田んぼの血肉
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ああ、先輩。どうもおはようございます。
素振りの練習ですか? 熱心ですねえ。これもまた先生に言われたことですけれど。
じゃあ僕も続いて素振りしちゃいましょうかね。先に終わっても、待っててもらえます?
ふう、お疲れ様でした。
最近聞いたんですけど、素振りってただ回数を重ねるだけだと、あまり効果がないらしいですね。大事なのはイメージなのだとか。
どのようなボールや相手が来て、それにどう対応していくのか。自分の中で想定して、臨むことが重要なんですって。ややもすると、「数だけこなしゃあいいや」と作業になってしまいがちな時間ですしね。
素振りに限った話じゃないですが、先輩は自分のやることの意味、把握していますか? やることなすことのイメージ、しっかり描けていますか?
これは他の人に関しても同じこと。不可思議な行動こそ、その人にとって計算をした上での動きかもしれませんしね。
ひとつ、不思議な素振りに関しての昔話、聞いてみませんか?
むかしむかし。まだ戦が頻発していた時期の話です。当時の兵士は農民を兼ねていましたから、戦のない時には田畑を耕して過ごしていました。
その中でも水やりに関しては、先輩も知っている通り、重要な仕事のひとつです。その地域ではたいてい、桶にたっぷり入れた水をひしゃくで汲んで土に撒いていきましたが、去年、村にやってきたばかりの、ある男性だけは違いました。
彼は手を用いて、水を撒いていったのです。それも、手のひらに水をためては行いません。
彼は逆に手のひらと手のひらを合わせ、そのまま桶の中へ入れます。もちろん濡れるのは爪や手の甲といった、手のひらの外側の部分となる。それを土の上から、「びゅっ、びゅっ」と音を立てて振り、しずくを飛ばしていくんです。
手を合わせるというより、手を槍の穂先に換えたかのようなふるまいでした。彼は縦に横に、勢いよく両手を振り抜き、そのたび水が宙に弧を描きながらほとばしります。そして二回、三回と振るい、水の勢いが弱まると、また桶の中へ手を浸しにいくんですね。
なんとも効率の悪いやり方です。ひしゃくを使って行うより、何倍もの時間がかかって、朝から夕方まで水をまき続けて終わる日もありました。
周りのみんなは「困ったことになっても、最終的には自己責任」と、深くつっこみはしなかったようです。でも、彼の田畑の近くで仕事をし、その所作を目にすることが多い者は、どこか武道の香りを感じたとか。
見得を切る、といいますか。振り抜いた手をピタリと止める彼の動きは、武道の残心を示す動きに近かったんですね。
どこか芝居じみていながら、足づかい、腰づかい、そして目線。いずれも自分を狙う相手と、対峙しているかのような錯覚を覚えさせるほどだったようです。その鬼気迫る様子を見るに、遊び半分でこのようなことをしているとは、とうてい思えなかったとか。
そうしていくうちに月日は飛んでいき、農民たちが戦に駆り出される時期になります。
新参者の彼は、優先的に徴兵されていきます。体のいい鉄砲玉ですね。
彼がいなくなっても、また新しい者が流れてくるでしょう。ここに長く住んである程度の土地を持っている者さえいれば、村全体の生産力はさほど衰えずに済みます。
いわば「ふるい」でした。ここを生き延びれば、この村で過ごすことが許される、といったたぐいの。
戦は召集から解散まで、およそひと月がかかった行軍と相成りました。最終的に彼の属していた武将の軍は、相手方の強烈な攻撃を受けて、散り散りになってしまったからです。
その逃げる途中、彼は同村の者を襲う敵兵に突っかかり、壮絶な戦いを繰り広げたそうです。お互い、手に持った槍を激しく振るって打ち付けましたが、やがて彼の槍は大きく弾き飛ばされてしまいました。
「得たり!」と敵兵は突いてきますが、その穂先を彼は紙一重でかわします。そのまま柄を脇の下へ抱え込むと、逆におおいに振り回して、相手を地面に叩きつけたんです。
敵兵はすっかりのびてしまいましたが、気を抜いてはいられません。今度は右前方から刀を振り上げつつ、気勢をあげる新手。
彼はぐっと腰を落とすと、新手の懐めがけて一気に飛び込んでいきました。まさか向かってくるとは思わなかったようで、間合いを誤った新手の刃は、彼が数瞬前にいた空間をなでるのみ。
しばし重なり合う形になった二人の影ですが、やがてぐらりと倒れたのは新手。喉のあたりを真っ赤に濡らしながら倒れ伏し、対する彼の拳にはぬらりと赤いものがついています。
「これ以上、長居は無用だ」
そう告げる彼は、同村の者をかばいつつ退きます。その途上でも、彼は拳ひとつで相手をのしていきました。
相手が戦の手ほどきを受けていない、雑兵たちというのも幸いしたのでしょう。
無防備な手元へつけ入って、鉄拳一撃。あっという間に相手を昏倒させていきます。彼の拳が固いのか、相手の皮膚がやわいのか、殴るたびに彼のげんこつはその赤みを増していったとか。
帰還した翌日から、彼はまた畑に水を撒いていきました。桶に汲み、手を浸して空を切る、あのやり方です。
昨日、助けてもらった村人は、改めて礼をいおうと近づいていきますが、仕事中の彼はそれを止めます。すっかり血が落ちるまで待って欲しい、と。
よく見ると、彼の放つ水たちはいつもよりも若干赤い。汲んである水たちも、桶の底が見えないほど、紅色に濁っていたんです。そして漂ってくるのは、鉄さびにも似た血の臭い。
「蚊がよく吸いにくるようにな。人の血っていうのは栄養がいっぱいなんじゃ」
彼はたっぷりと手を濡らして、また畑の土へと向かっていきます。
「こいつがわしの手を通すと、土を肥やす力が増す。それもこうして、びしっ、びしっと武術まがいの素振りを経ると、いっそうな。
どんな理由かはしらん。こうして切っていく空が、力を与えてくれるのかもな」
それからも、彼は戦の召集があるたびに進んで参加し、拳を血で濡らしてきたそうです。
そうして血を持ち帰ったときは、たとえいかなる暑さ寒さの激しい年であろうと、彼の田畑だけは豊かな実りを得ることができたとか。




