第78話 陸地発見
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月明かりの下、アルバトロス号は軽快に波を切って南西に向かっている。ブラック・スノーボール号の姿は見えない。アルバトロス号はその足の速さを利用して、ブラック・スノーボール号から離れすぎない様に南側を進み、陸地が無いか監視したり一旦停船して海底までの深さを測量したりしている。もともと探検目的のための船だから、測量するための道具はそろっていたのだ。
僕とネイとゼロは、フェルミとロクシーとデルファをブラック・スノーボール号に残してアルバトロス号に移乗していた。毎日食料調達の為に接舷するのが大変だったから、食料調達手段を二手に分けたのだ。つまりフェルミがブラック・スノーボール号でしているのと同じ様に、僕がアルバトロス号の食料調達役を担っていると言うわけだ。
しばらくの間、デルファの世話をロクシーに面倒を見てもらう様にした。男嫌いのロクシーにお願いしたので、水夫に手伝ってもらう様にも手配済みである。
ネイとゼロはアルバトロス号の船室で休んでいる。貨物輸送が目的ではないこの船には、個人で使える船室が多く設えられていた。ネイ曰く、長期探検に耐えられる様に船員に配慮したためらしい。
僕はアルバトロス号の前方甲板に居て、何もない前方の海を眺めていた。
「今日はネイの部屋に忍び込まないのか?」
リダが僕の足元にしゃがみ込み、見上げて言った。
『何を藪から棒に言ってるんだ。』
何とかしてリダを消す方法を見つけなければならない。一時的に消えるだけでも良い。その助けになるかどうか分からないが、もっと魔法を習熟する必要があるのではないかと思う。
「藪から棒とは、意味深なことを言うんじゃな、ロックは。」
リダは立ち上がり両手を頬にあて、体をくねらせている。
『何がどう意味深なのか分からないんだけど?』
「分からぬと白を切るのか?」
リダは動きを止め、こっちをじっと見てきた。
……ほっとこう。
僕は意識を集中して詠唱用の窓を呼び出した。霧発生の魔法しか使えないならそれでも構わない。範囲は僕を中心とした半径十メートル、発生期間は三十秒。僕は詠唱し、リダの聖刻を利用して霧発生の術式を呼び出した。
「インヴォーク。」
「まぁまぁじゃな。暖かい海上じゃから効果は薄いがぼんやりと霧が発生し始めたぞ。どんどん前方に流れて行っているがの。」
リダが言った通り、海面から霧が発生し始めた。折からの海風に流され薄い霧は左舷前方に流れている。
「効果を高めるヒミツの方法を知っておるか?」
『そんなことがあるのかい?』
「それはどうかのぅ。」
自分で話を振っておきながらとぼけ始めるリダ。
『魔法の効果を高めるヒミツがあるなら、教えてくれないか? リダ。』
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。ブラッドサッカーを装填してみるんじゃ。」
『それだけかい?』
「それはどうかのう。」
とぼけるリダ。まあいい、やってみるだけだ。
僕はブラッドサッカーを右腰の鞘に収まっているブラッドサッカーの柄を握った。
「装填。」
ブラッドサッカーに装填すると、いつもの様に血の気が引いた。
「ふぅ、そうじゃそうじゃ。」
声のするリダの方を見ると、そこには十代の少女に成長した姿のリダが居た。美味しい物を食べた後であるかの様に、舌なめずりをしている。
『な?! 成長してるじゃないか!?』
「これで一段階目じゃ。ほれほれ、強化されたか確かめるために、もう一度霧発生の魔法を使ってみると良い。」
リダは右腕をこっちに伸ばし、垂らした手の甲を上下に振った。
僕は意識を集中して同じ媒介指定の霧発生の術式を呼び出した。
「インヴォーク。」
僕の周りには先ほどの倍ぐらいの濃度の霧が発生していた。確かに強化されている。そして前回と同様に左舷前方に流れて霧散していた。
『さっき、一段階目と言ったか?』
「それはどうかの?」
とぼけるリダ。
『二段階目の装填があるのか、教えてくれないか?』
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。二段階目の装填は、ある。ブラッドサッカーの装填のストックは二つじゃ。」
『じゃあ、このまま装填した状態を保持しておき、明日以降に装填してみるよ。』
「ロックが装填するのか?」
『そうだけど? 連続して装填すると貧血になるだろ。』
「それは無駄じゃぞ。」
「無駄?」
「ああ、無駄じゃ。ブラッドサッカーの装填は契約者本人の血の枠と、他人の血の枠の二つだからじゃ。」
「そういうことか! 他人の血を装填するなんて、さすがに気軽に頼めないよなぁ。」
かつてネイを拉致した犯人の血を連続三回装填したことがある。その様な遠慮が要らないヤツの血だったらストックできるのだろうけど。
「もしかして、二段階目の装填だと、リダはもっと成長するのか?」
「何じゃ! 成熟した妾に興味あるのか!?」
右手で後ろ髪をかき揚げ、左腕を腰に据えるリダ。上半身をひねって僕にウィンクしながら言った。
「いえ、ただ聞いてみただけです。」
「独り言の最中すみませんロックさん。」
「うわっ!」
いつの間にか背後に居るアルテアに声を掛けられ僕は驚いた。
リダとの会話がいつの間にか声に出てしまっていた様だ。一人っきりだと思って油断していた。
「何やら真剣に考えているご様子でしたが、緊急事態ですよ。」
「な、何でしょう。」
「南東の水平線上に黒い影が現れました。陸地ですね。一旦ブラック・スノーボール号と接舷し、このことを報告します。夜が明けたら陸の様子を観察して上陸できるかどうかを判断したいと思います。」
いつ陸地に上がれるか分からない今の状況では、それは朗報だった。
「本当に!? それは良かった。マストの上に登ってその黒い影を見ても良いかい?」
「ええ、でも落ちない様に気を付けてください。」
「ああ。」
僕は慎重に、マストを横から固定しているロープ群、シュラウドと言うらしい、に張っているいくつもの梯子状の横綱を登った。見張り台近くまで来ると、一人の水夫が見張り台に入るのを手伝ってくれた。そして、彼が指さした先の左舷の水平線を見ると、確かに水平線上の一部に横に広がっている黒い影があった。
甲板を見ると、今まで寝ていた水夫も起こされたのだろうか、アルテアの周りに水夫全員が集まっていた。回頭を始める様だ。
「ブラック・スノーボール号はどこだい?」
僕が水夫に尋ねると、
「あちらの方角です。これを使いますか? マストの先端が見えますよ。」
と右舷やや後方を指さしつつ望遠鏡を差し出してくれた。
「いや、良いよ。邪魔だろうから僕はもう降りるよ。」
あわただしくなり始めたアルバトロス号の甲板に向かって、僕は縄梯子を降りることにした。
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ネイと僕はアルテアを伴って、真夜中にも関わらずゲルビーツ船長の部屋に居た。
「まずは陸地に向う。そして海岸から離れたところで投錨し朝を待つことにする。」
ゲルビーツ船長は言った。
「上陸はするわよね。」
ネイが言った。アルテアはネイの発言に大いに同意している様子だ。
「海岸の状況次第だな。海底の様子を見ながら座礁せずに接近できるか、ボートで上陸し易い海岸があるか、それ次第だ。」
「上陸するとしたら私が行きます。」
アルテアが手を上げて言った。
「私も興味が有るわ。」
ネイが言った。
「じゃあ、僕とフェルミも行くよ。念のため護衛で。」
「水夫も二人ぐらい付けます。」
「構わんが、メンバーの選定は上陸すると決まってからでも遅くは無いと思うぞ。それに、アルバトロス号の乗員の雇用主はネイだからな。ネイが決めたら良いさ。」
ゲルビーツは淡々と言った。
「それもそうね。」
ネイはアルテアに向いて頷きながら言った。アルテアが上陸することをネイは許可した様だ。
「何があるか楽しみですね。」
アルテアは嬉々として言った。
ロック:「デルファの様子はどうだい?」
ロクシー:「相変わらずデスね。よく寝言を言ってマス。ところでロック、本当にデルファは別の世界から生まれ変わって来たのデスか?」
ロック:「らしいね。ネイは妄想だって断言しているけどね。ロクシーは興味があるのか?」
ロクシー:「あっ、いえ。そうでも無いデス。」




