第55話 拉致 ~ネイ~
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――ネイ達がサルファに戻ってきて何日か経過したときのことである。
まさかこんな事になるとは思わなかった。薄暗い狭い路地裏で対峙しているのはロック。高く積み上げられた荷物がじゃまをして大通りからは死角になっている。当然人通りは無い。私の真後ろには見知らぬ男が居て私の首にナイフを当てていた。さらに髪の毛を後ろに引っ張り、私に顎をあげさせていた。左手でナイフを、右手で髪の毛を掴んでいる。
「魔法装具を持ってるんだろ? こいつの命が惜しければ早くこっちによこすんだよ。」
ロックは怒りを抑える様にじっとこいつを睨んでいる。ゼロは此処にはいなかった。恐らく男からは見えないところに隠れているのだろう。あるいは路地裏の反対側に回り込んでいるのか……。
――今日はルビィとフェルミとシィが、鍛冶屋にルビィの剣を打ち直しに行くことになった。ついでではなかったのだが、私とロックとゼロは食事の材料の買い出しに街に出ていたのだ。新鮮な葉野菜や根菜を売る店、燻製肉を吊ってある店、目が透明な新鮮な魚を売る店、人通りの多いその道を行き交う人々が店々を物色しながら歩いていた。そんな中を二人と一匹が、方々の店を物色しながらのんびりと余暇の時間を過ごしていた。
とある海産物屋では魚の干物を焼いて試食させていた。それを見たロックがゼロに食べさせてやろうと自分もよだれを抑えながら言った。私は勝手にしたらと言いながら、ゼロを抱え上げロックに手渡した。そしてゼロを抱えたロックが海産物屋に行ったときに、見知らぬ男に背後を取られたのだ。急に口を押えられ、同時に右腰に浅く刺された痛みが走った。黙って付いてくる様にと言われ人並みを割って今居る路地裏に来たのだ。
そのまま拉致されるのかと思ったのだけれど、ロックが私達に追いついたところが、今の状況なのだった。
「そんな高価な物、あの人が持っている訳ないでしょ!」
私はロックの様子を伺いながら言った。ロックも一端の冒険者だ。普段着の上から二本の剣を左腰に帯びていた。ブラッドサッカーも右腰に差している。
「あまり時間が無いんだ、面倒な駆け引きはやめようぜ。」
私の耳元でこいつが言った。私の身体の陰に身を隠している。このピンチを何とか抜け出さなければ。
「あなた一人?」
「お前は黙ってろ。」
私の問いにこいつは答えなかった。ロックが素早く周囲を見渡した。ゼロがそっと道の脇に移動しているのが見えた。普通の猫の行動に見えるゼロの様子をちらりと見るロック。ブラッドサッカーの『穿て』を使い、一発でこいつの頭を射抜けばこの窮地を脱することはできるだろう。しかしこいつはロックが飛び道具を持っているかの様に私の陰に身を隠している。
ブラッドサッカーの効果を知っているのかしら?
「あなた――」
しゃべろうとした私の髪をさらに引かれたので喋れなくなってしまった。
「お前は黙ってろ!
それにここでお前を殺して逃げて、魔法装具を手に入れられなくても、俺は別に良いんだぜ?」
と言うことは、ブラッドサッカーを奪取する算段が別に用意されているということか。狙いが私の命ならそれをさっさと実行するはず。それに殺すと言っているのだから、私の拉致が目的でもないと言う事だ。こいつがはったりを言っていなければだが……。
こいつの情報源を聞き出せれば狙いが分かるも知れない。
すると、引っ張られた髪が少し緩んで話せる様になった。
「仮にあの人が魔法装具を――」
また私の髪を引かれた。さらにこいつは首にあてたナイフを少し引いた。鋭い痛みと共に、首筋をつぅと液体が伝って落ちるのが感じられた。
「言っても分からねぇ様だな――」
「もういい、止めろ! ネイも喋るな。」
ロックが言った。
「大人しく魔法装具を渡すんだな。まずは剣を遠くに捨てもらおうか。」
こいつは私の首にあてたナイフを離すことなく言った。
「ああ、その人を離してくれれば渡すさ。」
ロックは二本の剣を鞘ごと外し、後方に投げ捨てながら言った。
「魔法装具をよこすのが先だぜ。」
「その人の安全が保障されるのなら、いつでも渡す。」
「時間が無いって言っただろ。あと十秒だ。」
「分かった。これだよ。」
ロックは右腰のブラッドサッカーを抜いて、刃先ではなく柄をこちらに向け差し出した。
「刃をこっちに向けるなよ。そいつの効果は知ってるぜ。」
「僕が魔法装具を持っていることを知っていると言った時点で、そうだろうと思ってたさ。だからこうやってるんだ。」
「俺の足元で止まる様に、それをこっちに投げるんだ。ちょっとでも離れたところに止まったら、どうなるか分かるよな?」
こいつは殺気を惜しげもなく出しながら言った。
「あぁ。」
ロックは抜き身のブラッドサッカーを、私たちの足元に止まる様に慎重に投げた。そしてブラッドサッカーは私の足元に止まった。
「おい、ゆっくりしゃがめ。お前はこれに触るなよ。」
こいつがそう言ったので、私はゆっくりしゃがんだ。
一緒にしゃがんだこいつは首にあてたナイフに力を入れ、髪の毛を持った右手を離しブラッドサッカーを拾い上げ私の首に当てた。そして今度は左手で髪の毛を掴んで引っ張り顎を上げさせた。さらにブラッドサッカーを首に強く首に押し当てた。また首に傷が増えた様だ。
それを見て怒りを抑えられない様子のロック。
こんな状況であるにも関わらず、私は意識の奥底で暖かい塊が有るのを感じていた。
私のことを心配してくれている……。
「ゆっくり立つんだ。」
私はこいつの言う通りゆっくりと立ち上がった。
「お前は、そのままそこに居ろよ。俺たちは此処から去るからな。」
「あぁ、その人をちゃんと釈放しろよ。」
「あぁ、安心しな。」
「ところで、その魔法装具の使い方を知ってるのか?」
ふと、ロックがこいつに聞いた。
「どう言うことだ?」
「使い方を教えてやるから、その人をちゃんと開放しろという事だ。悪い話じゃないだろう?」
「聞かせてもらおうか。」
やっぱりこいつはブラッドサッカーの使い方を知らないんだわ――。
こいつが答えた瞬間、
「装填。穿て。装填。穿て。装填。来たれ!」
ロックが早口で言うと、路地の左側の壁に二カ所穴が開いた。
――最初の『穿て』でブラッドサッカーが私の首から離れ、二回目の『装填』を言った瞬間にロックがこちらに飛び出して来た。二回目の『穿て』でそいつの右腕が私から離れた。私がその場にしゃがみ込んだと同時に、飛び込んできたロックが私の左側から私の後方に右腕を突き出した。その手にはなぜかブラッドサッカーが握られていた。
そしてロックは私が完全にしゃがみ込む前に左腕でそっと包み込んでくれ、そいつと私の間に自分が入る様に抱えた私と一緒にクルリと半回転した。
「ネイ! 大丈夫か!」
ロックにしっかりと抱きしめられた。ロックの左肩越しに、そいつが意識を無くして倒れているのが見えた。その左肩にはブラッドサッカーが刺さっていた。急所は外している様だった。
「うん。」
私はそれだけを言った。そしてあの火事の時の感情にも似た暖かい気持ちになっている自分に気づいた。
「怪我を治さないと。」
離れたロックの左頬に私の血が付いていた。それに気づかない様子で、ロックはポーチから魔法羊皮紙を取り出した。
「首の他に何処か痛むところはないか?」
ロックは、わたしの傷ついた首に魔法羊皮紙を当て治癒効果を発動させながら言った。
「腰も刺されちゃったわ。」
「見せて。」
ロックは私の背後に回り込みしゃがみ込んだ。そしてもう一枚の魔法羊皮紙を用意していた。
「ほっといても治るわよ。勿体ないわ。」
「傷が残っちゃうだろ?」
「傷モノじゃ、……嫌?」
なぜ私はそんなことを言ったのだろう? 『セトの嫁入り』の第八巻のヒロインの台詞だ。
それを聞いてゆっくりと視線をあげるロック。そして真面目な顔で私に言った。
「責任を取る、という方法もあるな。……腰の傷は残しておくか。」
「……好きにして。」
「あぁ、好きにさせてもらうよ。」
ロックは魔法羊皮紙を腰に当て、傷を治してくれた。
「そいつはどうするの?」
ゼロがそいつに寄って、何か手がかりは無いか探っている様に見えた。
「警備隊にでも突き出すさ。何者なのかも聞き出してもらう必要があるな。」
「運ぶの?」
「そいつはしばらく動けないだろう。だったら目立たない様に隠して、二人で警備隊詰所に行こう。
ゼロはその間、見張っておいてもらえるかい?」
「にゃ」
ゼロが答えた。
「詰所に行く間、二度と襲われない様にしなくちゃ。」
これまた不思議なことが起こっている。なぜそんな行動に出たのか理解できないが、私はロックにピッタリと身を寄せた。
「当然だろ。」
ロックはしっかりと身を寄せてくれた。




