ加速する勢いで、風を受けて進む船を追尾するように突進してきている。
「レナ、やるぞ」
「おーけー。逃げられなさそうだしね……久しぶりの大仕事だよ!」
船までの距離はあと僅かに迫ったところで、リヴァイアサンは船と並走するように泳ぐ。
「真奈、下がってろ。レインさんも」
「は、はい……」
「頑張ってね、京斗!」
彼女たちには悪いが、役者不足だ。無為に危険に晒すようなことはしたくない。
これでこの場にいるのは二つ名持ちだけとなった。
真奈とレインさんが船の中に避難した瞬間、並走していたリヴァイアサンが飛び上がり、俺達目掛けて突っ込んでくる。
「ここは任せて! 【留まれ――空気操作】!!」
口を開けて飛び込んでくるリヴァイアサンが、まるで見えない壁に阻まれたように空中で弾き飛ばされる。
「助かったぜレオ!」
「どういたしまして。でもそう何度も持たない。予想以上に強敵だ」
「んじゃ作戦は決まったな――やられる前にやれ!!」
「了解! 【穿て――雷槍】!!」
「【影手裏剣・明】!」
「【紫電よ撃ち抜け――雷纏矢】」
俺の声を皮切りに、皆が一斉に魔法をリヴァイアサンに向けて放つ。
しかしどれも効き目は薄く、黒く濁った海水に消えていくだけ。
リヴァイアサンは海中の不純物が混ざって黒く濁った海水を纏うことにより、本来の姿をうまく隠している。
どれが本体でどれが水か。見ただけでは区別がつかない。
しかしこの船の倍はありそうな黒い水龍を見るに、本体もかなり大きなものだろう。
「ダメだよキョウト、手ごたえが無さすぎる!」
「……やっぱ問題はあの海水か」
まずは纏っている水を取っ払わない事には打つ手がない。
しかしさっきの攻撃で無反応と言うことは……あの水を剥がすにはまだ火力が足りない。
「っ! また来ます!」
「やば……!」
「エメラルドさん!」
再び飛び上がったリヴァイアサンは、今度はエメラルドさんに向かって突っ込んでくる。
回避しようとするも、リヴァイアサンが飛び上がった衝撃で起きた波で船が揺れ、エメラルドさんの体制が崩れる。
レオの【空気操作】も間に合わない。そう思い至るより先に、俺の身体が動いた。
【100m→999m】
【平然と走れる傾斜10°→90°】
強化した脚力と体幹でエメラルドさんの元へと駆け寄り、へたり込む彼女の身体を抱き上げる。
【リヴァイアサンとの距離2m→9m】
そして瞬間移動で距離を離し、間一髪で回避する。
巨体が甲板に激突した衝撃で船が大きく傾くが、ハイ・ドルフィンの復原性はかなりの物で、転覆はせずに済んだ。
リヴァイアサンは身をよじって再び海へと戻り、奇を衒うように船との並走を再開した。
「あ、ありがと……先輩」
「どうも。それより、どうしてエメラルドさんを狙ったんだ……?」
「私にもわからない……けど、迷いなく突っ込んできてた」
エメラルドさんをそっと降ろし、再び警戒態勢を取る。明確な遠距離手段を持たない以上、俺はこうしてリベロに徹した方がよさそうだ。
このままじゃジリ貧だ。さっきは何とか間に合ったが、何度も続けられたらどうなるかわからない。
緊張が張り詰める中、ある冒険者が名乗りを上げる。
「はぁ……仕方ないか……キョウト、レオナルド君、手伝って欲しいことがあるの」
「俺とレオってことは……まさかレナ、あれをやるつもりか?」
「今の私達じゃどうしようもないからね。お願い」
「……わかったよ。君がそう言うなら」
エメラルドさんとキリエちゃんが首をかしげて見守る中、レナの両サイドに移動した俺たちは、それぞれレナの肩にそっと手を置く。
正直あまり良い方法じゃないが、この状況を打破するにはこれが一番手っ取り早いのもまた事実。
レナの最大火力で、あの水龍のガワを取っ払う。
「【兵士よ轟け――千変盤下・魔】」
これがレオの本質。あの強力な風魔法を差し置いて、最も評価されている魔法。
それがこの希少魔法【千変盤下】だ。
現存する付与魔法の最高到達点と言ってもいいようなこの魔法は、触れた対象に様々な種類のバフをかけることができる。
今回レナにかけたバフは、魔法の威力を一定時間底上げするというものだ。
これにより、レナの扱う魔法の威力は、もはやさっきまでとは比べ物にならない。
「【撃滅せよ――三又雷槍】ッ!!」
雷鳴を轟かせながら出現した先端が3つに分かれたその巨大な雷槍は、もはや柱と言うべきか。
海の災害を鎮めるのは、同じく海の化身こそふさわしい。いつかの神がそうしたように、雷槍の穂先は滅するべき悪しき存在へと向く。
そして次の瞬間、異世界からの能力により、神の裁きは九つに増える。
「食らえぇぇえええええ!!!」
九つ全ての雷槍は、レナが腕を振り降ろすと同時に、黒い水龍へと突き刺さった。
その瞬間、リヴァイアサンが体に纏っていた全ての海水が弾け飛び、その下にある本体が姿を現す……
と、誰もが思った。
「っ……! いない……!?」
「身体の全てが……海水だったのか……?」
動揺は瞬く間に広まるが、それに反するように、海は波一つない穏やかな海へと戻る。
まるで最初から何もいなかったかのように、リヴァイアサンは姿を消した。
「本体は確かに存在するはずだ。リヴァイアサンの討伐例は過去にあるし、特徴的にさっきの奴がリヴァイアサンじゃないなんてこともあり得ない!」
そうは言ったものの、ならこの状況はどう説明すればいいんだ? と、答えの出ない自問自答を繰り返してしまう。
「よくわからないけど……終わったの?」
「気配もありませんし、波も穏やかになりました……安心と言うよりは不気味ですね」
「警戒は怠らないようにな。俺はレナを休ませてくる。レナ、大丈夫か?」
一応皆に声をかけて、へたり込むレナに肩を貸す。
「はぁ……はぁ……だ……ない……」
「ん? 何だって?」
明らかに魔力切れの兆候が見えるレナを船内に運ぼうとするが、何かを訴えるように必死に言葉を絞り出そうとしている。
聞き取ろうと耳を傾けたその時、再び海が牙を剥く。
「まだ……終わってない!!」
瞬間、火山の噴火のように、水柱が轟音と共に吹き上がる。
先程よりもさらに高く吹き上がった水柱が、挙動を変えて甲板に降り注いだ。
そしてその中から、一人の男が現れた。
「いやはや、参ったね全く」
大きな口を開けて笑いながら、ひらひらと手を振っているその様は、とても憂いているようには見えない。
一歩、また一歩と距離が縮まるその度に、本能が危険だと訴えかける。
「さっきの攻撃はビビったよ。もう少しずれてたらどうなってたことか」
「キリエちゃん、エメラルドさん。レナを連れて船の中へ」
「え……でも……」
「いいから早く!」
「は、はい!」
「っ……あとで説明してね」
レナの身体をキリエちゃんに預け、目の前の男を見据える。
「……無理しないでね、キョウト」
二人に支えられながら歩くレナが扉を閉めたと同時に、男は困ったように頭を掻いて再び口を開く。
「あれま、あんまり歓迎されてない感じかな」
「そりゃそうだ……って言いたいところだけど、聞きたいことが山ほどある」
「俺もだ。君達に聞きたいことが山ほどある」
睨み合い、同じような言葉を交わし合う。
そしてそうあることが当然かのように、俺たちの会話は続く。
「その警戒からして、君はどうせそうなんだろう? とすればこれが最後の会話になる。存分に話し合おうじゃないか」
「あぁ。じゃあ単刀直入に……何故こんな海で船を襲う? それも魔獣に扮したりなんかして」
俺もこいつも、互いに警戒は解かない。
とっくに理解している。ここはもうただの船の甲板じゃない。血みどろの戦場、それがこの船の辿る運命だ。
「君は知ってるかな? 魔獣使いを」
「……あぁ」
予想外の単語に、俺だけではなく話を聞いていたレオの身体も強張る。
「彼はこの世界を巡って魔獣を集めているそうだ。陸海空、様々な場所を巡ってね」
なるほど、あれ以来ギルドに情報が無いわけだ。既に国の外に出ていたのか。
「そこでリヴァイアサンという大型の魔獣を装って、彼を釣ろうとしたわけさ」
「なるほどな」
強力な魔獣を集めているのであれば、リヴァイアサンは是非とも捕獲したいはずだ。これでこいつの行動には説明がつく。
しかし、リヴァイアサンの目撃情報からしてかなり暴れていたようだが、そこまでして仕留めようとする魔獣使いに何か恨みでもあるのだろうか。
そのことを聞きたかったが、今度は向こう側から質問が飛ぶ。
「この船はペストリーゼ行きの船だよね。どんな目的があるんだい?」
「ただの旅行だ。少なくとも、敵がいなければな」
「……ふーん、ずいぶん呑気だね」
「生憎石橋は叩いて渡る主義でな。ローリスクハイリターンを心がけてる」
「そうか。俺とは正反対なようだ」
隣で聞き入るレオは終始困惑気味だが、それもそのはず。
素性がわかれば即殺す。それが俺たち『喰雲』に与えられた使命だ。
そしてこの会話は、相手の持つ情報をできる限り引き出すための情報収集だ。どうせどちらかが死ぬのだ。であればできるだけ情報を引き出して殺すのが得策だ。ノルン・ストックのように。
「さて、もう僕が話せる事は無いよ」
「俺もだ。これ以上は個人情報だからな」
そんな数分にも満たない会話を終え、俺たちは再び睨み合う。
レオも俺たちの雰囲気の変化を察したのか、静かに魔力を纏わせる。
しばしの硬直、動くものは3人の間を抜ける潮風のみ。
「そうだ、名前を聞いていなかった。俺は海原慶次。君は?」
「……キョウト・ホワイト」
「顔立ちはちょっと日本人っぽいけど……外国の子か? いや、ハーフかな? まぁいいや」
一人でぶつぶつと言い始めた目の前の男……海原は一つ咳ばらいをし、仕切り直すように俺へと向き直る。
「――『大海賊』」
「『管理者』ッ!」
二人の『喰雲』が動いたのは同時だった。
海原は甲板から海に飛び降り、能力で加速した俺の拳は空を切る。
水しぶきが落ち切るころには、海原の姿はどこにもなかった。
「聞きたいことは僕も山ほどある。後で聞かせてもらうよ」
「あぁ、そのつもりだ」
真剣な眼差しのレオが手を差し出し、俺の胸に触れる。
「【兵士よ轟け――千変盤下・力】」
「ありがとう、助かる」
「お安い御用。それより、来るよ!」
体の底から力が沸き上がる。手の中には万力が生まれ、脚に翼が生えたかのような全能感が身体を支配する。
身体能力向上のバフ……能力での強化とはまた違った感覚だ。
そしてレオの忠告通り、船から少し離れたところに水柱が吹き上がった。
しかしどうも様子が変だ。さっきまでのような龍の形ではなく、上に向かって水が流れ、その到達点がだんだんと膨張していく。
まるで、何か破裂するような……
「まずい!!」
気づいた頃にはもう遅い。滝を水平方向にしたような洪水が、俺達へと放たれた。
もし当たればひとたまりもない。俺の持つ手札を総動員し、最大の防御手段を遂行する。
【レオのバフ 身体能力2.5倍→9.9倍】
【100m走→999m走】
自前の能力でさらに己を強化し、魔力を全身に巡らせる。
今の俺には、音でさえ追いつけない。
「攻撃は……最大の防御ッ!!」
迫りくる洪水目掛けて飛び上がった俺は、思い切り拳を突き出した。
「めちゃくちゃだな……キョウトは」
爆発音が辺りに響き、大量の水飛沫が霧散する。
幸い船に損傷はない。所々穴が開いているが……うん、元からあったことにしとこう。ぶん殴った拳も無事だし、万事解決だ。
「にしても、あんなのが連続で飛んで来たらいくら頑丈な船でも流石にヤバいぞ」
「……いや、僕に考えがある」
対策を練ろうとした時、レオが確信を持った声で言い放つ。
「船のことは僕たちに任せて」
「お前が言うなら信じるよ」
力強く頷いた後、レオは船内へ戻り、俺は海へと飛び降りる。
泳ぎはあまり得意ではないが、今からする行為はもっと別物だ。
「行くぜ『喰雲』……海上戦だ」
足が水に着くと同時に、能力で身体が水中に沈む時間を延ばし、巨大な水柱の方へと駆け出す。
流石に速すぎるので、レオのバフの倍率は元に戻したが、自前の脚力のバフが生きている今の俺なら水上を走ることは造作もない。意外と踏み込みが効いて快適なくらいだ。
「さっさと出てこいやァ!」
そして吹き出す水柱へと拳を構えながら跳躍し、真っすぐ叩き込む。
単純な暴力を受け、海水は全て霧散するが、手ごたえはない。既に本体は移動しているようだ。
「乱暴だなぁ」
「っ! 後ろ――」
巨大な水柱はブラフ。本命は背後に吹き上がった海水から姿を現した海原だった。
考えるよりも先に体が反応し、空中で身をよじって体制を反らす。
その直後、俺の心臓があった位置に、超高速で水の弾丸が通り抜けた。
「なんでこれが避けられるんだよ! おかしくないかぁ!?」
「背後からの奇襲は後輩がよく使うんだよ!」
【締結】を甲板に繋ぎ、安定した地面へと着地する。
そしてすぐに海面へと降り、脚が沈むより先に駆け出す。
「随分物騒な後輩だねえ。じゃあこんなのはどうかな?」
海原が両手を広げると、周囲の海水が球体へと形を変え、空中に静止する。
「避けてみな!」
そして両手を突き出すと、浮かんでいた水球はまるで弾丸のような速度で俺へと飛んできた。
海原の付近だけではない。いつの間にか俺の周囲には、同じような水球がいくつも浮かんでいて、それら全てが一斉に襲い掛かって来る。なんと物騒なシャワーだろう。
「でも残念! それも経験済みだ!」
【水球との距離2m→9m】
「瞬間移動!? 身体強化だけじゃないのかよ君の能力は!」
能力を連続で使用し、襲い掛かる水球を避け続ける。
海原には悪いが、速度も危険度も冒険者狩りの剣の方がよっぽど上だ。あれに比べれば、この程度の全方向攻撃は避けられて当然だ。
しかしすぐに追撃が来る。行きつく暇もない水弾の雨を掻い潜りながら面食らう海原へと肉薄するが、その身体がちゃぷん、と海に沈んだ。
「ちっ! またか!」
しかしまだ近くにいる。そう思い至った瞬間、俺は再び【締結】を甲板に繋ぎ、安定した足場で体制を整える。
そして拳をより一層握り締め、海面へと叩き込んだ。
「貫け、一射九撃」
【殴った回数1回→9回】
一射九撃を発動したと同時に、海面に穴が開いた。
「まだまだ!」
【殴った回数10回→99回】
再び発動すると、海面の窪みはさらに大きいものとなる。
まだ海原の姿は見えない。
「もう900発ッ!!」
【殴った回数100回→999回】
「――なっ!?」
「そこか!!」
衝撃と共に海水がめくれ上がり、深く潜ろうとしていた海原の姿を捉える。
自分の周辺の海水が突如として消失したことによって振り向いたその顔は驚愕に染まっており、僅かな恐怖も伺える。
絶好のチャンスに飛びつくように、霧結いを抜いて海原へと猛進する。
(このまま仕留め……!)
しかし、落ち着きを取り戻した海原が指を突き出した瞬間、俺の中に最大音量の警報が鳴る。
「――水大砲」
海原の背後の海水が流れを変え、螺旋を描くように収束する。
圧力を増した水は膨れ上がり、音速を超えた水流となった。
「【締結】!!」
俺は海原への攻撃を放棄し、全神経を回避に集中する。
【締結】で足場を作成し、体制を整えて着地する。
そして魔力をフルで跳躍力の強化へと回し、一射九撃で水を消し飛ばした空間から離脱する。
「イカれた反応速度だなぁ! その空間繋げる魔法も厄介だし、過去一だぜこんな強敵はよぉ! キョウト・ホワイト!!」
再び海水が海原を覆い、その姿は完全に見えなくなる。
チャンスを逃したことに歯噛みした俺だったが、すぐに切り替え、一呼吸置いた後海面を走り出す。
それにしても、これだけ大きな水を操る魔法なら、魔力消費は大きいはず。しかし奴は水平線の向こうからこの状態で接近してきた。
膨大な魔力量なのか、魔法ではないのか。おそらく、この場合は後者だろう。
海原慶次。奴の『喰雲』としての能力は……海水を操る能力といったところだろう。
滝のような音速水鉄砲に、リヴァイアサンを形作った海水……これまた強力な能力だ。
「くそっ、どこ行った……!」
さっきまでの攻防の跡は流れるように、波は緩やかなものへと戻り、平和な海へと姿を変える。
しかしこの平和が、逆に警戒心を煽る。
海原のあの目はこの程度で逃げてくれるような温い目ではなかった。
「……ちっ」
俺は海面を蹴って船へと戻る。
誰もいない甲板の硬い床に少しだけほっとしながら、一息ついて状況を整理する。
自分の身体に目を向けると、やはり体力の消耗が大きい。3桁レベルで一射九撃を使ったからか、海面を殴った拳は鈍い痛みと共に小刻みに震えており、息も絶え絶えだ。
しかし脳内に駆け巡るアドレナリンが、俺の思考にさえ影響する。痛みを塗り替えるように、作戦用の思考へと切り替えた。
(奴はどこへ行った? どこへ消えた? 次はどう来る?)
波の音すら、俺の耳には届かない。
不要な情報をカットして、持てるすべての手札を取り出して、未だ見えない勝機を探る。
「……?」
瞬間、足元に感じる違和感。何かが来る。そんな漠然とした予感が俺の思考へと流れ込む。
いや、違う。足元よりもさらに下……そうだ。船の下には何がある?
俺たちは今、何の上に船を浮かべている?
「まさか!?」
思い至ると同時に海は膨張し、そして弾けた。
海水が船を押し上げるように吹き上がり、まるで船底にジェットでもついているかのような加速で空中へと放り出される。
海面は遥か下へと遠ざかっていき、加速を終えた船は、残酷な物理法則に従って落下を始めた。
「やばいやばいやばい!」
水平線が丸く見えるほどの高さ。こんな高さから海面に打ちつけられたなら、船の大破は確実。まず間違いなくペストリーゼには辿り着けないだろう。
海原の勝利条件は俺の殺害か船の破壊。どっちが簡単かと問われれば、アイツの能力なら船の破壊に決まってる。
(【終着点】? いや、船ごとテレポートはできない。となると【締結】もダメ……あれ? これ詰んでね?)
俺の能力でも、変えられない事実がある。俺の持つ応用力では、この危機を脱するビジョンは浮かばなかった。
海面が迫る中、俺の思考は焼き切れたように停止してしまう。
回避不可能な衝撃が、俺たちを襲う――はずだった。
「……え?」
衝撃に備えるため瞑った目を開くと、なんの変哲もない平和な海だった。
船は海面に浮かび、静かな波に揺られている。
幻覚でも見ていたかのような光景に困惑していた俺だったが、船に起こった異変にやっと気が付いた。
「なんだ? これ……」
船を覆っていたのは、半透明なハニカム構造のドームだった。
完全な球体のドーム内に船は浮遊し、ドーム自体は水を弾くように海面に浮かんでいる。
アクアボールのような光景に理解が追い付かないでいると、扉が静かに開いた。
「あ、危なかった……」
「――レインさん?」
扉を開けて出て来たのは、なぜか顔を真っ赤に染めたレインさんだった。
「言っただろう? 僕たちに任せてって」
そしてレインさんに続いて、少し息の乱れたレオが甲板へと出てくる。
「これ、どういうことなんだ?」
「この子のおかげだよ。さっきね――」
× × ×
「水の上走ってる……やることなすこと突飛なやつだなぁ」
船内に戻った僕は、窓からキョウトの様子をちらりと見る。
キョウトの能力と僕のバフは別物らしく、能力で底上げされた身体能力は、バフによりさらに向上。彼は今絵物語でしか見られないような光景をやってのける超人へと変化していた。
そんなキョウトに任されたんだ。この船のことを。
見慣れた船内を駆け抜け、緊急避難用の部屋の扉を開ける。
部屋には船員が集まっていて、皆不安そうな顔を浮かべている。
元々用心棒は僕たちが受ける契約だった。この人たちに戦闘能力は無いのだから。
そして一番扉の近くに座っていた小柄な少女が、僕の姿を見て駆け寄って来る。
「レオ先輩……! 京斗は!?」
「リヴァイアサンから出て来たウナバラ? って人と戦っているよ」
「ウナバラ……海原……?」
名前を復唱するマナさんの表情は暗くなっていき、声も小さくなっていく。
やはりこの子は何か知っているのだろうか。彼の正体を。
しかしそれを問うのは今ではない。少なくとも、この戦いが終わった後だろう。
「レインさんは?」
「レインちゃんなら……医務室でみんなと一緒に居ると思います」
「ありがとう」
マナさんに礼を告げ、医務室へと向かう。
部屋から出た瞬間、マナさんの声が断片的に聞こえて来た。その内容は船員を落ち着かせるようなものであり、船員がパニックになっていないのは彼女のおかげだろう。
言霊の能力……か。キョウトの能力と言い、一体彼らの故郷はどんな場所なのだろうか。
しかしそんな少しの思考すら断ち切るように、外からは激しい破裂音が聞こえて来て、考える間もなく僕は走る。
「失礼するよ」
「レオ先輩……!」
医務室には皆揃っていて、ベッドに寝かされているレナさんと、心配そうに座っているミカヅキさんとエメラルドさん、そしてレインさんの姿があった。
現状を説明すると、皆困惑交じりの不安そうな表情を浮かべる。
ウナバラという男の素性は知れないが、恐らくはキョウトと同じように特別な能力を持った人間だ。キョウトが一人で相手しているが、いつまで持つかはわからない。この船が攻撃されるのは時間の問題だろう。
「そこでレインさん、君の力を借りたい」
「え、わ、私ですか!?」
「君の得意とする防護魔法で、この船を守ってほしい」
防護魔法……生物無機物問わず、対象としたものを保護する結界を作る魔法。
それをこの船に適応させてウナバラの攻撃から守る。それが今できる最大限の防御だ。
「どうかな?」
「む、むむむ無理ですよ! 確かにこの船に防護魔法を発動することはできますけど、持続時間も耐久性も私の魔力じゃ全然足りません!」
「……魔力があればいいんだよね」
「それはそうですけど……」
「なら問題ないね【兵士よ轟け――千変盤下・魔】」
この魔法により、一定時間彼女の発動する魔法の威力は桁違いに跳ね上がった。さっきの豪水程度なら問題なく防げるだろう。
続いて持続時間は……こうしようか。
「【分かち与えよ――魔力譲渡】……僕の魔力を、君にあげる」
「ふぇええ!?」
レインさんは驚愕するが、すぐ自らにかけられた魔法の意味を理解する。
「レイン……いけそう?」
「頑張ってください! フィリアさん!」
「レオナルド様がここまでしてくれたんです……私、その期待に応えます!」
「ありがとう」
レインさんに実戦経験と呼べるものはない。にも関わらず、何人もの命がかかった仕事を任せてしまった。もはや強制と言っていいような形で。
この選択を、僕は正しいと思う。だってこんなにも、彼女の目は強く輝いているのだから。
「な、なんだ!?」
「なに!?」
その時、船が海水に押されて空中へと飛び上がる。
「きゃっ!」
「危ない!」
各自で体制を整える中、衝撃に耐えられなかったレインさんの身体が吹き飛ばされ、このままでは部屋の壁に打ちつけられてしまう。
なりふり構わず駆けだした僕はなんとかレインさんの手を取ったが、体制を立て直すことはできない。
すぐにレインさんの身体を抱き寄せ、かばうようにして衝撃に備える。
「がっ……!」
そのまま僕は、受け身も取れずに壁に激突した。
「レオナルド様!?」
「僕のことはいい……から、早く!」
「は、はい!」
船は既に落下を始めている。このままでは数秒もせずに海面に叩きつけられるだろう。
しかし、僕が信じた魔法使いは、そんな未来を塗り替えた。
「【不変の契りよ、浮世を別て――防護真球】」
彼女が魔法を発動した瞬間、船全体を包み込むように半透明のドームが出現する。
そして海面に着水する直前にふわりと舞い、波一つ立てない緩やかな着水と相成った。
「や……やった……! 私、できましたよ!」
「あぁ、本当にありがとう! レインさん!」
「っ……はい!」
僕の腕の中で晴れやかな笑顔を浮かべるレインさんが、緊張を解いてだんだんと落ち着きを取り戻していく。
「…………あれ?」
そして辺りをきょろきょろと見渡し、再び僕と目を合わせる。
その顔は段々と赤く染まっていき、頭から煙がぷしゅーと吹き出す。
「あばばばばばばば! そ、その、ごめんなさいあの私ずっと支えていただいてあのそのちょっと外の様子見てきますうううう!!!」
「え? レ、レインさん!」
突然取り乱したレインさんは、逃げるように医務室から出て行った。
(……僕に抱かれるの、やっぱり嫌だったかな)
そう結論付けて状況整理を終わらせた僕は、彼女の後を追って医務室を後にする。
すぐに僕も甲板に戻ってキョウトの援護をするつもりだったし、レインさんにも協力してもらいたいとも思っていた。
船内を駆け抜け、丁度甲板に上がろうとする彼女の背中を見て、僕は心の中で呟いた。
(君がいてくれて、本当によかったよ。レインさん)
× × ×
「防護魔法……なるほどな」
「使い手こそ少ないけど、強力な魔法だよ。その中でも【防護真球】の防御力はトップクラスだ。時間経過以外でこの魔法が突破されることはまずないと思うよ」
「効果時間はおよそ10分……いや、8分ほどです」
8分……戦況が変わるには十分な時間だ。これで船の心配はしなくてもよくなったな。この二人に感謝しなければ。
「重畳。それだけあれば勝ってやるさ」
再び穏やかな波となった海面を見据えながら、俺は歩き出す。
「あ、でも……これじゃキョウトさんが外に出られないです! ご、ごめんなさい!」
どうやらこのバリアは外からも入れないが中からも出られないらしく、一度出るには魔法を解除するか物理的に穴をあけるしかないらしい。
普通の場合は、だが。
「大丈夫だよ、レインさん。キョウトにはあれがある」
「あれ?」
「さてキョウト、バフはまだあるね?」
「あぁ、切れちゃいない。それに、お前にはまだやってもらいたいことがあるから、魔力は温存しとけよ?」
「はは、船内から君を見てたから、だいたい何がしたいのかはわかってるつもりだよ。もうあんまり魔力は残ってないけど、最後にでかいのをぶっ放すくらいはできるさ」
「話が早くて助かるぜ。んじゃ、行って来る!」
「え、あ、ちょ、キョウトさん!?」
まっすぐバリアに向かって跳躍した俺に焦るレインさんだが、生憎、レオの言う通り俺にはこの能力がある。
【魔法からの距離1m→9m】
「あ! 瞬間移動!」
俺は能力によってバリアをすり抜け、その上に着地する。
「ふぅ……」
瞼を閉じ、潮風を一身に受けながら、高鳴る胸の鼓動に耳を澄ませる。
船は壊れない。身体へのダメージだって少ない。そして、俺の意図を汲んでくれる仲間がいる。
現状整理完了。勝利への道も組み終えた。
あまりに曖昧な道だけど、それを辿るしかない。
背後に据えた小太刀に意識を移し、込められた魔法を発動する。
思えば、霧結いには世話になりっぱなしだな。今日だけで何度助けられたことか。
これは、負けてられないな。先輩?
「【締結】――来い、霧断ち」
渦巻く霧の虚空から取り出した刀を握り、鞘ごと腰に着ける。
やはり、これでこそ俺の戦いだ。
こいつを使う以上、負けるわけにはいかない。
「…………まさか、さっきの攻撃を耐えるとはね。その船の中には何人優秀な魔法使いがいるんだい?」
俺の覚悟に答えるかのように、顔をひきつらせた海原が静かに海面に浮上してくる。
海上に静止し、堂々と俺を見上げるその姿は、まさに海を支配する男に相応しい風格だ。
「……」
「……そうかい。まぁ、俺も死人と軽口を交わす主義はない。早いとこ決着をつけようか」
「あぁ」
目の前にいるのは人間ではない。強力な能力を持った『喰雲』だ。
ただ排除する対象だ。やらなきゃやられる殺戮者だ。
俺は心を殺し、猛る思いを刃に込める。
そうでもしなきゃ、修羅は殺せない。
「行くぞ! 海原慶次!!」
「来いよ! キョウト・ホワイト!!」
二人の戦士が、矛を交える。
血を喰らった刀を振るうのは、愛する家族の元へ戻るため。
大海を歪めて巨砲を放つのは、あなたの愛を忘れないため。
【イセカイゲーム 残り人数 20名】