第79話 上陸
* * *
夜明け直後、ブラック・スノーボール号とアルバトロス号は発見した陸地に沿って西に進んでいた。吃水の浅いアルバトロス号が陸地側に位置しており、陸地から離れた位置でブラック・スノーボール号が並走していた。海面下の隠れた岩が無いかどうかを確認しながら慎重に進んでいる。左舷に見える陸地は切り立った崖が続いていた。崖下は険しい岩が連なっており波が打ち付けられているので上陸が難しそうだ。崖の上に目を向けると、熱帯の森が広がっており、ところどころから細い滝が海に落ちていた。
「上陸できれば、水は確保できそうね。」
アルバトロス号の船首甲板には僕とネイ、フェルミとゼロが居た。デルファとロクシーはブラック・スノーボール号に居る。
「上機嫌だね。」
僕はネイに言った。
「ええ。神々の時代には、知識ある生命たちが隔離された大地に住まい、各地で繁栄したって言ったでしょ。だからここにも何かしらの文明が有ったり、あるいは遺跡が残ってたりするんじゃないかと思ってるのよ。そう考えるとわくわくするでしょ?」
「そうだな。」
「それに、ゴンドワナ大陸には存在しない物があれば、高く売れるわ。」
ネイが何かを企む顔に変わった。微妙な変化なのだが、僕にははっきりと分かる。
「おいしい食べ物あるかな?」
さっき食事したばかりだというのに、フェルミが煎り豆を食べながら言った。。
「あると良いな。」
それから数時間、陸地に沿って東に向かったが、切り立った海岸線は続いた。
* * *
海岸線にちょっとした変化が現れた。少し出っ張った岬の先に、陸地から少し離れた島が見えたのだ。岬も島も海に接している部分は高い崖状だった。さらに陸地に沿って進んでいくと、その岬の手前には、幅五十メートルほどの海岸線の切れ目がはっきり認識できた。さらに近づくと、その切れ目の奥には湾が広がっているのが見えた。その湾の入り口の両サイドが切り立った崖だったので、それはまるで城門の様に感じられた。その開いた門から湾の奥をうかがうと、そこには砂浜が見えた。
アルバトロス号は水深を確認しながらその湾に入っていった。天然の門を通過するときの両サイドの崖に圧倒されながら。アルバトロス号はゆっくりと進み、幅が約一キロメートル、奥行きが約五百メートルの楕円形のその湾の真ん中あたりに着いた。
「ここに投錨します。」
アルテアは船首甲板に駆け寄りそう言った。アルテアと一緒に来た水夫が僕らを通り越し、船首で錨を降ろす準備をしている。甲板では縮帆していた帆をさらに畳んでいる水夫たちが居た。
「水深は十分にあります。ブラック・スノーボール号もこの湾に入って来るでしょう。いよいよ上陸ですね。」
アルテアは上気しながらネイに言った。
「ええ。」
そう答えるネイ。その湾の入り口に近い側の半円は、湾の外側の海岸と同じように切り立っていた。反対に奥側の半円には崖の手前に砂浜が広がっており奥に行くほど砂浜の幅が広くなっている。その広い砂浜の一部の奥は崖が切れており、崖に挟まれた谷には陸地内部に向かって森が続いていた。
「ボートを降ろしておきますから、上陸の準備をしてくださいね。」
アルテアはそう言って中央甲板の方に走っていった。
「準備って言っても、もう出来てるわよね?」
ネイが僕らに言った。
「ああ。」「うん。」
僕とフェルミが答える。フェルミは、まるでそれが準備しなければならない品であるかの様に煎り豆が詰まった袋を前に出していた。
そして僕ら一行は、ゆっくりと中央甲板の方に向かった。そこではボートを左舷に降ろす作業が進んでいた。
「準備は良いですか?」
カトラスを帯に取り付けながらアルテアは言った。
「ええ。」
「それでは、ボートに乗りましょうか。ボートの漕ぎ手以外に、上陸時に行動を共にする二人の水夫が付いてきてくれますよ。では、どうぞ。」
アルテアはボートに降りるための縄梯子に僕らを誘った。僕らは一人ずつ順番にボートに乗り込んだ。
ボートは真っすぐ砂浜に向かっている。ゼロは舳先を陣取っていた。アルバトロス号の方を見ると樽が数個海に投げ込まれていた。水夫が二人海に飛び込んで樽のところまで泳いで行く。その樽にはロープが掛けられており、それらを引っ張って海岸の方に泳ぎ始めた。
「ボートの往復を待てないみたいね。」
ネイがその様子を見ていった。
「ええ、久しぶりの陸ですからね。」
アルテアは笑顔で言った。
しばらくして、ボートがへさきの底を擦りながら砂浜に到着した。ゼロが波が引いた瞬間を見計らって砂浜に降り立ち上陸した。水夫達がボートから降りボートを浜に引き上げる。僕は打ち寄せる波で濡れない様に最初にへさきから砂浜に降り立った。ネイの上陸を助ける僕を尻目に、フェルミとアルテアがボートから降りた。
「さて、あの森に少し入ってみましょう。」
砂浜の奥、崖の間の谷に広がる森を指さしてネイが言った。さて、そろそろ僕の出番だ。
「水夫の二人は藪を切り開くために先頭を行ってくれ。ゼロはさらに前方を進んで何かあったら戻ってきてくれないか。僕の後ろにアルテアとネイが付いてきてくれ。フェルミ、最後尾を頼む。」
「妾は、どうしたら良いのじゃ?」
童女ではなく少女に成長したリダが聞いてきた。
『あぁ、消えてくれればいいんだけど、嫌ならネイの横ににでも居てくれ。』
「了解じゃ!」
握った拳を胸の前に当て、直立するリダ。
『一体どこの敬礼だよ。』
僕らは森と砂浜の境界に向かって進んでいった。すると突然、森から二つの影が躍り出てこちらに向かって走ってきた。僕とフェルミが二人の水夫を追い抜き前面に出た。
「チェンジ、ブルーホーク。」「チェンジ、イエローキャット!」
森から飛び出してきたのは二人の小さな人間だった。いや、人間ではない。その肌は緑っぽく身長は僕の腹ぐらいしかない。一人は貫頭衣を着ており、もう一人は腰布を巻いていた。二人は僕たちを見て驚き、一瞬立ち止まってお互いを見たが、すぐに僕らを避けて海岸の方に駆け出した。
「にげろ!」
彼らの一人がすれ違いざまにそう言った。すると森の方から、さらに新しい影が数体踊りだしてきた。それは妖獣ブラックドッグだった。
「そういうことか! フェルミ、行け! ゼロ、ネイ達の護衛を頼む。アルテア達は一カ所に固まってくれ。」
僕は剣を二本とも抜き、フェルミが取りこぼした妖魔の対処に備えた。
フェルミは少し笑顔を浮かべながら戦っていた。危うさは全くない。フェルミが置いていったクロガネが僕の横で砂地に突き刺さっている。そしてまた一匹、フェルミの短剣で頭を落とされる妖魔。次々と姿を現すブラックドッグ。時々僕の方を見て様子を確認しているフェルミ。そしてわざわざ、一匹の妖魔を取りこぼしてこちらに送り込んだ。フェルミは右腕をこちらに伸ばし、握った剣の柄から人差し指を一本だけ離して立てた。
一匹お裾分け、と言ったところか……。
大きくジャンプして僕に跳びかかってきた妖魔。僕は左手の剣でそいつの首を落とし、右手の剣で胴を切り裂いた。長い船旅だったが腕は錆びていなかった。
そしてブラックドッグの新手は森から出てこなくなった。フェルミはこちらに背を向け、両膝を地面に付き天を仰ぎ、短剣をその場に落とした両手をだらしなく下げている。
また例の恍惚の時を過ごしているのだ。




