第76話 漂流2 ~ネイ~
* * *
――ネイとロックが船長室から客室に戻ってきて数時間経ったときの事である。
「チェンジ、イエローキャット。」
フェルミが変身すると、とてもとても大きなバックパックを背負った姿に変わった。クロガネは船室のベッドの横にずっと転がっており転送の対象にはしていない。私はロックと共に船室の椅子に座っている。
「サルファ側もこれだけの食料や水を用意するのは大変なんだろうな。」
ロックが関心しながら言った。
「三十人の一日分の食材デスからね。ルビィがシィにこき使われているのが目に見える様デス。」
ベッドに座っているロクシーが言った。デルファは相変わらず眠り続けている。その傍らにゼロが居た。
「フェルミ、額に何か描いてあるぞ。何だそれ?」
戦闘化粧とは別に、フェルミの額に九本の線が描かれているのに気付いたロックが言った。フェルミは見える筈もないのに一生懸命自分の額を見ようと、もともと寄り目気味の目をさらに寄せて上を見ている。
なるほど、サルファは今九時から十時の間ということね。こことサルファとの時差はざっと四時間といったところかしら……。
「それはね、ロック。私がそうする様にシィに手紙を送っておいたのよ。サルファの時刻と同じ数の線を一時間毎にフェルミの変わり身ゴーレムの額に描き足しておくようにとね。」
私はフェルミとシィのおやつ便のやり取りの際に、今後の食材調達の指示書を送っておいたのだ。その時さらに追加の要求もお願いした。それが、現在のサルファの時刻をこちらに知らせる手段としてのフェルミの額の数字だ。
「手の込んだ悪戯かい?」
「まさか! あんた本気でそんなこと言ってるんじゃ無いでしょうね。サルファでは時計があって正確な時刻が分かるでしょ。そしてこっちは時計が無いから正確な時刻は分からないわ。でも正午は分かるの。そして正午からの経過時間は大体わかるから、サルファとの時刻の差で現在の経度が分かるって訳よ。この方法では最大一時間の誤差が発生する可能性があるけどね。
フェルミ、その荷物のお届けと、現在のサルファの時刻は夜の九時から十時の間だってことをアルテアに知らせてきてあげて頂戴。」
「分かったばい。」
フェルミは大きなバックパックと共に客室から出て行った。その右手にはしっかりと煎り豆の袋が握られていたのは言うまでもない。
「いや、額に描く必要は無いだろ。数字を書いた紙を握らせるとか別の方法もあっただろ? やっぱり悪戯じゃないか。」
そんなことしたらちっとも面白くないじゃない。やっぱりロックには、ちょっとしたお遊びがバレてるみたいね。
「あら。そんな手もあったわね。ロックは頭がいいわ~。」
私は適当に話をそらしておいたが、ロックはじっとこちらを見つめていた。
「ロック、そんなに見つめられると照れちゃうわ。」
「……。」
暫くの沈黙。
「……先輩って、システムトラブルが発生すると生き生きとするんですね……。むにゃむにゃ。」
突然、デルファの声が聞こえた。
「何?」「何だ今の?」「何デスか?」
私たちは皆、デルファの方を見てそして互いに目を合わせた。
「寝言か?」
とロック。
寝言だとしてもデルファの心の深い闇を垣間見た気がした。これは関わらない方が良さそうだ。
「あんたの担当よね。」
私は、デルファ関係の処理はロックが丸ごと抱えることを再確認した。
* * *
その翌日の正午前、私は一人でブラック・スノーボール号の船首甲板に居た。気温と湿度が高いが海風がそれを洗い流してくれる。とは言え、そろそろ本格的にお風呂に入りたい気分だった。ロックは客室でデルファを無理やり起こして食事をとらせている。
かつての魔女のノウハウを取り入れた、食事に混ぜる薬草を調合してロックには渡してある。消化がしやすく栄養が吸収されやすい様にしたものだ。食事やトイレが済めばデルファはまた寝込んでしまうだろう。しかし食事やトイレといった活動を行わせるために頻繁に目を覚まさせてやる必要がある。それをロックが行っている。なぜかロクシーはその二人の様子を好奇の目で見ていた。男から寄られるのは苦手なくせに、観察することは好きなのだろうか。デルファの妄想癖と同様に謎ではあるが、決して研究対象にしたいとは思わなかった。
ロックを相棒にしてから、自分の置かれている状況が目まぐるしく変化している。カーリーと行動を共にしていた頃以来の新鮮さがそこにはある。そう思うと、絶対にロックを手放す気にはなれない。手放したくない理由はそれだけでは無いのかもしれない。それは理解しているつもりなのだが、不老の身である私が、いつか別れが来るかもしれないロックのことを想うのはどうなのかしら……。そんなことを左舷の水平線を眺めながら考えていた。
「あら、ネイさん。お一人ですか?」
気づくとそこにアルテアが居た。
「ええ。」
「そうそう、ネイさんに朗報がありますよ。舵の修理はもう間もなく完了しそうです。これで順調にバールバラ大陸に向けて航行できそうですよ。」
「ねぇアルテア、お願いがあるのだけれど良いかしら。」
「何でしょう?」
「舵が取れる様になってからで良いのだけれど、少し南に寄りながらバールバラ大陸を目指してもらえないかしら?」
「やはり新大陸があるのですか!?」
「ずいぶん昔の文献を読んだことがあるのよ。ゴンドワナ大陸では見たことも無い知的生命が小舟で流れ着いたらしいわ。碧矮族と呼ばれた彼らの肌は緑がかっていて、人間よりも小柄だったの。彼らによると長い間漂流して奇跡的にゴンドワナ大陸に流れ着いたらしいわ。そして彼が住んでいた土地では太陽が真上を横切っていたと記されていたの。だから、ここより東かも知れないし、西かもしれないのだけれど、緯度は近いのじゃ無いかと考えられるわ。その情報を頼りに、サルファから探検船を時々派遣しているらしいけど、今だ発見に至ってないのよ。無風地帯を横切ることが出来ないので、南を目指すのが困難だということも有るのでしょうけれどもね。」
「それは、是非発見してみたいですね。」
アルテアは目を輝かせながら言った。
「島でも大陸でも、陸地が見つかると良いのだけれど。あぁ、そうそう、大陸を見つけるために南寄りに航行してくれるのだったら、例の食料調達の対価は割り引いても良いわ。ゲルビーツ船長にそう伝えてもらえるかしら?」
「それは船長も喜ぶと思いますよ。きっとお望み通りに南寄りに舵を切ると思います。」
「見張りをしっかりとすることも合わせてお願いするわね。」
「もちろんですよ。見つかると良いですね。」
高揚している様子のアルテアは言った。
* * *
水夫達が慌ただしく行き来していた。私とロック、フェルミとロクシーは船首甲板に居た。ゼロも欄干の上に座って居る。
「何があったのかな?」
ロックが誰となく聞いてきた。
「陸が見つかったのかしら!? ロック、ちょっと聞いて来てくれない?」
「分かったよ。」
ロックはアルテアが居るであろう船尾甲板の方に向かって行った。その間にブラック・スノーボール号は北に舵を切り始めた。
「進路を変えるみたいデスね。」
ロクシーが言った。私の予想では、大陸は南側にあると思っていたのだけれど、離れ小島ならここより北側にもあるのかも知れない。
しばらくするとロックが帰って来た。
「どうだった?」
私がロックに訪ねると、
「船が見つかったらしい。」
「こんなところに船?」
「ああ。ただちょっと様子が変らしい。帆が張られてなく、マストの上部には見張りが居ないんだってさ。舵を切ってその船に近づけるらしい。あ、見えてきた。」
ロックは船首右側を指さして言った。
確かにその船のマスト上部が水平線上に見えて来た。
アルテア:「あらフェルミさん。ずいぶん大きい荷物ですね。」
フェルミ:「三十人分の食料っちゃけん大きいんばい。」
ゲルビーツ:「嬢ちゃん、その言葉、どこの言葉だ?」
フェルミ:「知らん。爺ちゃんがいっつも喋っとったんばい。」
ゲルビーツ:「ふむ。どの港でも聞いたことが無いな。」




