第75話 漂流1 ~ネイ~
* * *
私たちが客室から甲板に出てみると外は既に暗かった。水平線のわずか一部が濃い赤色に染まっている。その方角が西だとすると夜になったばかりと言ったところか。船の揺れもまったくないと言ってよかった。先ほどまでの嵐は嘘の様に消え去っているが、頭上のヤードや策具から水滴がポタポタと滴っていた。
アルテアがフェルミと一緒に私達の方に近づいてきた。ゲルビーツ船長と他の船員たちは船尾甲板で集まってざわめいている。
「ネイさん、ロックさん! 良く分からないのですが、嵐が急に無くなってしまいました!」
まだびしょ濡れのアルテアは驚いている様子で私たちに言った。その隣に居るフェルミもびしょ濡れだ。
「うちの魔法使いが転移魔法を使ったのよ。ただし何処に行きついているのか分からないの。だから急いで現在の位置を測量してもらえるかしら?」
「そういう事ですか! そんなことができるとは魔法使いってすごいですね。」
「誰でも出来るって訳じゃないわ。デルファが特別だったの。」
「なるほど……。」
アルテアは私とロックを値踏みするかの様な視線をさっと巡らせた。そして全天をざっと見渡し、片目をつぶって天の一点を指さした。
「……これは! 驚くほど南の方に移動していますね。状況は分かりました。もう少し精密に測量してみます。」
「これからどうやって帰るか、危機はまだ去っていないわ。」
沈没の危機だけは無くなったから、私としては安心なのだけれどね。
「そうですね。船の修理、特に舵の修理もありますし。私はこのことをゲルビーツ船長に報告してきます。皆さんは何もすることは無いと思いますので、ご自由にお過ごし下さい。それでは。」
そう言ってアルテアは船尾の方に向かって行った。
「デルファは寝とるん?」
例の縁結びのお守りをロックに渡しながらフェルミが言った。先ほど嵐の中を飛び出していったのでびしょ濡れだった。
「あぁ、寝てるよ。これだけとんでもない魔法を使ったんだ、ゆっくり休んでもらいたいね。」
お守りを受け取りながらロックが言った。その後ろの船室の扉が開き、ロクシーが出てきた。両腕をまっすぐ上にあげ大きく伸びをしながら。
「ふぁぁぁ。案外、嵐はあっさりと去ったのデスねー。」
「ねぇロック。精神的には、ロクシーが最強っちゃ無い?」
フェルミが言った。
「……だな。恐るべき胆力だ。」
ロックが同意する。
「オー、何のことデスか? それより、どうしてフェルミはずぶ濡れなんデスか? しかも戦闘装備デス。」
* * *
――ブラック・スノーボール号が転移した翌日の昼過ぎの事である。
私とロックはゲルビーツの船長室に居た。アルテアも居る。
「それでは、現在の状況を共有しますね。」
アルテアが言った。
「進めてくれ。」「お願いするわ。」
ゲルビーツ船長と私が答える。
「現在のおおよその位置ですが、ジンク港から南に三十度、東に六十度の地点です。未開の領域に来てますね。」
「ずいぶん跳んだわね。」
「良く分からないな、どの位の距離なんだい?」
ロックが聞いた。
「ざっと、七千キロメートル弱ね。合ってる?」
私は最新の地理学の情報を思い出し計算してみた。
「合ってます。」
アルテアは多少の驚きを見せながらこっちを見て言った。これくらいは朝飯前である。
「距離を聞いても実感が沸かないな。」
良く分かっていない様子のロック。距離の数字が大きすぎてイメージできないのかしら。
「この船が一直線に順風で進んだとして、ジンク港に着くには大体三十五日かかります。」
とアルテア。
「え!? そんなに!」
驚くロック。
「しかも、一直線に帰ることはできませんね。船の修理も必要ですし。まぁ、船の修理期間は航行期間に比べると大したものではないのですけれど。」
「ふぅむ。大赤字だな。生きて帰ることができればの話だが。」
ゲルビーツが溜め息をついた後に、ボソッと言った。
「飢えと渇きの問題は無いわ。対価はまだ考えていないけど、私はそれを提供する手段を持ってるわ。」
「本当か!?」
驚く様子のゲルビーツ。その一方で、対価を取ることに対して何やら言いたいことがある様子のロック。
当然じゃない?
私はロックに、そう目配せをした。
「飢えと渇きの問題が解決できるとは僥倖だな。それは任せていいのか?」
「ええ、対価はいずれ。そして船の修理と帰港に関してはお願いするわね。でもその場合、ここからどうやって帰るの?」
「北方向には向えません。ここから北には無風海域が広がっているのが知られています。ゴンドワナ大陸から南に向かおうとした探検隊の情報ですけれどね。それがこの辺りが未開拓な理由でもあるわけです。」
「じゃあ、東に行って北上するか、西に行って北上するかしかないってことかしら?」
「そうです。西に向かいます。このまま真っすぐ西に行けば、オキシ港があるバールバラ大陸に行きつく筈です。オキシ港の緯度はここより少し北ですから、そこを目指します。しかも、海流も西に向かって流れていますし、風も西に向かっています。舵を修理しながらでも西に向かうことができそうです。既にその様に動いています。」
人間の文明はゴンドワナ大陸の大半にまで浸透している。その北部のわずかな領域だけが未開拓な状態だ。そしてゴンドワナ大陸の西部の南側にはバールバラ大陸がある。サルファ商国はそのゴンドワナ大陸とバールバラ大陸間の地峡に位置しているのだ。そのバールバラ大陸は、北部が把握されているぐらいで全容はまだ明らかになっていない。公になっていないというのが正しいのだろうけれども。新大陸と言われているバールバラ大陸の北部は猫耳族が、東部は犬耳族がその文明を育んでいる。犬耳族の古い文献によると、大陸南部には兎耳族が居るらしいが確認した者はいない。
「なるほど。」
「それに最大の懸念であった、食料と水の問題も解決してくれるそうですから希望が見えてきました。」
アルテアが明るく言った。
「対価を取られるがな。背に腹は代えられんが……。」
ゲルビーツは再び暗くなった。逆に私の心の内は明るかった。古い文献によるとゴンドワナ大陸のはるか南には完全未開拓の大陸がある筈なのだ。それを見つけることができれば、遭難した甲斐があったというものだ。まだ知られていない知識を得られるかもしれないし、面白い商売もできるかも知れない。アイーアに拠点を作るよりも価値がありそうだ。そんなことを考えているとロックがこっちをじっと見ていた。
「何よ。」
「悪だくみしてそうな顔をしてたからな。」
「ふん、覚えておきなさいよ。」
ロックに心外なことを言われた仕返しをすることを心に留めつつ、私は言った。
「ところで、陸地が見えた場合は立ち寄るのよね?」
「いや、水と食料に心配が無いなら――」「もちろんです!」
ゲルビーツが答えている最中にアルテアが発言を被せてきた。
「この海域は未調査状態です。当然陸地を見つけた場合は調査する必要が有ります。上陸の際には私も向います!」
「あら? あなたもしかして探検家希望なの?」
「分かりますか? そうです。現在の航海士の修行も将来の為です。経験と貯金の一石二鳥です。いずれは独立して探検家になりたいと思ってます。」
「へぇ、そうなのね。」
ふっふ~ん。これはこれは、実に面白い。
ロックがまたこっちをじっと見ていた。私が発言する前に、
「別に何でもないよ。ただ、一石二鳥の正しい使い方かなと思ってね。」
と先に言ってきたので、睨んでおいた。
シィ:「ねぇルビィ、買い物に付き合ってもらえるかしらぁ?」
ルビィ:「良いぜ?」
シィ:「三十人分の食料と水が必要なのよねぇ。」
ルビィ:「だったらナンディを連れて行こうぜ! な!?」
シィ:「ふぅ……。ねぇルビィ? ナンディと私、どっちが好きぃ?」
ルビィ:「そりゃぁ、甲乙つけ難いな。どっちも好きだぜ?」
シィ:「はぁ。」




