第62話 告白
* * *
――ロクシーがサルファに戻ってきて数日後のことである。
昼下がりの午後、僕はネイの書斎で何をするでもなく時間を過ごしている。
ネイはさっきからずっと紙にペンを走らせている。紙に何かを書き込み、その紙が文字でいっぱいになったら、次の紙に何かを書き込む。その繰り返しだ。
ゼロはネイの邪魔にならない様に、ネイが作業している机の上ではなく窓辺で丸くなっていた。
「ネイ、何を書いているんだい?」
僕はネイに聞いてみた。
「写本よ。」
ネイは紙から目を上げずに言った。
「写本って、本を書き写すんだよな。」
「ええ。」
しかし、机の上には参照する本が置いていない。
「写す対象の本が無いじゃないか。」
「ここに有るわよ。」
ネイは左人差し指で自分の頭を指しながら言った。
「え? と言うことは、全部覚えてるのかい?」
「ええ。」
すごいな。僕はネイの近くに寄って書いている物を覗いてみた。全く読めない。しかも複雑な図形も描かれている。
「全然読めないんだけど、魔法の書か何かかい?」
「魔法教典よ。」
「すごいな。それを全部覚えたのか。」
ネイは写本の手を止めて、僕の方をじっと見てきた。
「ねぇ、ロック。わたしのヒミツを知りたい?」
いつもとは少し違う雰囲気のネイが言った。
なんだろう?
「美人のお姉さんのヒミツを知りたくない、なんて言ったら、頭をグリグリされるんだろ?」
「全然興味ないの?」
本当に残念そうにするネイ。すこしふくれっ面をしていた。
「冗談だよ。もちろんもっと知りたいさ。」
ネイは機嫌を直した様だった。
しかし、ためらっているのか、語りだすのに時間がかかった。そして意を決した様に、しかし目を伏せ気味に静かに言った。
「私の能力は、自分が経験した五感を自分の記憶として引き出せるの。」
僕は、ネイが言った意味を噛み砕くのに少し時間がかかった。
「能力者だったんだ。それにしても五感とは、……凄いな。」
「そして、その記憶は四百年分ぐらいあるわ。」
四百年!? ネイは四百年も生きているのか!?
「ちょっと待って! それって、ハーフエルフの寿命を越えてないか?」
「そうよ。嫌いになった?」
僕が驚いている内容とは、まったく次元が違う質問を投げてくるネイ。
「え? ネイの事を嫌いになったかって言ってるのか?」
「……ええ。」
ネイは何を言ってるんだ? いつものネイらしくないな。
「嫌いになる理由が無いと思うけど。」
「私は人造人間なのよ。多分。」
「な……。」
「実験室で生まれたモルモットの一人。ゴンドワナ帝国初代皇帝の不老不死のための実験の産物よ。その帝国は現在はもう無いのだけれどもね。
……それでも嫌いにならない?」
少し寂し気に笑うネイ。
「そう言って、また僕をからかってんだろ?」
「ええ、そうよ。」
「やっぱり――」
「って言えればいいのだけれど。
……これは私が先に進むための試練だと思うの。」
「……ネイこそどうなのさ。ネイからすると僕は赤子みたいなもんだろ?」
「最初はね。」
「……最初は?」
「こんな感情、過去の記憶を探っても全く思い当たらないのよ。これは恐らく、ロックのことが好きなんだと思うわ。」
「……ごめん。」
「でしょうね。……やっぱり無理よ。この話は忘れて頂戴。」
視線を紙に落とし、写本を続けるネイ。
「……あ、いや、女の子に、先に好きだって言わせてしまったことを謝ったんだよ。僕が先に言うべきだった。」
ペンがネイの手からこぼれ、机の上に乾いた音を立てて落ちた。
「……本気?」
ゆっくりと僕に視線を移すネイ。
「ああ。僕が大好きな人だよネイは。知識の女神であり、美の女神でもある。そしてその信者は僕一人だけだと嬉しい。」
「私も大好きよ、ロック。私に生きる喜びを、希望を与えてくれるまるで豊穣の神の様よ。そしてその信者は私一人がいいわ。」
見つめ合う二人。
「互いに神様だなんて、可笑しいし、おこがましいな。」
「ええ、不遜極まりないわね。」
再び見つめ合う二人。
「……ちょっとだけだったら、僕の大事な知識神の恩恵を他の人にも分けてあげても良いかな。」
「私も、ちょっとだけなら、私の大事な豊穣神の恩恵を他の人にも分けてあげても良いわ。」
「「……。」」
二人はしばらく無言で見つめ合っていた。そこへ、書斎の扉をノックする音が響き、扉が開いた。
「やっぱりここに居たな、ロック。」
ルビィだ。
「……。」
「どうした? 邪魔だったか? 何か気まずい空気が流れてる気がするな。夫婦喧嘩でもしてたのか?」
満面の笑顔で言うルビィ。
「いや、何の様だ?」
「これを見てくれよ!」
ルビィは背後に隠していた左手を嬉しそうに出し、手の平や甲をかわるがわる見せた。その左手にはぴったりとした赤いグローブがはめられていた。指の部分に生地は無い。手の甲には牡牛のシンボルが描かれていた。
「赤牛のグローブか、よかったな。」
「いいだろ?」
ニコニコしながら答えるルビィ。
「好きにしたら良いって言ったろ?」
もう、これに関しては諦めているので、ルビィが何をしても流すようにした。
「今の俺、どんな格好している?」
ゆっくりと回るルビィ。普段着のシャツとズボン、あと冒険者らしく剣を左腰に帯びている。
「いつもの普段着だが?」
「見てな。」
ルビィは突然、脚を肩幅に広げ握った左手を天に突き上げた。握った右手は腰あたりに構えている。すかさず手の甲をこちらに向けた左手を顔の前まで落とし開いた。
「チェンジ! レッドブル!!」
ルビィの身体全体が一瞬だけ虹色に揺らめいた後、そこには左腕に盾を装着し、全身を赤が基調の重装備に身を包んだルビィが居た。クエストに出る時のいつもの装備だ。いや、赤いマフラーの様なマントが追加されている。
言葉を失う僕とネイ。
「デルファ、交代だ。」
ルビィがそう言って扉から出ていくと、代わってデルファが入って来た。前の世界の服装だと言っていた、前面が全部開いている膝下まである薄いローブを帯で留めている。足には紐で留められた木の板の様なものを履いている。髪は両目を隠すほどモサモサだ。左手に蛇のシンボルが描かれている緑色のグローブをはめていた。
「チェンジ! グリーンスネーク!!」
デルファがルビィと同じ様にポーズを決めると、身体全体が一瞬だけ虹色に揺らめいた。そしてそこには要所に革を張ったシャツとズボン、ブーツ姿のデルファが居た。緑が基調の前の世界の薄いローブをその上にゆったりと羽織っていた。さらに左手には十字槍を携えている。額に長い鉢巻を付けており、片目が常に見える様になっていた。よく見ると右手に緑色のグローブをはめていた。いつももっさりしているデルファがイケメンに見える。
デルファの変身が終わるのを待ってたのか、普段着に戻っているルビィが書斎に入って来た。デルファの肩に手を置き、こちらを見て言った。
「もちろん、お前の分も用意するぞ。」
「でござる。」
僕は、開いた口が塞がらなかった。変身を実現してしまうとは……。
さっきのネイとの会話と、この変身騒動が相乗して、頭が変になってしまいそうだった。きっとネイは、さっきの会話をずっと記憶し続けるのだろう。当然、僕も忘れるつもりはなかった。
ルビィとデルファの後ろの扉の向こうで、キャスティが横切って行くのがちらっと見えた。
ロック:「……さっきの話なんだけど。」
ネイ:「なあに?」
ロック:「なんかさ……。いや、僕を好きになってくれてありがとう。」
ネイ:「ああ、それね。自分でも確認が取れてないから保留しておいて頂戴。これから実験を繰り返して確認しなくちゃならないわ。」
ロック:「……。」




