第89話 厄災 ~ネイ~
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――サルファ侯爵がロックの屋敷を訪れた数日後のことである。
昼下がりの書斎、窓の外にはどんよりとした雲が空を覆っていた。私はそこでアルバート、つまりサルファ侯爵から送られてきた書類を整理していた。
探検船アルバトロス号の所有権をアルヴィト商会に移譲し、その名前をレッド・ストーン号に改名した証書。ブラック・スノーボール号の積み荷の決済完了を記した証書。ロックをサルファ侯爵の名誉近衛騎士に叙任した書類。この発効日は私たちが旅立った前の日付になっている。そして発効日が三ヶ月後のこの書類。それは、新大陸を発見した騎士ロックへの勲三位蒼鷲章の叙勲と、その功績を労った男爵位を授ける旨の物だった。
まったく……。アルはこれを餌にしてロックを取り込むつもりね。でも思い通りにはさせないわよ。ロックは私の大事な相棒なのだから。
そう、とても大事な相棒。
もうこの想いに疑問を抱く必要は無かった。わざわざ恋愛物語である『セトの嫁入り』の内容と照らし合わせて検証する必要も無い。長いこと生きてきた私なのだけれど、こんな風に誰かを想ったことなどなかったのだ。
まったくもって不思議である。いったい何の魔法にかかったと言うのか……。
ふふ……、永久氷という通り名も返上かしらね。
当のロック達はハロルドワークに行っていた。長いブランクを埋めるために妖魔討伐クエストを請けたらしい。
と、その時、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
扉が開き、シィが顔を出した。
「ネイさん、お客様ですぅ。カーリーと名乗れば分かるって言ってますけどぉ?」
え!? カーリー?
え? なぜカーリーが!? って言うかアイツ生きてたの?。
「あ、ありがとう。ここに通してくれる?」
「わかりましたぁ。」
書斎の扉がそっと閉まった。
しばらくして、その書斎の扉が乱暴に開かれた。
「やぁ。やっと見つけた。いったい何処に行ってたんだよ。」
かつて良く耳にしたカーリーの声が聞こえた。カーリーは赤色で縁取りされた黒い外套を脱ぎさった。すこしウェーブが掛かったショートの黒髪、要所をベルトで留めた丈の短い革製の上着とズボン、それに太ももまである長いブーツ。
「カーリー、あんた……。」
かつての相棒、昔と変わらないカーリーの姿がそこに有った。実に約二百年ぶりの再会である。
かつて私はカーリーとコンビを組んで冒険者をしていた。私が頭脳役でカーリーが筋肉役だ。
私もカーリーも、ゴンドワナ帝国初代皇帝のための不老実験のモルモットだった。まず私が作られ、次にカーリーが作られた。その後ヴィッシュが作られ、最後にナガラが作られたのだ。
「今はメリークって名前を名乗ってるよ。」
思い出した。カーリーが着ている外套は、マグシムネからの帰りにすれ違ったアベントとパリエラが着ていた物と同じだ。
「あっそう。私はネイを名乗ってるわ。
それで? いったい何の用なのよ。あんたとは袂を分ったでしょ。」
「まぁ、そう言うなよ。」
カーリーは勝手に椅子を引きずって私の机の正面に持っていき、そこに座った。
こいつが此処に来た理由、新たな理由は思いつかないのだが、恐らく……。
「あんた、まだナガラを探してるの?」
「当然だろ? 私が生きている理由はナガラを殺すためだ。ヴァティもそれを知ってるだろうに。」
当然覚えている。カーリーはかつての恋人であるヴィッシュを殺したのがナガラだと思って疑っていない。そして仇を討つことを誓っている。ヴィッシュを殺したのナガラではないと何度も何度も言い聞かせたのだが、まったく聞く耳を持たなかったカーリー。
カーリーは決して叶わないその大望の達成のため、一方の私はあらゆる知識の蒐集のため、それぞれの目的の為に二人は組んで行動を共にしてきた。だけれども、やがて私はカーリーと別行動することにしたのだ。蒐集して山積みになった物の検分を、落ち着いてしたかったと理由もあったし、カーリーがずっと引きずっている勘違いに辟易したという理由もある。
「じゃぁ、勝手に続けてればいいじゃない。
さようなら。」
「いや、今日はそうは行かないよ。姉貴を連れて帰るために来たんだ。」
こいつは私を名前で呼ばないときには、姉貴と呼ぶ。幼い時から姉妹同様に育てられたからなのだが。
「連れ帰る? 何それ?」
「あれからずっとナガラを探している。私なりに色々考えてやってるんだけど、なかなか見つからないんだ。
私は馬鹿だから、やっぱり姉貴が必要なんだよ。だから姉貴のその頭を使って協力してくれ。」
「ナガラはもう死んでるのよ?
それに嫌よ、面倒くさいわ。私にも大事なものが有るの。」
「昔みたいに姉貴が考えて、私が動く。それでいいじゃないか!」
急にカーリーが激高して机に拳を振り下ろした。机の天板が割れ大きな音を立て崩れ落ちる。机の上の書類が散乱した。
カーリーは気を静めようと努力している様だった。
相変わらずすぐにカッとなる面倒臭い奴だ。ナガラの事になると特に……。
すると扉が開きシィが顔を出した。
「ネイぃ? 大きな音がしたけど大丈夫ぅ?」
「大丈夫よ、彼女が帰ってから掃除するから手伝ってね。」
シィは同意しながら扉を閉めた。
深呼吸するカーリー。
「……じゃあさぁ、姉貴のその大事なものが無くなったら、一緒に来てくれるんだな?」
ゆっくりと低い声でカーリーが言った。
「え?」
「ブラッドサッカーを譲った奴が居るよな。調べさせてもらったよ。ここの家の様子もな。しばらく留守にしてたよな。一体どこに言ってたんだ? まあ、今日会えたから良いんだけどな。
……しかし、姉貴も変わったな。あの冷血の永久氷のヴァティがねぇ………。」
不敵な笑みを浮かべるカーリー。
「ロックって言うんだろ? そいつが居なくなればここに留まる理由はなくなるよな。」
「何言ってるの? あんた馬鹿!?」
「ふふふ。その台詞、懐かしいな。だが、馬鹿だからこの手しか無いんだ。姉貴なら分かるだろ?」
まずい、まずい、まずい。こいつは本気だ。やると言ったら絶対にやる。しかも絶対に仕損じない! 特に破壊に関しては!
馬鹿故に単純、単純故に強烈、動き出したら止まらない、歩く厄災、不消炎のカーリー。
「やめて!」
お願いだから……。
「嫌だね。私を止めたければ、方法は一つさ。私と一緒に来ることだ。
な? 分かりやすいだろ? 私でも考えられる作戦なんだ。」
だめだ、だめだ、こいつは妥協案を出しても考えもせずに断るだろう。対話で絡めとって落とそうしても絶対に落ちない相手、私が苦手とするタイプの人間なのだ。
「……。」
考えろ、考えろ、考えろ。
「姉貴、何を考えてるか分からないど無駄だよ。私がやると決めたんだ。絶対にやるよ? ついでに此処も……。」
カーリーが周囲を物色しながら両手の指を鳴らしている。何処からぶっ壊すかを選んでいる様に見える。
「大分飽きて来た。あと五秒で決めてくれないか?」
手のひらを上に向けたカーリーの右手に気が集まり、周囲の空気がゆらめき始めた。
「五。」
……。
「四。」
……。
「三。」
カーリーの右腕を中心に、空気がオレンジに色づき渦巻き始める。部屋全体が怯えている様にピシピシと音を立て始めた。
くそっ。手が無い!
……今までだって誰とも深く関わる様な事はしなかった。ただそれを繰り返せばいいだけだ。
「……分かったわ。」
そう、昔に戻るだけ……。
「此処を去る準備をする時間ぐらい頂戴よ。」
本当はロックの元を離れたくない。
「そして今晩待ち合わせしましょう。」
嫌だ……。嫌だ。嫌だ。ロックが殺されるのはもっと嫌だ。
「待ち合わせ場所は、モーリーの森の魔女の家で良いわね。」
それならば代わりに私が死んでしまった方が良い。
「待ち合わせ場所は調べたら分かるわ。」
あの時あの場所で死んだと思えば良いのよ……。ただそれだけ。
「もう焼け落ちてしまってるけど。」
……熾り始めた心の火を、今消そう……。
「ああ、いいよ。もし私が望まない事になったらロックを殺して、ここも破壊する。」
「……。」
「黙ってるけど納得していると解釈していいよな。じゃあ、一旦引き上げるよ。」
笑顔でそう言うとカーリーは書斎を出て行った。
なぜ今頃になってカーリーは……。せっかく順調に物事が進み始めたと言うのに。
……、ロック……。




