第30話 グローリアちゃん登場
* * *
――ロック達が新たな居を構えて数日後のことである。
「ギャー!!!」
ダイニングルームから、街中の鳥が驚きのあまり飛び立つかの様な悲鳴が聞こえた。僕が急いで駆けつけると、ネイとキャスティがテーブルを挟んで対峙している。キャスティは普段と変わらない様子で立っていた。ネイはテーブルに手をついて腰が引けた感じだった。ゼロはテーブルの上で悠然と毛繕いをしている。
ゼロがくつろいでいるなら、大したことじゃ無いのだろう。少し安心した。
「な、な、な、何よ、それ!」
ネイがキャスティを指差して言った。一方、訳が分からないといった表情で首をかしげるキャスティ。
「そ、そいつよ、そいつ! そこで動いてるでしょ!」
何のことを言ってるのかを理解したキャスティは答えた。
「使い魔。」
「――!!」
ネイは言葉を失って、口がわなわなと震えている。一方のキャスティを見てみると、襟元から黒い影がちょろちょろと動いていた。
「キャスティ、服の中に虫が!!」
僕はつい声を上げてしまった。そしてそいつはつやつやとした黒く光る体の全容をあらわにした瞬間、羽を広げて飛んだ。
「ギャー!!!!!」
ネイは再び、街中の鳥が驚きのあまり飛び立つかの様な悲鳴を上げ、頭を抱えその場にうずくまった。飛翔したそいつは、テーブルをぐるっと一周して何食わぬ顔のキャスティの肩に着地した。そして、二本の長い触角をヒョコヒョコと動かしている。
「キャスティ、それゴキブリじゃないか。良く平気だな。」
僕はゴキブリにおびえるネイの挙動を面白く思いながら、キャスティに聞いた。
「なんだか懐いているみたいだけど、それって君のペットなのかい?」
「それじゃない、グローリアちゃん。」
「か、かわいい名前だね。グローリアって言うんだ。」
「違う、グローリアちゃん。」
どうして分からないの、という感じにふてくされるキャスティ。
「あぁ、『グローリアちゃん』が名前なんだ。」
グローリアちゃんはいつの間にか見えなくなっていた。キャスティの服の中に隠れたのだろう。
しかしゴキブリがペットとは、なんというブッ飛んだセンス。いや、ペットじゃ無く使い魔って言ってたな。
テーブルの影に退避していたネイが恐る恐る立ち上がりながら言った。
「キャスティ! そのG、私の前では飛ばさないで!! あと、私の目に触れない様にしといてよ!! 服の中に居るなんて、考えるだけでもおぞましい! 一体なんで、Gなのよ。まったく。」
それに対してちょっと笑って答えるキャスティ。
「バグ、みたいな?」
それを聞いて、ネイの表情が少し素に戻った。
「キャスティ、まさかそのG、いえ、グローリアちゃんってあなたが実体化したの?」
「ふふ。」
得意げな顔をしているキャスティと、驚いているネイがそこに居た。二人とも互いに互いを見てしばらく動かなかった。
「どう言うこと?」
僕は我慢しきれずネイに聞いてみた。
「グローリアちゃんはさっきもキャスティが言った通り、ペットじゃなくて使い魔よ。使い魔っていうのは、魔法使いが使役する生き物のことよ。それができるのは一握りの魔法使いだけどね。そして、魔法使いは使い魔と意思疎通したり、思いの通りの命令に従わせたりできるの。
普通は猫やフクロウの様な動物を使い魔にするんだけど、キャスティは虫を選んだってわけ。よりにもよってG。」
Gと言う瞬間、ネイは嫌悪感もあらわに身震いした。キャスティは得意げにうなずいている。
「動物じゃなく虫を選んだのには、何か特別な理由があるのかい?」
僕はキャスティに聞いてみた。
「小さい。実体化しやすい。」
「ふむ。良く分からないな。」
ネイにその答えを求めて視線を移した。するとネイが解説してくれた。
「魔法使いは普通、生きている動物を使い魔にするの。でもキャスティは、生きている動物を使い魔にしたのではなく、魔法でグローリアちゃんを作って使い魔としているらしいの。
要は自分で作り出したのよ!!
……だからグローリアちゃんは本物のGではないの。だから私は許容できる筈だわ、出来るはずなのよ。Gに似てるけどGじゃないってことだもの。うん。」
グローリアちゃんがゴキブリではないことを何とか認識しようと努力しながら、説明を続けるネイ。
「そして恐らく体が大きいモノよりも小さいモノの方が、実体化するのに魔素を多く使わなくて済むのじゃないかしら。でもこんなこと、編纂魔法使いでもなかなか出来るものではないはずだわ。
それで驚いているの!」
騒いでいる方は別の理由なんだろうけどな。
そしてネイは、顎の下に人差し指をあて、考えながら話しだした。
「でも、驚くべきことは実体化だけでは無いはずだわ。顕現化魔素体を作ってそれに実体化させる術式を持たせているのかしら。そしてその術式を呼びだしてグローリアちゃんを動かしているのかも。
いいえ、キャスティが魔法を使っている様子は無かったわ。とすると実体化させたグローリアちゃんに符号魔法を付与して動かしている方が納得がいくわ。」
その言葉は、僕に解説してくれているのか、キャスティに確認しているのかが分からなかった。そもそも僕にはその内容は理解できなかったのだ。それを聞いていたキャスティは自分の口元に人差し指を持っていって、僕とネイを交互に見ながらこう言った。
「絶対秘密。」
先ほどのネイの驚き方からしてもこれは凄いことなのだろう。このことはきっと、秘密にしておく必要がありそうだ。
ネイと視線が合った僕は互いにうなずいた。
「ああ。」「ええ。」
ネイと僕に近づいてきたキャスティが、ネイに右手の小指を出してきた。僕には左手の小指を出してきた。
「秘密。」
キャスティが再度言った。
良く使われる約束の儀式の為だろう。僕はその小指に自分の左手の小指を絡ませ、二人はしっかりと小指を結んだ。ネイはキャスティの右手の小指に自分の右手の小指を絡ませ、二人はしっかりと小指を結んだ。
その瞬間、キャスティの右腕の袖口からグローリアちゃんが出てきて、ネイの小指の上で止まった。
「ギャー!!!」
三度目の、街中の鳥が驚きのあまり飛び立つかの様な悲鳴が、部屋を満たした。
「……わざとやってるだろ?」
キャスティを見ると、こっちを見て不器用にウィンクしてきた。
騒ぎを聞いて駆け付けたのだろう、メイド服姿のシィがスコップを片手にダイニングにやってきた。庭の手入れの途中だったのだろう。
「何があったのかしらぁ?」
「ゴキブリが出たんだ。」
僕は状況をシィに説明した。
「あらぁ、それは大変。滅殺しなきゃぁ。」
シィはずり落ちた眼鏡を直しながら、スコップを構え眼光を鋭く辺りを見渡している。そのシィの様子を見て、ぱたぱたとダイニングから出て行くキャスティだった。グローリアちゃんをシィから守るためだろう。
レース越しの日差しが差し込む穏やかなダイニングルームで、ネイは放心状態で床に座り込んでいた。テーブルの上のゼロは大きなあくびをしていた。
ロック:「シィはゴキブリは怖くないのか?」
シィ:「放置して家の中が住み辛くなる方が怖いわぁ」
ネイ:「食事中よ。止めて。」
ロクシー:「ワタシは食べたことがありマス。揚げるとエビと少し似た味デス。」
ネイ:「食事中よ! 止めて!!」