第71話 アイーアへの船旅3
* * *
――サルファを出て十二日後のことである。
「港が見えたぞ~。」
マストの上に登っていた見張りの水夫から、皆が待ち望んでいた声が発せられた。僕らはいつもの様に前甲板にたむろっていた。航海士のアルテアも一緒に居た。
「ひとまず、安心と言ったところですね。アイーアに着くまで二回寄港する予定です。その一カ所目であるジンク港に寄港したら水や食料を補給します。あと貨物の売買もします。この港には桟橋があるので、丸一日の間係留する予定です。ですから久しぶりの陸地をお楽しみ頂けますよ。船乗りが陸地に上がると、揺れない事が理由で逆に気持ち悪くなる、なんて言われますが皆さんはそんなことは無いですよね。」
少し砕けた感じで僕らに話すアルテア。
「私たちは陸の宿を利用するわ。あとどの位で下船できるのかしら?」
甲板からはまだ見えない港を探しながらネイが聞いた。
「一時間から二時間ぐらいですね。着岸の前に港までボートを出して、着岸許可を得る必要がありますから、ゆっくり下船の準備はできると思いますよ。停泊中は貴重品でない不要な荷物を船室に置いておいても構いません。あと、水夫が良く利用する宿もありますが、あまりお勧めできませんね。旅行客用の宿もありますから、そちらの方が良いと思います。陸に上がったら地元の人に尋ねてみると良いでしょう。」
「ジンク港の特産物は何でござるか?」
デルファが尋ねた。
「補給目的で作られた港街なので特にこれと言って特産物は無いと思いますよ。強いて言えば柑橘系の果物と魚介類でしょうか。」
「何でも良いっちゃ。美味しいのが食べたいばい。」
炒り豆を食べながら、フェルミが言った。
「食事を用意してくれたアルテア達には申し訳ないけど、確かに陸で美味しいものが食べたいな。」
僕はアルテアに言った。
「とんでもないです。私も船上の食事より陸の新鮮な野菜を食べたいですよ。」
「あともう少しでそれが食べられるんばい。」
フェルミが笑顔で言った。皆の顔にも笑顔が浮かんでいた。
* * *
フェルミが両の手にそれぞれ二本ずつ青魚の干物の串焼きを持っている。満面の笑顔だ。僕とデルファも一本ずつ同じ串焼きを持っていた。ネイとロクシーはベリーを少し買って片手に乗せていた。それらを各々立ち食いしながら宿屋に向かっているのだ。
「フェルミ殿は相変わらず沢山食べるでござるな。」
「……ん? 師匠の分も持っとるんばい。」
頬張っていた魚を咀嚼し終え答えるフェルミ。
「それでも三本はフェルミの分なんだろ?」
僕は言った。
「もちろん、そうばい!」
ちょっと得意げに笑顔で答えるフェルミ。
「前の世界の物語では、戦闘が強い人ほど大食いなことが多かったでござるよ。」
「ふ~ん。」
軽く流すフェルミ。
「食べる子は育つと言いマスが、フェルミは手遅れデスかね。」
相手が悪ければ怒らせてしまう様な事をしれっと言うロクシー。
「ウチはでたん動くから、栄養がどっかに行ってしまうん。頭にも行ってないかも知れん。にゃはは。それは仕方ないっちゃね。」
確かに。その多くの栄養はどこに行ってしまうのだろう。身長でも胸でもぜい肉でも無いのは確かなのだが。フェルミは異様に軽いので体重でも無いみたいだし。
「そう言えば、小さい動物ほど体重に対して多くの食べ物を必要とするのでござるよな。」
「デルファ? 喧嘩売っとるん? なんやったらロクシーに借金してでも買うばい?」
本気で喧嘩を買う様子には見えないフェルミ。何せ屈託のない笑顔で言っているのだ。喧嘩っ早い気質は大分緩和されている様だった。仲間内だけの限定だろうけど。
「ロクシーから借金するのだけは止めときなさい。」
ネイがあきれ顔で言った。
「ネイのタダよりは安いと思いマスけど?」
ロクシーが肩をすくめながら言う。
「それはともかく、こんなことろで身内で問題なんか起こさないでよ。そんな暇が有ったら他人の問題でも見つけなさいよ。」
そう言うネイも、さっき問題発言をしてなかったか?
「他人の問題……。それは、蜜の味デスね。」
不敵な笑顔を見せ同調するロクシー。
「そうよそれ。例えばこの土地に慣れていない異国の商人が、現地の商人達に難癖を付けられている様なシチュエーションよ。」
やっぱりネイ自身が身内で問題を起こす様な事を言っているじゃないか。
「それがきっかけで実際に蜜を吸う人が居ることにも驚きデスけど――。
オー! あれは何デスかね?」
ロクシーが指さした先には、数名の水夫らしき男に取り囲まれたアルテアが居た。
まるでロクシーの時と同じではないか!
僕は衝動に駆られてその場に駆け付けた。
「アルテア?」
僕は多くを語らずアルテアに声を掛けた。
「なんだ? お前?」
アルテアを取り囲んでいる一人が僕を値踏みするかの様に言ってきた。
「冒険者風情が、貿易商同士の話に首を突っ込んでくるんじゃないぞ!」
ふむ。反応もロクシーの時と同じだな。
僕を押さえる役の筈のネイは……。って、あれ? そこに居るはずのネイが居ない。僕が暴れない様に抑える役は要らないの?
「助かりました、ロックさん。この方たちがしつこくて……。」
アルテアは本当に困ってる様子で僕に言った。
「こいつらを追い払ったら良いのかい?」
僕はこれ見よがしに腰の剣の柄に手を当て、アルテアに聞いた。
「ええ、助かります。」
そのやり取りを聞いた水夫風の、いや、よく見てみると水夫よりは身なりが上等な、男の一人が、
「俺たちは穏便に済ませ様としているのだがお前も頑なだなぁ、アルテア。しかし、もうこれでお前とも一生会えないと思うと残念だ。後悔するなよ? じゃあな。」
と言って去って行った。
……案外、あっけなく引いたな。
「何があったんだい?」
僕はアルテアに訪ねた。
「彼らは、ここから東方のオキシ港を拠点としている海獅子海商の人間なのです。以前から西方への販路拡大を目的として、ゲルビーツ船長の船を丸ごとその傘下に組み入れるためにしつこく勧誘してきていたのです。船長はずっと断っていたのですけれど……。
そして先ほどは私個人を引き抜こうと話をしてきたのですけど、しつこくて……。私個人としては、海獅子海商は裏で海賊じみた行為も行ってるので関わりたく無かったのです。」
「ふ~ん、なるほどね。」
いつの間にかネイが後ろに立っていた。
「私たちの航海に影響は無いのかしら?」
ネイはアルテアに尋ねた。
「船乗りの間では、併合や引き抜きはよくある話ですから問題ないと思いますよ? 念のため船長には報告しておきますね。そんな事より私は貨物の取り引きをしなければなりませんので、これで失礼します。割り込んでくれてありがとうございました、ロックさん。」
そう言うとアルテアは駆けて行った。海獅子海商の奴らに呼び止められた時間を取り戻す為だろう。
「オキシ港は此処よりもアイーアに近いのデス。アイーアの南東に位置してマスね。東方海域の貿易の大部分は海獅子海商が扱ってるのデス。」
ロクシーが解説してくれた。
「大陸南洋の勢力分布は、西がサルファの商人だけど、東は海獅子海商と言うことね?」
ネイの確認に対して、ロクシーは首肯した。
「まぁ、私たちにとっては転送拠点さえ作っちゃえば関係ないんだけどね。そう言う訳だから早く宿屋に行って休みましょう!」
一行の先陣を切って歩き出しながらネイが言った。
「前の世界でも海域の覇権争いの物語は、男のロマンだったでござるよ。男だけとは限らないでござるが……。」
そう言うデルファの横で、フェルミがしゃがんでゼロに魚を食べさせてあげているのが見えた。
「行こう。」
僕はフェルミとゼロに声を掛け、ネイの後を追った。
そして僕らは陸の上の一日をのんびりと過ごしたのだった。
ロック:「僕がアルテアの所に駆け付けた時、ネイは来なかったよな。」
ネイ:「あら、それがどうしたの?」
ロック:「ロクシーの時は来てたじゃないか。今回はどうして来なかったんだい? てっきり後ろに居るもんだと思ってたのに。」
ネイ:「だからよ。私は誰かの思いの通りに動くのは嫌なの。」
ロック:「そ、そうなんだ。」
ロクシー:「嘘に決まってるデス。」




