第19話 ネイの変身
* * *
――ロクシーがロックの家で居候を始めてから、一週間経った頃である。
僕の初討伐クエストの後、ルビィは「稽古を俺とやらないか」と言ってきたので、二人で剣術の朝稽古することを習慣づけることにした。意識を交換したゼロが僕の身体を使って夜中に行う基礎訓練も鋭意継続中だった。
「ロック、出かけるわよ。付いてきて。」
突然ネイに言われた。それは、僕がルビィとの朝稽古を終えて、装備の手入れをしていた時だった。
「どこにさ?」
「ちょっと美味しいものでも食べに行きましょうよ。あんまり多くは食べられないと思うけども。
まぁ、騙されたと思って大人しく付いてきなさいな。」
なんだろう、ちょっと不安だ。
きっとネイは何か企んでるに違いない。今日はクエストには行かない日だし、特に予定も無いので断る理由は無いのだ。
ん? これはデートか?
「良いね。出掛けようか。ところでロクシーは?」
「今日は、街を散策するって言ってたわよ。私達も夕食に出かけるって言っておいたから、ロクシーの帰りも遅くなるかもしれないわね。」
「ふ~ん。」
ネイと二人で出かけるのか。それは良いな。
ネイは例の『誰か私をお宅に住まわせてください』の箱をかき回して何かを取り出した。
「さて、行くわよ。あ、そうそう。ゼロも付いて来ても良いけど、夕食会場には入れないからその時は外で待っててね。」
そう言うことだゼロ。夕食はネイと二人きりだ。
ゼロを見ると、じっとこっちを見ていた。
何か言いたいのだろうか?
* * *
十数分後、僕らはなぜか服の仕立て屋の前に居た。
「ネイ、まさか、ここで美味しいものを食べるの?」
「あんた、服を食べる趣味があったの? 知らなかったわ。」
ネイは非常に驚いた様子で聞いた。わざとらしく大袈裟に振る舞っている。
「そんなわけ無いだろ。僕らはなんで仕立て屋の前に居るのかを聞いているのさ。」
「あぁ。それは驚くほどでもないわよ。服を用意するためよ。」
「服?」
「仕立て屋ってのは服を見繕ってくれるお店なの。知らなかった?」
「もちろん知っているさ。」
「じゃ、入りましょ。ゼロもいらっしゃい。」
「……。」
そうだな。うん。それしか無いよな。
ネイを先頭にして、僕らは仕立て屋の中に入った。
「いらっしゃいませ――。あら、ネイ様。」
ネイを見つけた女性店員が言った。その女性店員はパリッとした制服を着ていた。
「こんにちわ。準備は出来てるかしら?」
慣れた感じでネイはその女性店員に言った。
店の中には数点だけの衣装が展示されている。その服の生地を見れば分かる。これは高級な、いや、かなり高級な服を扱っている店だ。僕が見たことが無い、光沢がある目の細かい生地だからそうに違いない。この店が取り扱っているのはオーダーメイドの高級衣装だけなのだ。
「ロック、あなたも服の微調整をしてもらっておいて下さいな。
私も準備をしてくるわ。」
え、僕の服? いや、それよりも今、『あんた』じゃなく『あなた』って言ったよな? そして口調も余所行きの丁寧な言葉遣いに変わってるし……。
ネイに目を向けてみたけど、ネイは僕を無視した。そして店員の一人に促されて、店の奥の扉の奥に姿を消した。
「ささ、旦那様はこちらでございます。猫もこちらへお連れ下さい。」
静かに近づいてきた初老の男性店員が僕にそう言い、別の扉を手の平で示した。
……旦那様、ね。
僕は言われるがままその扉をくぐった。その部屋には大きな鏡が置いてあり、その横に控えめな金糸刺繍が施されている黒い衣装が飾ってあった。それはまるで貴族が着そうな衣装だった。
僕がこれを着るのか? まさか、な………。
案の定と言うか、その初老の店員のされるがままに僕はその服を着せられた。微調整が必要な箇所を仮止めしていく初老の男性店員。最小限の言葉だけを発して、テキパキと仕事をこなしていく。そして、ネイの準備や僕の衣装の本縫いをするまで時間がかかるので、この部屋の奥に用意した風呂に入ってくる様にと、その初老の店員に言われた。
風呂上り、さらに紅茶や菓子をもらったりして時間が経った後、仕上がった衣装を着せられた。用意されたベルトにはいつもの二本の剣を留めてもらったが、冒険に行く訳でも無いのでポーチなどは省かれた。ブラッドサッカーは腰の後ろに装着した。
「ネイ様の支度が整った様です。こちらへどうぞ。」
初老の男性店員に促されて、僕とゼロは店に入った最初の部屋に戻った。
「お待たせしたかしら?」
僕らが待っている部屋に、ネイが入ってきた。
淡いピンクと濃い橙色の二色が基調のドレスを優雅に身に着けている。髪を結い上げているので、細い首から胸元までがやけに艶めかしい。その胸元でピジョンブラッドルビーの派手過ぎない首飾りがネイを引き立てている。
……綺麗だ。
僕は、全ての思考が吹き飛んでしまっていた。ネイはゆっくりとその場で一回転した。
「うふふ。どうかしら、似合っている?」
「……あ、あぁ。」
そんな僕に向かって、ネイはそっと微笑んだ。
「あなた、馬車が来てるそうよ。そろそろ行きましょう?」
ネイが呆けた僕を誘った。
僕はもぬけの殻だった。
* * *
ネイと僕とゼロは、屋根と窓とカーテンが付いている二頭立ての馬車に乗っていた。高い御者席では、知らない中年の男性が馬を御している。既に行き先は告げているらしく、その馬車は軽快に目的地に向かっていた。
綺麗に着飾ったネイは僕の正面に座っており、ゼロはその横に居た。僕はネイの変わり様に心を奪われていた。
「本当はどこに行くのさ?」
ネイの変わり様に奪われていた心をようやく取り戻した僕は、ネイに聞いた。
「ねぇ、どう? この衣装、貴族みたいで綺麗でしょ?」
ネイはいつもの口調に戻って僕に聞いてきた。
「綺麗なのは衣装だけじゃないけど……。」
「あははっ。嬉しい!」
心底嬉しそうな表情を見せるネイ。
「あんたもかっこいいいわよ。」
「そう言えば僕も豪勢な服を着せられていたんだった。
綺麗に変身したネイの姿にすっかり虜になって、そのことを忘れてしまっていたよ。」
僕は改めて自分が着ている衣装を見た。
「うふふふ。
これからね、とある貴族が主催するパーティに行くの。だから、あんたは私の護衛役みたいな役割を演じて頂戴ね。私はあんたの右腕に手を添えて、ちょっと後ろから付いて歩くわ。そしてその右腕を通して歩く方向や止まる位置を指示するの。だから何も難しい事じゃないわ、そして何も考えなくていいわよ。
あと一つお願いがあるのよ。私はちょっとした駆け引きをする必要があるの。だから、あなたは何も話さなくてもいいわ。返事もしなくていい。寧ろ何も話しちゃだめ。そして私が何を話してもびっくりしないで、すました顔で居続けてね。」
何だか怪しいことになって来たぞ。
「つまり、僕はややこしいことに巻き込まれるんだろ?」
「あら、私があんたを困らせたことがあったかしら?」
「……。」
その答えを何とするか、今まさに困っているのだけど……。
「何よ。何か言いたいことが有るんだったら言いなさいよ。」
ネイがちょっと怒った様に言った。
「ネイは、……怒っても可愛いな。」
「あ、あんた何を……。」
予想外の答えだったらしい。普段は饒舌なネイが言葉を失っていた。
……ふ、勝ったな。
そしてその後、簡単なマナーを教え込まれた。ただしその教え方はとても厳しいものだったが。
ネイ:「今から、ちゃんと黙ってすましていられるか練習よ!」
ロック:「了解。」
ネイ:「実は私、あんたの本当のお母さんなの。」
ロック:「え!?」
ネイ:「……、全然ダメね。」