第8話 ロック改造計画2
* * *
「あら、お帰り。」
僕はネイから言われたクエストを終え、二百六号室に戻ってきた。ネイは小さなテーブルの横の椅子に腰かけ、薄暗い明かりの下で本を読んでいる。そして、ベッドの上では両手を頭の後ろに組んで横になり、片膝を立ててリラックスしている僕の姿をしたゼロがいた。
ロープを解いても良いのかな? ゼロは賢いから、何処にも行くなと言えば素直に応じるのか?
僕は、ロックの姿をしたゼロの胸に跳び乗り、目を合わせて意識を集中した。視界が暗転し、回復すると目の前にゼロが居た。
よし、戻った。
「ただいま。ゼロの拘束を解いていたんだね。ゼロは大人しかったのかい?」
僕はネイに聞いた。
「ええ、とても良い子だわ。さて、元の身体に戻ったのなら、こんなところはさっさと引き払って家に戻りましょう。
……それともあんたはまだ私と此処に居たい?」
意味深な視線を向けてくるネイ。
「え、いや、居たいという訳では……。」
「ふ~ん、つまんないの。
じゃあ帰りましょ。ゼロは付いておいで。」
ネイは部屋を出る時も、この連れ込み宿に来た時と同じように僕の右腕に抱きついてきた。ゼロは後から付いて来る。
「良いわねぇ、若いモンは。」
鍵を返して帰ろうとする僕達に、受け付けのお婆さんが言った。実際、後半は得ることはあったのだ。猫化のメリットを改めて知ることができたのだから。ただ、前半のネイのくすぐり攻撃は意味不明だった。
「ところでさネイ。拘束を確認するのに思いっきりくすぐっただろ? あれをする必要があったのかい?」
「もちろん意味は無いわよ。ただやってみたかっただけ。」
「やってみたかったって……。僕をいじめて楽しんでたじゃないか。」
「そうでも無いわ。」
そう答えたネイの、僕の腕に掴まっている力がちょっと増した。僕たちは宿を出て、連れ込み宿がある狭い路地裏を出て、歓楽街を歩いた。
「俺もあやかりたいぜ~。ガハハハッ。」
などという道中の酔っ払いの声を無視しつつ、僕達は歓楽街を出た。
僕は歓楽街を歩く間、意識の九十九パーセントをネイが掴まっている右腕に集中していた。
家にたどり着いた僕たちは、ダイニングテーブルの椅子に腰かけていた。ゼロはテーブルの上に陣取っている。
「さてさて、ロック君。猫の隠密活動のクエストの成果はどうだったかな? 報告して頂戴。」
ネイの『解説してあげようモード』が続いている。
「オツカ商会の話題は無かったよ。」
「あら、そう。」
一瞬、ネイの顔が引きつった様に見えた。
「どうしたんだい?」
「何でもないわよ、続けて。」
「貿易と相場に関しては僕は良くわからなかったけど、豆が不作気味らしいね。あと、詳しい情報はまったく聞けなかったけどサルファ国の船が行方不明なんだってさ。」
「豆ね。他に何か聞こえた?」
「最近の出来事なんだけど、この辺で不審火が増えているらしいよ。あとは、漆黒のカナテがこの街から姿を消したらしいってことかな。」
「でしょうね。」
「その口ぶりだと、まるで不審火の原因を知っているかの様だな。」
「そっちじゃないわ。
それはさておき、情報を集めてくれてありがとうね。報酬は何が良い?」
「いや、報酬だなんて大袈裟な……。」
でも、もし貰えるんだったら……。
「そうね、大袈裟だわね。」
もたもたしているうちに、報酬がなくなった。
「それで? あんたが持っている能力はどうだった? どう活かしていくのかは自分でよ~く考えてね。」
「考えとくよ。」
猫になれば遠くの声までもよく聞こえるし夜目も効く。そして猫は発見されてもそんなに怪しまない。こっそり何かを覗くには最高だろう。
いや、別に邪な目的で覗くつもりは無いぞ。
「あ、そうそう、あんた、まだまだいいもの持ってるわよ。私という優秀な指導者をね。」
突然立ち上がり、威張った感じに両手を腰にあて胸を張るネイ。
「さらにもう一人の指導者、じゃじゃ~ん。こちら漆黒のカナテさんです。」
ネイはテーブルの上で毛づくろいしているゼロをおおげさに両手で示した。両手をひらひらと動かしている。
「え? ゼロじゃん。」
「そう。今はゼロ。しかしてその実態は、あの辺境一とも言われる孤高の剣士様なのです。だよね~、ゼロ。」
「にゃ」
ネイに合わせる様に答えるゼロ。
いつの間に芸を仕込んだんだ?
「そして私はあんたに提案するわ。いいえ、これは指示よ! これからは寝る前に、ゼロと意識交換してから寝ること。分かった?」
そしてネイはゼロに向かってこう言った。
「ゼロは意識交換後に、ロックの身体をたっぷり鍛えてちゃって頂戴。良いかしら? それがロックを守ることにもなるわ。」
ネイは何を言ってるんだ?
「にゃ」
ゼロもゆっくり尻尾を振って答えた。そしてネイは僕に向かって笑顔を見せた。
「これでちょっとは丈夫な体になるんじゃないかしら? まぁ、だまされたと思って今晩からそうして頂戴。」
「いや――」
僕が何かを言おうとした途端、ネイは人差し指をそっと僕の唇にあてた。僕が黙ると、ネイはベッドに向かって歩いていった。そして服を脱いで下着姿になった。
――な!
ネイは僕の方を気にすることも無くベッドにもぐりこんだ。ちょっとは僕の目も気にして欲しいものだ。結局僕はネイの下着姿が気になって、ゼロに代わって寝る理由を問う機会を逸した。
なぜならば、僕の頭の中身がネイのあられもない後ろ姿でいっぱいいっぱいだったからだ。
* * *
朝、目覚めると僕は猫だった。そういえばこれから毎日ゼロと身体を交換してから寝ることになったのだ、反論の余地もなく。僕はチェストの上に作った即席ベッドで寝ている。ゼロはそっと僕の胸に乗って、僕のほっぺを前足の肉球でムニムニした。
「にゃぁ」
起きろ~。
僕が目を開けたので、ゼロは僕の目を覗き込んで意識を集中した。視界が暗転した。直ぐに視界が開け、目の前にゼロの顔があるのが確認できた。
ふむ、元に戻った。
ゼロは僕の胸から降り、お気に入りのテーブルの上に向かった。さて、僕も起きるか――
「っ痛!!!」
突然体中から激痛が走った。
「いででで。」
起き上がろうとすると、力を入れたところに激痛が走り、動かすことが出来ない。まったく起き上がれないのだ。いや、動いたら死ぬ。動けないままベッドの上でずっとずっと固まっていた。
僕の身体はどうなったんだ?
目だけを動かしてゼロの方を見てみると、ゼロはこちらの様子を見もせずに自分の前足を舐めていた。僕の気のせいかも知れないが、まるで一つ大仕事を達成したかの様に振る舞っている。
* * *
「あははっ。ロック、これは筋肉痛よ。ゼロの特訓の成果があったってことじゃない? 楽して鍛えられるなんて、なぁんて羨ましい。」
ネイが僕の即席ベッドの横に立ってる。そして仰向けで横になったまま動けない僕の体を満面の笑顔でそっと突いた。
「痛っ。いででで。ホントに痛いんだってば。」
「あんた、ほんとに動けないの?」
ネイの目がすぅっと細くなった。
嫌な予感しかしない。
「あははは」「やめ、いでで、ちょっと」
「あははは」「あだだだ、ああ、まって、いでで」
「あははは」「いだ~~! ゲホッ、ゲホッ、いててて!」
「あははは」「やめれ!、いたっ!、あだだだだだ……」
その突き責めは、ぴたりと止まった。僕の呼吸は荒かった。さらに息をするたびに何処かの筋肉が痛んだ。ネイがじっと僕の顔を見つめている。可笑しさで興奮したのか、やや顔が火照っている。
なんでじっとこっちを見つめてるんだろう?
「あ、そうだ。朝ご飯、食べさせてあげるね。用意するから待ってて。」
ネイは鼻歌交じりで、軽やかにキッチンに向かって行った。僕は動けず、目でネイを追うことしかできなかった。
ロック:「これって本当に筋肉痛なのかな?」
ネイ:「肉離れじゃない?」
ロック:「それって……」
ネイ:「はいはい。魔法羊皮紙で傷は治してあげるわ。」