第20話 社交パーティ1
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馬車が目的地の屋敷に着いた。その屋敷は古かったが、建物も庭園もよく整備されていた。建物の正面には、吐水量の多い噴水がロータリーを構成している。それを見れば誰もが高級貴族の屋敷であると認識することが出来た。
僕はネイが馬車から降りるのを介助した。そしてエントランスに向かう階段を、ネイをエスコートして登って行く。ゼロは当初の約束通り馬車の中で留守番をしていた。エントランスホールに入ると、主催者の家令の一団の中から家令長らしき人が僕らに寄ってきた。
「これを。」
ネイが何かの書類と紋章らしきものをその家令に渡した。家令はネイの顔とその書類や紋章を確認し、少し驚いた表情を浮かべたがすぐにすました顔に戻った。
「こちらは、私のフィアンセです。」
ネイが僕の方を指し、その家令に言った。
こ、婚約者だと!? すまし顔をキープだ! 集中、集中。
「かしこまりました。お腰のモノはこちらでお預かりさせていただきます。」
僕は帯びていた武器をすべて鞘ごと家令に渡した。その家令の案内に従ってエントランスからパーティ会場まで歩く二人。暫くすると、パーティが行われている雰囲気が溢れ出ているメインホールの入り口に着いた。
メインホールはその入り口より低い位置にあった。そのため入り口からは、下り階段の先に広がったホール全体が見渡せた。広いホールにはいくつかの円卓が用意され、その上には豪華な食事が並んでいる。人々はいくつもの小さなグループに別れ、飲み物が入ったグラスを持ちつつ談笑している。貴族らしき人、商人らしき人、軍人らしき人、様々な人がそこには居た。そして盆を持った給仕が多様な人々の間を縫うように歩いている。
そんな様子を入口付近で眺めていると、家令がよく通る大声で言った。
「ネーヒルト=アルヴィト女男爵ぅ。そのフィアンセのリドレック=セイマーフォ様ぁ。」
ごふっ。女男爵っっ?! ネイが? ぬぬっ。無心。そう、無心だ!
そんな努力を知ってか知らずか、動かない僕をネイが添えた手で進むように促してきた。
僕らは階段を降り、メインホールの奥に向かって歩き始めた。比較的若い人からは特に声をかけられはしなかったが、五十歳を超えたぐらいの人からネイは声をかけられていた。
「お久しぶり。」
「相変わらずお若くお美しい。」
「お羨ましいこと。」
無心、無心。
声をかけられるたびに無難と思われる返答と笑顔を丁寧に振りまくネイ。そしてメインホールの奥の方にいた恰幅の良い男性の近くにたどり着いた。
その服装は豪華すぎるでもなく、しかし細部には緻密で丁寧な装飾がされている服を着ている。その男性はネイが自分の近くに来るのを待って言った。
「ようこそアルヴィト女男爵。数十年ぶりか? 驚いたぞ。」
この人誰だ?
「本日はお目にかかれて光栄ですわ。サルファ侯爵。こちらは私のフィアンセのリドレックです。」
サルファ侯爵って、サルファの国王!? それにネイの婚約者のリドレックって誰だよ! あ、僕のことか。
混乱してきた。無心、無心、無心、無心。
「ほほぅ。かつては言い依る数多の男たちを袖にしてきた貴殿が、どういった風の吹き回しだ?」
「あの頃の私は我儘な小娘でしたからね。流石に年を重ねると多少は落ち着こうかという思いも出てきまして。」
「なるほど、そういった心移りも分からないでも無いがな。して、本日はそんな報告をしに来た訳でもあるまい?
長年顔を見せなかった貴殿が突然現れた理由は何だ?」
「ええ、閣下にほんの少しお願いしたいことがございまして。」
ネイが申し訳なさそうに言った。
サルファ侯爵は周りに人が居ないことを確認して、急に小声で話しだした。
「ネイ、ずいぶん久しぶりに会ったのに、また変な難題を押し付けて俺を困らせるんじゃないよな?」
眉間に皺をよせ、本当に困っている様子を見せるサルファ侯爵。
んん?
「何言ってるのアル、私があなたをそんなに困らせたことがあったかしら? 逆に私の方が、覚えの悪い生徒に困った記憶はあるわよ? 今はずいぶんと立派になった様だけどね。
立派? 恰幅が良い? いいえ、あなた随分と太ったんじゃない?」
すました表情に戻って語るネイ。
相手はこの国の王様だぞ。良いのか? その態度。
「昔はいつも、ネイは俺をいじめて楽しんでたんだ。君もネイにいじめられているんじゃないか?」
面白いものを見つけた様な笑顔を見せて、急にこっちに話を振ってきたサルファ侯爵。そして僕を観察しているのかの様にじっと見てくる。
しかし、今は喋れない。
僕は、サルファ侯爵と合わせた目を逸らさない様にして黙っていた。こうなったら我慢比べだ。
「ふむ。さてはたった今もいじめられている最中なのかもな。ひょっとして『黙って私に付いて来い』なんて言われてるんじゃないか? ええ?」
鋭い。さすがです、王様。
「答えられないのは図星かな? リドレック君。」
ええ、まさにその通りなんです。
しかし僕は真っ直ぐ先を見て、すました顔を保持しつづけた。
「そんなことよりネイ、お願いとはなんだ?
昔世話になったから大抵のことは聞く準備はあるぞ?」
サルファ侯爵はネイの方に振り返って言った。
「太ったんじゃないって質問には答えないのね。ふん、まぁいいわ。
お願いの件なんだけど、サルファの卸市場参加権を売って欲しいのよ。」
「そんなのでいいのか? ネイが卸した売買金額の二パーセントは招待者の俺に入ってくるから、別にただで渡してもいいぞ?」
「いいえそれには及ばないわ。と言うのも、卸しがずっと続けられるかどうかまだ確証が無いのよ。
だから私が権利を買い取る形の方が、アルにとって都合が良いんじゃないかしら?」
「まぁ、ネイが良いというのならそれでも構わんが、何を扱う気なんだ?」
「まずは、これよ。」
ネイは胸元のピジョンブラッドルビーの首飾りを指さした。
「ほう。
一体どうやってそんな面白いネタを持ってくるんだか。相変わらず底が知れないなネイは。」
それには僕も同感だった。
サルファ侯爵はその首飾りを見ながら、だんだん真面目な顔になった。そしてしばらく考えた後にこう言った。
「ふむ。それでもあの借りは返しきれたとは言えんな。
そうそう、俺が隔離されていた例の隠し別宅を覚えているよな? ずいぶん長い間使わずに放置しているが、手入れをすればまだ使えるんじゃないか? 名義は侯爵家じゃないから安心して使っていいぞ。なんならアルヴィト女男爵名義に変えても良いが。」
ネイは顎の下に人差し指を当て暫く考えた後に、こう言った。
「ありがとう。あの別宅を譲ってくれるなんて、あなたも何か企んでいるみたいね。その企みにハマるのは納得できないけど、せっかくだし甘えさせてもらうことにするわ。ただし名義は私が勝手に指名してもいいかしら?」
「あぁ、構わんよ。好きにしてくれ。
卸市場参加権も別宅の件もセイラムに言っておくから、詳しくは彼に聞いてくれ。ネイはセイラムを覚えているよな? さっき君らを案内した家令長だ。」
「ええ。」
ネイはたった今、この会話だけで邸宅を手に入れた。
これが貴族なのか? そうなのか?
そしてサルファ侯爵は元の声に戻して話を続けた。
「ところでな、貴殿に紹介したい者がいるのだ。」
サルファ侯爵は、遠く離れてずっとこちらを見ていた若者を手招きした。
「私の三番目の息子でね。ディミトリオスだ。軍学校に通っておる。
ディミトリオス、こちらはアルヴィト女男爵だ。」
「ディミトリオス=イナムと申します。」「ネーヒルト=アルヴィトと申します。」
互いに初対面の挨拶を交わすネイとディミトリオス。
「貴族だとは言ってもこの国では商売人でもあらねばならん。であるから、数多の識見を深める必要があろうかと思ってな、とりあえず軍学校に放り込んでみたのだ。
まだまだ未熟ではあるがな。」
ディミトリオスとはそのうち街で鉢合うのだろうな……。
根拠は無いけど、なぜかそう思った。
サルファ侯爵とディミトリオス、そしてネイとが差し障りの無い学校での話を幾つか交わした後、サルファ侯爵とディミトリオスは他の場所に移動した。
僕は、このパーティにおける緊張のピークが去っていくのを感じた。
ディミトリオス:「父上、ネーヒルト殿とはどの様な関係ですか?」
サルファ侯爵:「あれか? あれは、生理的に逆らえられなくなる人だ……。お前にも思い知らせてみるのも面白いかもな。うむ、それが良かろう。」
ディミトリオス:「ち、父上?」