第28話 火事
* * *
ある日の夕刻、僕とネイとゼロは街に買い出しに出かけていた。クエストが無い日だし、たまにはこんなのも良いものだ。
「今日は新鮮な白魚が手に入ったわね。ムニエルで良いかしら? ちょっと前に変わった香辛料を手に入れてたのだけれど、それを試してみても良い?」
ネイが夕食の献立を考えてくれている。
「うん。楽しみだ。」
本当に楽しみだ。ネイの作る料理はいつも美味しい。
「ネイの作る料理っていつも美味しいんだけど、何かコツってあるの?」
ちょっと嬉しそう反応するネイ。
「あははっ。コツは簡単よっ。奇をてらったアレンジをせずにレシピ通りに作ることと、レシピ通りに作ってみて、味が好みと違ってたら少しずつレシピを改編していくこと。それだけよ。」
「それだけ?」
「それだけって言っても意外と大変なのよ。好みの味にするには試行錯誤を積み上げることが必要だしね。
あ、もしかして、それ以外のコツを言ってほしかった?」
「え? それ以外?」
「仕方ないわね。いいわ、言ってあげるわよ。」
ネイは僕の前に進んでいき、振り返った。そして、少し前かがみになって、片手を腰に、もう一方の手は人差し指を立てて言った。
「美味しい料理のコツは、あ・い・じょ・う、よ♪」
最後にウィンクをしてくるネイ。
「あ、ありがとう。」
そうとしか僕は言えなかった。ルビィならこんなときなんて答えるのだろう。僕がうろたえているのを見て得意げになっているネイの遥か後方で、煙が上がっていた。
「ネイ。あれって火事かな?」
僕が指さした方に、ネイは振り返った。
「あらら。そうね。そういえば、最近火事が多いって噂よね。
ん? でも、あれって私たちの家の近くじゃない?」
僕とネイは顔を合わせた。
「急ぎましょ!」「急ごう!」
僕らは駆けだした。その煙が近づくにつれ、先ほどの疑問が確信に変わっていった。火事は近所ではなく僕らの家で発生しているという最悪の確信に。
僕の家の周りに人だかりが出来ていた。僕らは人だかりを掻き分け、家に近づいた。火が激しく燃え盛っている。そこでは、バケツを利用した消火活動が開始されようとしていた。
「箱!!」
ネイが燃え盛る家の中に入って行こうとする。
「待て! ネイ。危険だ!」
「でも、箱が!」
悲痛な表情で箱を取りに行こうとするネイ。いつにもなく取り乱している。ネイが研究所から持ち出した唯一の荷物。危険を顧みないほど大事なものなのだろう。でもネイを危険にさらしたくは無い!
「分かった。待ってろ! 僕が取ってくる!!」
「でも!」
何かを言おうとしているネイの両肩を両手で押さえた。
「良いからここで待ってろ!!」
ネイが驚いた様子で大人しくなった。それを確認した僕は、消火用の水の入ったバケツがある所に駆け寄った。能力者だろうか、何もない空間からバケツに水を入れている人が居た。
「水をくれ!」
例の箱を家の中から持ってくる決意をした僕は、その人に言った。
「喜んで!」
その人は満面の笑顔で僕に水をくれた。すこし違和感を覚えたが、僕はその水を頭から被った。被った水はなぜかしょっぱかった。だが今は、それを気にするどころではなかった。僕は真新しかった玄関の扉を蹴り倒して屋内に飛び込んだ。ゼロも飛び込んで来た。
壁全体が燃えている。火の粉が部屋中の天井から降ってきていた。息ができない! 被った水があっと言う間に蒸発してしまう。ミシッという音が上から聞こえ、梁の一部が上から落ちてきた!
僕は咄嗟にネイのベッドの方、部屋の奥へ飛んだ。間一髪でその火だるまの梁を避けることができた。ゼロもちゃんと避けていた。さすがゼロだ。ベッドの横に置いてあるネイの箱は運よくまだ燃えていない。僕は箱に駆け寄り、傍にいたゼロをその箱の中に乱暴に放り込み、しっかりと箱を抱えた。脱出口を探したが、玄関は落ちた梁でふさがっている。輻射熱があらゆる方向から容赦なく僕の肌を焼こうとしていた。
「装填! 放て!」
僕はブラッドサッカーを燃えている目の前の壁、つまり玄関とは逆方向にあるネイのベッドの向こう側の壁に向けて放った。破壊音と共に壁に穴が空いた。穴の周りの炎も、吹き込む風によって一瞬だが吹き消された。即座に僕はその穴に頭から飛び込んだ。それとほぼ同時に、木材が粉砕される轟音と共に僕の家の屋根全部が崩れ落ち、全ての壁が内側に倒れた。
ぎりぎりだった。穴を開けたことが崩壊を速めたのか? だが、なんとか箱を持ち出すことが出来た。僕は箱の中から飛び出したいくつかのアイテムを拾い集め、箱の中に入れた。ゼロも箱から飛び出ていたが、自分から箱の中に入った。危険を潜り抜けたことと、箱を回収できたことの安心感から、そのゼロの様子が滑稽に思えた。
「ゼロ、大丈夫だった?」
「にゃ」
「ははは、ぎりぎりでクエスト達成ってところだな。」
さて、箱も無事だったし、ネイのところに戻ろう。
裏の納屋は延焼していない様だ。その納屋の向こうから、近所の白猫が火事の様子を納屋の陰から見ていた。
僕の家は崩れても向こう側が見えないくらいに、まだまだ燃え盛っている。さっきの脱出劇で上がっている息を整えながら、その家をゆっくり回り込んだ。そして、箱が回収できたことを報告しようとネイの近くに寄った。
ネイは家の方を向き、目を見開き愕然として立ちすくんでいる。
……家が無くなったことがよっぽどショックだったのだろう。そう言えばネイにとっては短期間で二回目だもんな。
「ネイ? 箱、回収できたよ。」
ネイはバッとこちらに振り向き、僕の顔を見た。そして安堵の表情を浮かべ、大粒の涙をぼろぼろと流し始めた。いつもの様に何か話してくるかと思ったが、涙を流したままこちらをずっと見つめていた。
家が崩壊して僕らがその下敷きになったと思っていたのか?
「えっと、ブラッドサッカーで裏手の壁に穴を開けて出てきたんだ。」
僕は何と言っていいか分からず、裏から脱出したことを告げた。それを聞いてもまだ何も言わずうつむくネイ。足元を見ると、地面がぽつぽつと濡れていた。
「……よかった。」
ネイはぼそりと言った。いつもと全然違う様子のネイ。
「僕らの家、燃えちゃったね……。
でも、ほら、これがあるから、誰かを騙して家に上がり込む?」
僕は火事から救い出した、ゼロが入っている『誰か私をお宅に住まわせてください』と書かれた箱をネイに向けて差し出した。
「バカ。」
突然ネイが僕に抱き付いてきたので、箱が足元に落ちてしまった。ゼロは飛び出して着地した。
「箱が。」
僕は恥ずかしさもあってそう言ってしまった。
「今は良いの。」
そうやって暫く抱き合った。互いの存在が確かであることを確認するかの様に。
 




