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49.虚実

 至近まで迫っていたはずの男の姿が眼前から掻き消える。

 咄嗟の判断で後方へ退くアルクの前髪を、短剣の刃が斬り裂いた。


 眼下で身を沈める男の頭部にアルクは右足で蹴りを見舞おうとするが、上体を動かさずに独特の歩法で間合いを縮めてきた男は、空いた右手を下から突き上げるように掌底を繰り出してくる。

 わずかに身体を浮かされたアルクは、追撃として振り下ろされる短剣を右手で打ち払いつつ、風の魔力を後ろ向きに吹かせて一気に距離を開けた。

 直前までアルクがいた場所には、まるで間合いの外から伸びるかのようにして、男の右の手のひらが突き出されていた。


 「……くっ! 今、のは?」

 「おや、ご存じありませんでしたか? これは〈暗殺〉スキルの一つ〈暗技:歩武〉でございます」


 血振りをしながら、男は見定めるような視線を送る。

 払った刀身からは、濁った粘性のある黒い煙が立ち昇っていく。


 「その短剣の魔力は瘴気じゃないのか? 瘴気とスキルの両方を使うなんて話は聞いたこともないが……」

 「ああこれのことですか? ええ、確かにアルクさまのおっしゃる通り、これは瘴気ではありますが、あくまでこの瘴気はこの剣の能力ゆえに現出したものです」

 「能力……だと?」

 「アルクさまも耳にしたことぐらいはおありかと思います。迷宮から得られる道具には、スキルにも似た特殊な力が宿ると。つまりこの瘴気は、この剣の能力によって現れ出たものでございます」


 朗々と語り始めた男の言わんとしているだろうことはある程度は納得いくものの、彼の言葉をそのまま鵜呑みにするわけにもいかなかった。


 そもそも迷宮産の武具を用いて瘴気を纏うというのがおかしな話なのだ。

 スキルは、神が魔王を倒すためにもたらした秩序である。

 迷宮は、神々が創った”世界に溜まった(よど)みを取り除くための巨大な浄化器官”のようなものであるらしい。

 だとして、果たして仇敵たる澱みから生まれた力を、わざわざ迷宮の報酬として残す意味はあるのだろうか。


 以前イネスが説明してくれた神族と邪神や悪魔をはじめとした魔族との関係性を考えればなおさらである。

 おそらくこの男の話す内容のほとんどは真実だが、その中に少しの嘘を混ぜたり不都合な事実を隠しているのではないかと、アルクは推測していた。


 「なるほどな。だが、そんな重要なことを話してしまってよかったのかい?」

 「別に隠し立てするようなことでもございません。それよりも、どうやらアルクさまの疑似スキルとやらは未知の事象に対しては対応できないご様子。いかがなされるおつもりで?」

 「それこそ心配には及ばないよ。これまでと同じく、正面から迎え撃つだけだ」

 「左様ですか……」


 男の読みに違わず、経験からスキルの一部を再現する〈疑似スキル〉は、未知の事象に対しては通用しない。

 しかし、それがなんだというのだろう。

 これまでの自分も、かつての自分も、初めは既知ではなく、未知の敵と戦ってきたのだ。それはなんら変わらない。

 ただ、目の前の敵を打ち倒すのみである。


 「来ないのなら、こらちからいくぞ」

 「ええ、もちろんです。受けて立ちましょう」


 地面を踏みしめ、一足にて間合いを詰める。

 初撃で繰り出そうとした左こぶしは予備動作のうちに叩き潰されたが、反撃に半ば下ろしかけていた短剣を握る右手をアルクの右脚が打ち据えた。

 素早く男の右手首を掴んで、引き寄せざまに頭突きをかまして仕切り直そうとするアルクであったが、後ろに下げようとした左足を取られて体勢を崩してしまった。


 おそらくは頭突きの瞬間に自ら頭を引いて衝撃を弱めていたのだろう。気づけば男はアルクの懐に潜り込んでおり、掬い上げるような掌底を打ち込んできたのち、軽やかな動作で急所を狙い拳打を叩き込んでくる。

 反撃する術がないわけではない。だが少しでも動きを見せれば裏拳で潰し、死角を突こうにも肘撃ちで崩され、そこから狙いすましていたように痛烈な猛攻に移られてしまう。

 逆に防御に徹して態勢を整えようにも、〈暗殺〉スキルを絡めた多彩な攻撃手段と不意をついて仕掛けてくる足技に翻弄され、思うように防げずにいた。


 「――ぐ、くっ!!」

 「さあ! さあ! さあ! お次はどうなされるのですか!?」


 眼前に迫る切っ先を寸前で掴み取った瞬間、腹部に凄まじい衝撃を受けたアルクの身体は、まるで石ころか何かが投げられたかののように弾き飛び、猛烈な勢いで地面を転がっていった。

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