第72話 アイーアへの船旅4
* * *
――ジンク港を出て二日後のことである。
僕は誰も居ない客室に居た。魔法の練習を行うためだ。一人の方が集中できるので、皆が甲板に行っているけれど一人ここに居残っている。
すると、フェルミが扉を開けて部屋の中に入って来た。
「どうしたんだい?」
と、フェルミに訪ねると、
「にゃはは。食べ物の補給を忘れとったんばい。」
そういうとフェルミは部屋の、真ん中に移動した。
「チェンジ、イエローキャット。」
フェルミは躊躇せず変身した。クロガネを背負い、顔に戦闘化粧をした戦闘モードのフェルミの姿がそこにあった。そしてその左手には袋を握っていた。その袋には『おやつ』と書かれている。そしてその袋を椅子の上に置き再度変身した。
「チェンジ。」
「なんだ。そうやって炒り豆を補給してたのか!」
僕はフェルミのやり口に感心してしまった。
「そうばい。シィが毎日あっちでウチの変わり身ゴーレムに持たせてくれるんばい。シィとキャスティと相談したん。こうすればウチは空腹を解消できるっちゃ。」
なるほど、上手い事を考えたもんだ。シィはフェルミに対価を求めているに違いない。シィが大好きな小銭稼ぎにはちょうど良いじゃないか。
「じゃぁね。ウチ、外に行くばい。」
フェルミはおやつの袋を持って部屋を出て行った。誰も居なくなった部屋で、僕は魔法の練習を再開することにした。
まず左手の鷹の紋章が描かれたグローブを前に突き出し目を閉じる。そして集中して格子柄床の空間を呼び起こした。そして更にグローブの位置に集中し窓の印を見つける。その印を見けた後、窓を手前に引き寄せた。目の前に矩形の窓が現れる。ここまではスムーズに行く様になったのだ。暇さえあればこればっかり練習してきたからな。しかし、まだ目を閉じておく必要があるのだけれど。
グローブ無しで窓の印を見つけられる様にならないだろうか……。そう言えば、ブラッドサッカーにも魔力が掛かっているよな。ちょっと試してみるか。
僕は一旦目を開け、鞘から抜いたブラッドサッカーを右手に握り前方に突き出した。グローブを付けた左手は下げる。そして目を閉じ、再度ブラッドサッカーの位置に集中して窓の印を探した。
……あった。
しかし見つけた印は、緑色ではなく赤色だった。
僕は少し不思議に思いながらも、その赤い印を手前に引き寄せた――。
「おぬしか! 妾を呼び出したのは!」
格子柄の床の空間に童女が立っていた。襟が高い真っ黒いマントで体全体を包んでいる。銀髪で顔は色白、口元からは異様に長い犬歯が覗いていた。瞳の虹彩は赤く、瞳孔は縦長だった。
「え?! 君は誰だ?」
「契約者のくせに妾を『誰だ』だと? ふざけおって。」
その童女は腕組みをして拗ねる様にそっぽを向いた。契約者? 僕が契約していると言うことは、この子はブラッドサッカーってことなのか?
「あ、いや、ごめん。君の名前を教えてくれないか?」
その童女は腕組みをしたままこっちを向いた。睨むようにこっちを見ているが、拗ねている様子はなかった。
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。妾の名は、リダ・イレクトじゃ。リダと呼ぶことを許すぞ。」
「あ、ありがとう。じゃぁ、僕もロックと呼んでくれ。ところで、リダは何者なのかを教えてくれないか? 僕が創造したこの空間に居るんだよね?」
「ふむ、この短時間に妾に拒否できない質問をしてくるとは、なかなか大した奴じゃな。契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。妾は顕現化魔素体じゃ。」
なんと! 顕現化魔素体だとは!
だったら聖刻が得られれば、その魔法が使えるかも知れない。
「じゃあさリダ、君の聖刻はどうしたら得られるか教えてくれないか?」
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。ロックは既に妾の聖刻を持っておるぞ? そもそも妾の聖刻を持っておらねば、妾を呼び出すことが出来んのじゃ。」
ということは、あの赤い印が、僕が窓の印と勘違いしていたのが聖刻という事か。
「リダ、もう一つ教えて欲しいんだけど、君の術式は何があるんだ?」
「ロックは欲張りじゃの。しかし契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。ロックが使える術式は、霧発生じゃ。」
「霧発生だけ?」
「ふむ、それはどうかのぉ?」
リダはとぼけて答えない。
急にどうしたのだろう、答えてくれなくなった。質問の仕方が悪かったのか?
「リダが持っている術式は霧発生だけなのか、教えてくれないか?」
「ふ~。最初からそう言えば良いのじゃ。契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。今はそれだけじゃ。」
「今ってことは、いずれは増えるということか? ……いや、術式を増やす方法を教えてくれないか?」
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。ロックと妾の親密度が増せば増えるじゃろう。要は慣れじゃよ。」
「なるほど。じゃあ、霧発生の術式を詳しく教えてくれないか?」
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。ロックを中心とした指定半径の円内に、指定時間の間発生させることができるのだ。よって、指定すべき項目は半径と発生させる時間だ。なお、範囲円内に地面か水面が無ければ発生せんし、周囲の状況によっては直ぐに霧散してしまうぞ。霧だからな。当然、範囲面積と発生させる時間に従って魔力を消費する。」
「貴重な情報をありがとう。あ、そもそもの質問なんだけど、リダとブラッドサッカーとの関係は何なのか教えてくれないか? 魔法装備と顕現化魔素体が一体化しているというのは聞いたことが無いんだ。」
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。しかしながら、妾も詳しくは知らん。
ただ分かるのは、妾とブラッドサッカーは強く関連付けされておる。ブラッドサッカーを普通の魔法装備としても使えるし、妾を普通の顕現化魔素体として術式を使える一方で、ブラッドサッカーを介してのみ効果を得られる術式も有る。その術式の説明は、使える様になってから教えてやるがな。」
「じゃあ、ブラッドサッカーを手放さなければリダの聖刻を使うことが出来るってことだな? これが正しいかどうかを教えてくれないか?」
「契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう。妾の聖刻は既にロックに引き継がれたから、ブラッドサッカーが手元に無くても使えるぞ。」
「なるほど。師匠から弟子に聖刻を伝承できるのと同じ感じか……。
あ、それから最後に一つ。その『契約者の命令なら仕方がない、その質問に答えてやろう』ってのを止めてくれな――」
「嫌じゃ。」
「……。」
しばしの沈黙。
「……何じゃ?」
「いや、契約者の命令だとしても駄目なのか?」
「ロックは妾に無理強いするのか? 妾を手籠めにするというのか? 童女愛好者なのか?」
リダは自分の身を守るかの様に両肩に手を持っていきしゃがみ込んだ。
「いや、そう言う訳じゃないけど。」
「本当か?」
「本当さ。童女は愛好する対象ではない。」
「熟女好きなのか?」
「それも違うな。」
いや、ネイは年齢的にはかなり熟しているけど、見た目は全然熟していないぞ。だから熟女好きという分類では無い、……筈だ。それにネイからいじめられるのは、時々だったら悪い気もしない。何と言ってもネイが喜んでるのを見られるからな……。あれ? 僕は何を考えているんだ? そうそう、リダが童女好きだとか熟女好きだとか性癖の話を振ってきたのだ。こんな思考を誰かに知られたりしたら面倒なことになるに違いない。特にロクシーなどは容赦なく攻めてくるんだろう。
「そうか。よく分かった。」
そう言うとリダはゆっくりと立ち上がった。
何が分かったと言うのだろうか。う~む、しかしリダはちょっと扱いにくいな。扱いにくいと言うか変わり者だな。顕現化魔素体って全部こんな感じなのか?
僕は霧発生を試してみたいので窓を呼び出すことにした。そのため、一旦リダの像を消そうと、引き寄せた手順とは逆に遠ざけようとしたのだが、
「あれ? 消えない。」
「ん? 妾は、もうこの空間からは消えないぞ? ここに顕現してしまったからの。」
なるほど。じゃあ、目を開けながら魔法が使える様になったら、つまりこの格子柄床の空間を目を開けたままでも呼び出せるようになったら、現実の風景に交じって僕だけにリダが見える様になるってことなのか?
「そうだぞ。」
え? 今リダは、僕の思考に答えたのか?
「まあそうだ。ちなみにロック、この空間で喋りたいことと、思考に留めておきたいこととは、きっちり使い分ける様に練習した方が良いぞ。思考が漏れておる。」
え? え?
「しかし妾の契約者ともあろう者がマゾか……。それも考え物じゃの。ネイとやらに虐められて愉悦を感じているとは……。」
「え~!」
ロック:「ちょっと練習するよ。僕が思ったことを言ってみて。」
リダ:「良いぞ。」
ロック:「……。」
リダ:「庭に咲いた一輪の白い月見草。」
ロック:「……。」
リダ:「何を想い、月の出ていない空を仰いでいるのか。」
ロック:「……。」
リダ:「おお。すごいな。ちゃんと通じている。いや、それは繰り返さなくても良いんだけど、あれ、ちょっと? リダ? リダ? おーい。」