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29.ひとときの語らい

 「大丈夫?」


 両手をついて起き上がろうとするアルクに、イネスが肩を貸して座らせた。


 「ふう。悪いな、助かった」

 「お礼を言うのはわたしのほうよ。それより、だいぶ無茶をしたみたいね。身体は元に戻っているはずなんだけど」


 そう言われて見てみれば、アルクの身体中にあった裂傷はおろか、衣服までもがこの階層に来た当初の状態に戻っており、イネスのほうも同様に見える。


 「……回復魔法が使えるのか?」

 「回復というより、復元ね。”神言語魔法”にそういう系統のものがあるから」

 「さらっと、とんでもないことを言うなあ」

 「あら、〈深淵魔法〉ってそういうものよ」


 クスクスと笑うイネスの顔を見て、アルクも表情を和らげた。

 初めてイネスに会ったとき、彼女には一人として味方はおらず、誰も信じられずにいた。自らに課せられた運命を受け入れており、ただただ死を待つしかなかった。

 そんなイネスが今、アルクの前で笑顔を見せてくれている。その事実がどうしようもなく嬉しかった。


 「それよりもあなたのことを教えてくれないかしら。わたしのことばかり語っていて不公平だと思わない?」

 「それもそうだな。なら、少し長くなるかもしれないが付き合ってくれ」

 「ええ、もちろんよ」


 それからアルクは、これまでに経験したさまざまな出来事を語った。その中には、生い立ちや境遇などといったものも含まれていたが、イネスはそれにも真剣に耳を傾けていた。

 アルクが昔に父親から暴力を受けていたことや周囲からいじめられていたことを話せば、まるで自分のことのように悲しみ、初めて戦ったゴブリンとの死闘や魔獣の森での探索などを話せば、目を輝かせて話に聞き入っていた。

 ころころと表情を変えるイネスの様子は、見た目通りの少女そのものだった。




 話が一区切りついたところで、イネスはあごに手を添えて悩む素振りを見せる。


 「なるほどねえ。でも、やっぱり疑問に思うんだけど、最初のうちにあなたの過去をわたしに打ち明けていれば、もっと早く説得できたんじゃないかしら?」

 「君は、会ったばかりの見ず知らずの人間にいきなりそんな話をされて、”はい、そうですか”と素直に信じるのかい?」

 「……信じないわね」

 「だろ?」


 似た境遇だからと同情を誘ったり、下手な理屈を並べたところで拒絶される公算が高かった。ならばいっそ、打算抜きの本音でぶつかるべきではないかと試したところ、結果的にうまくいったというのが実際のところである。


 「それにしても、〈身体強化(極小)〉ね。あなたの話だから疑うわけじゃないけど、にわかには信じがたい話ね」

 「それじゃあ、見てみるか?」

 「えっ」


 ポイと投げられた小さな半透明の板を受け取って、イネスが小首をかしげる。


 「これは何かしら?」

 「ステータスカードというものらしい。鑑定のスキルと似たような効果の魔導具で、オレの情報が登録されているんだ」

 「へえ、人間は便利な道具を持っているのね。どれどれ」


 手にしたステータスカードと向かい合い、イネスは恐る恐るといった様子でそっと人差し指を当てた。それで画面が動いたのか、ビクッと肩を震わせるも、しばらくするとぎこちないながらも指を滑らせて画面を操作していく。

 スキルの項目を眺めだした直後に一度驚いた表情を浮かべたあとは、物珍し気に板を裏返したり、指でつついたりしていた。

 そんなほほ笑ましい光景を見て柔らかい眼差しを向けていたアルクに、不思議そうな面持ちで振り向いたイネスが声をかけてきた。


 「ねえ、スキルの項目に一つだけ見えない部分があるんだけどわかる? たぶん新しく増えた迷宮産のスキルだとは思うんだけど」


 思いもよらない質問に、今度はアルクが首をひねった。

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