2 次の日に考えるのはやっぱり昨日のことです
ブックマークありがとうございます。
拙い文章ですが楽しんでいただければ幸いです。
「あ〜、やっぱここ落ち着くわ〜」
令嬢らしからぬ声が出てしまったが、まあいいでしょ。入り口付近の司書さんを除けば他に人はいないんだから、伯爵令嬢らしく振る舞う必要はない。机に突っ伏して息を吸って吐く。充満する古書の匂いがくすぐったくて心地いい。
学園内に3つある図書館のうち一番奥まったところにあるここは、最も利用者が少ない図書館だ。
学園が創設されたころからある図書館で、備品や装飾を含めアンティークなものでまとめられている。もちろん蔵書も古いものばかり。新しい本は入荷されず、他2つの図書館からお払い箱にされてしまった本が集まるいわば〈本の墓場〉と化している。最新の情報は集まらないので学園生が勉強に利用することもない、半分忘れられた場所。だから、考え事にはぴったりの場所。もちろん、いま考えるのは昨日のことだ。
昨日を思い返して真っ先に脳裏に浮かぶのは、あの“黒い女”だ。
あんなにも禍々しいモノは初めて見た。あれ、人間の霊、だよね?
真っ黒で、生前の色彩が一切なく他には目もくれずひたすら殿下を睨んでた。一体どれだけの恨みがあればあんな風になるのさ。殿下には悪いけどその対象が私じゃなくて本当によかった。あんなのに憑かれたら、死んじゃうよ。
「殿下も、長くなさそうだな・・・」
助けるなんて選択肢はない。
次期国王として申し分ないお方だけど、第二王子がいるし跡継ぎは問題ないよね。
私は自分がかわいいんだ。
長生きして、それなりの方と結婚して子供産んで、穏やかな晩年を過ごしたいんだ。だから何があっても恨まないでくださいね、殿下。
おっといけない、思考がズレた。あの“黒い女”について考えてたんだ。
でもまさかミリア嬢に憑いていると思っていたものが実は王太子殿下に憑いていたとはね。
確かに最初はミリア嬢に黒いモヤがまとわりついていたはず。てことはあの“黒い女”もミリア嬢に憑いてたってことだよね?でも、最初はモヤだけで女の姿になるほど濃いモヤはなかったような・・・?
最初?
最初って、いつからだっけ?
──ミリア嬢を見るようになったのは彼女が学園に通うようになった半年前から。
その頃から黒いモヤはあった?
──なかった、ような気がする。
半年前の殿下に黒いモヤは憑いていた?
──憑いてなかった、はず。そういえばその頃はまだ殿下とミリア嬢って接点なかったよね・・・?
じゃあいつから殿下とミリア嬢は接近し始めた?
何かを見落としてるような、気持ち悪い感覚だ。
・・・・・・・・・・・・ああ、もう!考えても仕方ない。だって私は何もする気はないんだから。
「帰ろ」
フウッと息を吐く。
ポケットから懐中時計を出して見るとすでに17時を指していた。
「やば、本当に帰ろ」
窓から見える空は青紫に滲み、雲はチェリーピンクに染まっていた。
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屋敷に着く頃には空の大部分は濃紺に埋め尽くされていた。
この時期の日の落ち方は本当に早い。うっかり考え事もできないや。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、ライアン」
「さぞかし勉学に励まれていたのでしょうね。ずいぶんと遅いお帰りですが?」
出迎えてくれたライアンが眼鏡を光らせる。あ、これちょっと怒ってるわ。
「あ、ははは・・・。明日は早めに帰ります」
「そう願います。日が落ちるのがずいぶん早くなってきましたから」
ため息まじりに「頼みますよ」と言うライアンは、私が生まれる前からここで働いている頼りになる我が家の執事だ。まだ30を過ぎたばかりなのに貫禄がすごい。
冷たく聞こえる言葉の端々には心からの心配が隠れているから何を言われてもほっこりするけど。
「お兄様は?」
「旦那様はまだ王宮におります。遅くなるのでディナーは先にすませていてほしいと連絡が来ております」
「やっぱ、昨日のことよね」
「そのようですね」
“黒い女”のことは抜きで考えても、かなりまずいことをしたからなあ、殿下。陛下が不在とはいえ何もしないわけにはいかない。宰相以下、内政に関わる貴族が集まり事実確認やらフォールマン家への対応やら話し合っていることだろう。
渦中の殿下とミリア嬢は今日も通常運転だったけどね。カフェでイチャコラしてたのを多くの学園生が目撃していたからその場にいない私までその内容を知ってますとも。あ、当然だけどイザベラ嬢はお休みだったよ。
「ディナーは1時間後にしてくれる?それまで居間で読書するからお茶をお願い」
「かしこまりました」
さ、着替えてこよっと。
私はこの一件に本当に関わるつもりはなかったのだ。
たとえ我が家が王家の信頼厚い重要ポストだったとしても──。
このときの私は自分に降り掛かる災厄なんて知らず、のんきに「今日のデザートは何かな〜」なんて考えていた。
まだ主人公の名前が出てこない・・・。