第84話 岩戸へ2
* * *
目の前には石造りの建造物があった。ちょうど滝つぼの真ん中に建っており周りを水に囲まれている。奥は崖と繋がっている様だ。ずいぶんと高い場所から落ちてきた滝の水は霧状になり優しくその屋根の部分に降り注いでいる。その建造物は極一部が欠損しており、その殆どが形を残している。直方体に削りだされた石のブロックを積み上げた、水面から五十センチメートルほどの床。そこに数メートル間隔で石柱がいくつも並んでおり、さらに石の梁が柱と柱の間に渡されている。梁にも切り出された石板が渡らせてあり、屋根状の構造をなしていた。柱の間に壁は施されておらず、柱には幾何学的な模様が彫られていた。それが何を意味するのかは分からなかったが。
「ここが岩戸ですよ。」
エルが言った。先頭を歩いていたバランが下がり、エルが先頭を行く。
「岩戸というより神殿だな。」
「奥に行けば分かりますよ。」
僕らはその建物の正面にある石の橋を渡った。僕とリダが先頭のエルに続き、フェルミとズベンがその後から着いてきた。バランは橋に残る様だ。僕らは水面より少し高い床に向かう階段を上がり、柱の間を抜けその建物の奥に歩いた。
建物の一番奥、ちょうど崖に面するところにそれはあった。加工された石の扉と言うより、一塊の岩の一部が質の違う砂礫岩から顔を覗かせている様な感じだ。その表面には門の様な絵が浮かび上がる様に彫られていた。岩の左右には祭壇の様な木製の台が置かれており、用途は分からないが、椀や何かしらのオブジェクト、綱や木の枝、植物などで祭られている様だった。
「ここですよ。神の岩戸です。向って右が巫女の祭壇。左が呪術師の祭壇です。」
エルが手の平を上にしてそれらを示しながら言った。
「巫女と呪術師は違うのか?」
「巫女は神の意思を伝える者で、呪術師は神の力を代行する者ですよ。」
「確か、呪術師の血は絶えてしまったと言ってたよな。」
「そうなんです。だからこの扉は開かないんですよ。」
一瞬、一つの柱の影が動いた気がした。
ん?
「ん? 何じゃ?」
リダも気づいた様だ。僕は立っている位置をそっとずらしてその柱を見た。その柱から黒い影が別の柱の陰に移動した。
「何か居るようじゃな。」
『何かわかるか?』
「さてな。見失うでないぞ。」
リダの姿が次第に赤い霧の様な塊に変わっていった。
『え!?』
リダの霧は不定形に形を変え、そして拡散はせずに、その柱の方にゆらっと移動し始めた。
「どうしたん?」
フェルミが聞いてきた。
「え? あ? あぁ、あそこに何か居るみたいだ。」
僕が指さすと、さらに黒い影が別の柱の陰に移動した。
それを追うように移動方向を変え近づくリダの霧。
「何も居らんばい?」
おかしいな、フェルミの方が僕より目が良いと思ったのだけれど。
さらにリダの霧が近づくと、その黒い影は別の柱の陰に移動した。その移動間隔は段々早くなりリダの動きも段々早くなってきた。僕は見失わない様に黒い影の方に走った。
黒い影が柱と柱の間を縫う様に逃げる。もはや柱での陰で隠れる様なことはしていない。それを追うリダの霧。僕もそれを見失わない様に必死に追う。黒い影とリダの間の距離が段々と無くなる。リダの霧の一部が黒い影に接触した瞬間、その影はビクッと痙攣し動きを止めた。そしてリダの霧がその黒い影を覆う。
リダの霧が黒い影を覆って暫くすると、内部から飛び出そうとしている力を抑え込むかの様にリダの霧が激しく頻繁に形を変えた。次第にその動きは小さく弱くなっていき、やがて動きが無くなった。
リダの霧は徐々に収束しはじめた。ぼんやりと人の姿の塊になり、足元からいつものリダに変化していった。
ニィっと笑うリダ。舌なめずりをしている。
『どうした? 大丈夫か?』
リダが霧みたいになるなんて聞いてないぞ。
いや、リダは異空間に居るから何でも有りだ。……そうなのか?
「くっくっく。喰ろうてやったわ。」
『おいおい。変なものを食ったんじゃないだろうな。』
「バステト程ではないが、美味であったぞ。」
……。
『……で、変わりないのか?』
「さて、どうであろうな?」
まったく……。
『リダに変わりがないかどうか、教えてくれないか?』
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。」
リダはウィンクをしながらそう言った。
「妾は『アダド』という名前の顕現化魔素体を喰ったぞ。そして、バステトのときと同じくアダドの術式を妾の聖刻に依って使える様になったのじゃ。
新たに加わった術式は、あの岩戸の周囲五十キロメートル限定じゃが、『召雨』、『雲払い』、『気候予測』、『植物促成』、『与鍵』、『開門』じゃ。」
『開門?』
「開門じゃ。」
『ひょっとして、アダドって呪術師が使ってた顕現化魔素体なんじゃないか?』
「そうなるかの。……じゃがもう居らぬぞ。」
リダは自分の腹を二度ほど手で打ってそう言った。
エルとズベンが何やら話しながらこちらを指さしている。フェルミはじっとこっちを見ていた。
そう言えば僕が急に走り出した理由なんて、誰も分からないんだろうな……。
「変わり者集団のリーダーも、ますます変わり者になりつつあるな。」
リダが可笑しそうに言った。
『誰のせいだよ。』
* * *
僕は詠唱用の窓を引き寄せ、リダの聖刻で開門の術式呼び出した。対象は接触した物だ。僕は右手を神の岩戸にあてた。
「インヴォーク!」
神の岩戸が白く光りだし、そして門の模様の内側がその形に沿って岩が無くなっていた。その先にはさらに広い空間が広がっていた。
岩戸を抜けると、そこに柱がいくつも並んでいる広い空間だった。まぶしい光が前方からのみ刺し込んでいる。左右と手前は暗い。柱をよく見ると床と天井と繋がっていた。
「すごいですよ、ロックさん。呪術師の技を再現したの?」
エルは開門の術式の事を言っているのだろう。なんだか益々親近感のあるしゃべり方になってきた気がする。
「そうだよ。僕自身も驚いているんだけどね。まるで、僕じゃない別の意思が働いているみたいだ。」
「それは困ったもんじゃの。」
僕は軽くリダを睨む。それを無視するリダ。
「ねぇねぇ、あっちに行ってみましょうよ。」
光の刺す正面の方を指さすエル。僕とフェルミとエルとズベンは前方に進んた。リダはあちこちを観察しながらついて来た。何の予告も無く、後方が急に暗くなったので皆が振り返ると、さっき通った門がすぅっと閉じていくのが見えた。
「「あっ!」」
みんな驚く。
「まぁ、後で開けられると思うぞ。」
僕は根拠は無いが自信をもってそう言った。
「とりあえず、ここを探索してみよう。」
エル:「危ないから、走らないの! 柱が沢山有るからぶつかるでしょ。」
ロック:「……。」
エル:「柱が有るのに柱ないだって。あっはは。おっかし~。」
ロック:「……。」




