44.かつての経験
それは以前にも経験したことのある感覚だ。
かつて魔獣の森で連日猛獣との戦いに明け暮れていたとき、リヒト迷宮の深層で階層主と戦いを繰り広げていたとき、強敵と戦うときはいつもそうだった。
姿を見たことはおろか、名前すらも知らないはずの魔物の動きをわずか数回こぶしを交えただけで読むことができた。あたかも、前から相手のクセや弱点を知っているかのように予測でき、実際その魔物たちはアルクの想定外の行動を取ることはほとんどなかった。
アルクはそれを疑問に感じることはあっても、そのときは特段怪しんだりすることはなかった。
戦士の勘というやつなのだろうと、軽く考えてしまっていたのだ。
だが、今回悪魔が使った瘴気と呼ばれる異質な魔力を直接体内に流し込まれてみて、今まで感じていたものが勘などという曖昧な感覚では決してないのだと悟ることとなる。
――それが、かつての自分自身が経験した記憶であるのだと。
◇
「ますは一匹」
小柄な悪魔を叩き伏せ、アルクは顔を上げる。
うろたえる鳥の悪魔を背にしたまま、前方から押し寄せる触手の波を構えたこぶしで弾き飛ばしていく。
「〈疑似スキル:流水〉」
間合いに入った触手の一本を弾き、即座に逆向きに噴射した魔力でこぶしの軌道を強制的に変えることで、立て続けに触手の鞭を打ち払っていく。
まっすぐに突いたかと思えば、ほぼ逆向きに裏拳を放ち、振り下ろす。
それはもはや、武術や格闘術といった枠に収まらない……スキルと称して過言でないほど神がかり的な超絶技である。
一度繰り出した技の軌道を直角以上に変えるには、その技と同等以上の威力の魔力放出が必要となる。しかもそれを連続して自身のこぶしで行うなど、言い換えれば、爆風を至近距離で何度も浴びるような自殺行為と同じことだ。
加減を少しでも間違えれば自身の四肢や得物を失いかねないその技術を、普通であれば身につけようとはしない。
だが、かつての自分は違かったようだと思うと同時、それを疑いもなくこうして実戦で利用している今の自分にアルクは自嘲する。
そして、〈疑似スキル〉と同時に思い出した魔力分離という技。
もしこれがなければ、悪魔の身体に直接触れようなどとは考えもしなかっただろう。
理屈的には、先の瘴気を排出したときに行ったものの応用にあたり、体外または身体の表層近くにある魔力と自分との繋がりを切り離す技術である。
瘴気は悪魔以外の種族が発する魔力を伝い、相手を侵食する特性がある。
つまり、魔力と個人との繋がりさえ断ってしまえば、瘴気に毒される心配はないわけだ。
もちろん、分離した魔力は長く持たず、絶えず魔力分離を行う必要はあるのだが……触れることさえできれば、あとはかつての経験でどうとでもなるだろう。
押し寄せる触手の中をあえて進んでいくことで、ほかの悪魔からの干渉を受けることなく前進し、やがて触手を伸ばしてくる大本へと辿り着く。
殺到する触手を掴み取り、力任せに引き千切って周りの触手諸共吹き飛ばすと、引き絞ったこぶしを触手の中心部に叩き込んだ。
「――ボビュッ!?」
身体の中心に風穴をあけられた悪魔は、ビチビチと触手をそこらに打ちつけながら転がっていき、のたうち回ってしぼんだかと思うと、泥となって消えていった。
「これで二匹」
そう呟くアルクを見る悪魔たちの眼差しは、嘲りを含んだものから、警戒と畏怖が混じったものへと変わっていた。




