3.展望台とセレナの夢
『せっかく来たんだから、色々見学していくといいワ』
そう言って、シルヴィアは智之たちを送り出した。
「魔法学園って話だけど、中は案外普通なのね」
「だね。もっとファンタジーに出てくるような建物を想像してたよ」
智之とセレナはそんなことを話しながら学校の廊下を歩く。
二人しかいないためか、足音がカツカツと周囲に響き渡る。
どこにでもありそうなリノリウムの床、立てつけられた窓など、今まで智之が通ったことのある学校と内観はあまり変わらない。
「さすがにあそこまで行けば、何か違うものが見られるだろうけどね」
「そうかしら。案外変わらないんじゃない?」
智之指差す窓の外には、大きな煉瓦造りの塔がそびえ立っている。
学園長であるシルヴィアの趣味で、イギリスかどこかの時計塔を模したと言われているそれは、街において異彩を放っていた。
「中は図書館とか博物館になってるらしいよ。上まで登れば広い屋上展望台もあるらしいし、行ってみようよ」
「……へ、へぇ」
つまらなそうにしていたセレナの肩がぴくりと跳ねる。
あ、食いついた。
セレナは自分が飛べないせいか、高所恐怖症ならぬ高所大好き症のきらいがある。
それも、見晴らしのいいところだと特に。
彼女が言うには、そこから眺める景色や感じる風が好きらしい。
「そこから学園全体が見渡せるんだってさ。楽しそうだと思わない?」
「ふ、ふーん。ま、まぁ、トモがどうしても行きたいっていうのなら、行ってあげなくもないけ、ど」
どこかまんざらでもない様子でツンとそっぽを向く。
そして、不運にも窓側を歩いていた彼女は、悠然と立つ時計塔に釘付けになってしまった。
「セレナ?」
「ないけど!」
からかうように覗きこめば、顔を真っ赤にしてしまう。
「あぁ、もう。行きたいんでしょ! ほら、さっさと行くわよ!」
– ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ −
そわそわ、そわそわ。
狭いエレベーターの中、智之の視界ではセレナはディスプレイに表示された階表示を落ち着きなく眺めている。
「セレナ、そんなに見てもエレベーターの上るスピードは変わらないよ」
「う、うっさい! 燃やし尽くすわよ!」
ふん、とディスプレイに背を向けるも、やはり様子が気になるのかちらりと背後を伺っていた。
言葉の通り、ここは時計塔の中を通る一本のエレベーターだ。
煉瓦造りの外観に見合わず現代的な移動装置は、いくらかの圧迫感とともに智之たちを展望台に運んでいる。
惜しむらくは外の景色が見えないことだろうか。
見えていれば、今頃キラキラと目を輝かせるセレナの姿が見えたことだろう。
だが、それも展望台にたどり着くまでのワクワク感を高まらせるためのものだと考えればそう悪くないのかもしれない。
智之がそんなことを考えている間にも、エレベーターはその速度をゆっくりと落としていく。
やがて完全に停止したかと思うと軽い音とともにドアがひとりでに開いた。
展望台に出た智之たちを出迎えたのは、夕暮れのにおいが混じった春の風だった。
「すごいわ、すごいわトモ! 」
「本当に壮観だね……」
セレナは子どものようにぴょんぴょんと跳ねる勢いで手すりまで一直線に向かう。
後ろをついていった智之も、あんまりはしゃぐと危ないなんて注意が野暮に思えるほどにその気持ちは理解できた。
手すりの向こうには、茜色に染まる空、陽の光に燃やされんばかりの山々、緑の丘から流れゆく川なんかがよく見える。
そんな大自然に囲まれて、真木架学園は存在していた。
「ねぇ、トモ! 真木架学園ってこんなに狭かったのね!」
「そうかな? これから俺たちが住むには、むしろ大きすぎるぐらいだよ」
ぐるっと円を書くように通る線路を境界線に、自然とは真逆の人工物が立ち並ぶ。
見知ったファーストフード店やコンビニなどの看板が目立つ中、道を行き交う人々の隣には必ずと言っていいほど人間ではないモノの姿が伺えた。
ここに来る前じゃ、あんまり見られない光景だ。
使い魔は魔法使いの持つペットというのが世間一般の認識だから。
でも、この街ではたとえ使い魔でも住民のひとりのように扱われていると言う。
「魔法と使い魔の街、か」
ここは、そういう場所なんだ。
風が吹いた。
少し夜の露が乗った、冷たい風が。
それに煽られてか、鳥が飛び立つ。
魔物でもなんでもない、他の街でもよく見る普通の野鳥だった。
彼らは夕焼けを背に、一対の翼をはためかせて空を舞うように宙を踊る。
その光景はとても綺麗で。
「私も普通のドラゴンだったら、あんな風に空をはばたくことができたのかしらね」
とても残酷なものだった。
「セレナ……」
ぽつりと涙のひとしずくのように漏れた言葉が、展望台に溶けていく。
セレナの顔は、どこか寂しさを湛えている。
だから、智之は腰のホルダーから杖を取り出した。
「<実体化>」
「トモ……?」
唱えるは魔力を固める、唯一の魔法。
いや、本来は魔法ですらない。『魔力を集めて固める』技術を、特訓でその高みにまで昇華させたものだった。
彼の杖の先には一瞬にして白い魔力の塊が膨れ上がっていく。
やがてそれは人ひとり乗れるほどの大きな器となった。
「よっこいしょ」
「ば、バカ! 何やってんのよ! 降ろしなさい!」
呆気に取られていたセレナを抱きかかえる。
いわゆるお姫様抱っこという状態だ。
「いや、ぼけーっとしてたから」
「しんみりしてただけよ! だいたいアンタ、大丈夫なのっ? イヤよ、途中で魔力切れで落ちるなんて!」
「大丈夫大丈夫、魔力操作には自信があるから……きっと」
「だったら言葉濁すな! 燃やし尽くすわよ!」
腕で暴れるセレナ。
そんな彼女に、智之は笑いかけた。
「飛ぼうよ、セレナ。俺たちの飛び方で」
「……もう、アンタは変なところで強引なのよ」
文句を言いながらも、彼女は渋々と器に乗る。
それを確認した智之が杖を一振りすれば、セレナの体は屋上の外へ運ばれていく。
「よっ、と」
セレナが立ち上がる。
そこが、彼女の届く最頂点。
碧い瞳にはいったい何が映っているのだろうか。
智之の視界には、彼女の姿とその先に煌々と光るオレンジ色の太陽しか見えない。
いや。
「━━<人化・限定解除>」
太陽さえ、セレナの背中から服を突き破って翼が溢れる。
影よりも黒い翼はところどころに痛ましく穴が空いており、そこから朱い陽光が炎のように滲んでいる。
それが彼女の『飛び方』。
風を全身に浴びる彼女の脳裏には、目の前に広がる空を飛ぶ光景が浮かんでることだろう。
やがて、どれくらいの時間そうしていたのだろうか。
「ねぇ、トモ」
「何?」
空が半分藍色に染まった頃、彼女は夕日に背を向ける。
その顔にはどこか吹っ切れたような笑顔が浮かんでいた。
「私、やっぱり空が飛びたい。自分の翼をめいっぱいはばたかせてこの空を飛んでみたい」
それは、彼女の願いだった。
彼女の想いだった。
「できるかしら?」
「できるよ」
縋るような問いかけに、智之は自信を持って頷く。
「約束する。俺がセレナを飛ぶ方法を見つけてみせる。今すぐにでは無理かもしれないけど、必ず」
できないなんて言わない。
不可能とも思わない。
何故なら。
「だって、俺はここで魔法使いになるんだから」
魔法のエキスパート、魔法使い。
彼らは様々なところで人を助けるためにその力を使っている。土砂崩れを直してくれり、線路を直してくれたり。
そんな現実的な意味もあるけれど、魔法使いにはもう一つの意味がある。
それは、『奇跡を起こす者』。
無属性で、使える魔法も何もない無能な魔力だけれど、それでも智之は信じていた。魔法の源を持つ魔力があるなら、きっと奇跡だって起こせるようになるのだ、と。
根拠は何もない。
ただ彼自身がそう願っているだけでしかない。
「アハハッ! アンタ、ほんっとうにバカね!」
「そうかな?」
「えぇ、バカよ! バカトモよ!」
彼女はお腹を抱えて笑う。
ひとしきり笑った彼女は、笑顔のまま顔を上げる。
「でも、ありがと」
その瞳には、星のような涙が浮かんでいた。
が、それもつかの間。
「あ、勘違いしないで。アンタ一人に任せるつもりはないんだから。アンタ一人で無理しようもんなら、私が芯まで燃やし尽くしてあげるわ!」
びしりと、まだ笑いの治らない顔で指差す。
智之はその姿に少し目を見開いた後。
「叶わないなぁ……」
苦笑いを浮かべながら、そう呟く。
気づけば、太陽は完全に山の向こうへ消え去ってしまっていた。
世界は闇と人工の光に覆われている。
けれど、二人の胸にはあたたかい炎が揺らめいていた。