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19.

「行くよ、セレナ」

「えぇ、ぶっ壊し尽くすわよ!」


 智之とセレナは啖呵を切る。

 目の前に立ちはだかるのはひとりの少年、那波央麻。


 しかしそこに彼の自我はない。

 身体から溢れる赤黒い血のような魔力が翼と尻尾を形作っている。

 その姿はまさに人の形をしたドラゴン。


 伝説のドラゴン──邪竜ファフニールの名を冠した少年は燃やし尽くされた大樹を背に、智之たちを見下ろしていた。


『簡単に折れてくれるなよ!』


 ファフニールはその両足で宙を叩く。


 その瞬間、一陣の風が智之の髪を揺らした。

 既にセレナの姿は隣に無く。


 慌てて振り向くとそこには組み合っている二人の姿があった。


「ぐぐぐぐぐぐ……っ!」

『やはりインフェルノ・ドラゴン! 我の力を真正面から受け止めるとは! やはりその力、我が物にするに素晴らしい!』

「誰がアンタなんかに……っ!」


 二人の力は拮抗していた。

 いや、空を飛ぶファフニールは余裕そうな表情だ。

 対するセレナは煤けた足場で踏ん切りが効いていない。


「っ、<実在化>!」

「らぁ!」


 慌てて足元に支えを作る。

 それだけでセレナが一気に押し返した。


 腕を掴み、思いっきり投げ飛ばす。


「──<ショット>!」


 魔力弾で追撃をかける。

 けれどその白い一閃は。宙を舞う龍を落とすには遅すぎた。


 体勢を立て直した邪竜は一度の羽ばたきでかき消して見せる。

 智之の魔力など、彼にとってはハエですらないのだから。


『やはり同種との戦いは血肉脇躍る! 下等種など比べ物にもならぬ!』


 その証拠に、邪竜の黒く澱み切った瞳はセレナだけを見ていた。


(けれど、それなら『アレ』の準備ができるはずだ)


『もっとだ、もっと耐えてみせろ──っ!』


 再び黒い翼竜が翔け下りてくる。

 空に手が届かないセレナをあざ笑うかのようなヒットアンドアウェイで翻弄する。


「降りてきなさいよ、卑怯者!」


 たまらず叫ぶセレナ。


『なら貴様も飛べばいいだけの話ではないか。それとも──まさかドラゴンたる者が飛べぬわけではあるまいな?』

「──ぐっ」


 図星を突かれ、思わず警戒が緩む。

 その隙を見逃すほど敵は甘くなかった。


「足元!」


 今まで彼女のいた場所から赤黒い炎が吹き出す。

 鼻先ギリギリで回避したセレナは、そのまま大地を蹴って飛び上がった。


「こんのっ!」

『遅い。空を飛べない龍ほど哀れなものはないな』


 強烈な回し蹴りがセレナの身体を吹き飛ばす。

 踏ん張りがきかない彼女は燃え朽ちた木々を砕きながら智之の後方まで飛んで行った。


「セレナ!」

「トモ、アンタは前見てなさい!」


 まだ彼女は戦意を失ってない。


 なら、マスターの智之がやることは一つ。


 杖を固く握り締める。

 いくら魔法が使えなくても、真似事ぐらいはできるのだから。


「──ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。触れられざるものを今ここに現出させよ! <スプリング・フィールド>!」


 そして、空にいくつもの魔力弾が満ちた。

 バスケットボールほどのそれは色とりどりの鮮やかさを伴って宙に浮いている。


『空間干渉? いや、大気の魔力を固めたか。だがそれでは我に届か──』

「隙あり!」

『気づいていないとでも思ったか!』


 邪竜はもう一度手で払う。

 勢いよく吹き飛ぶセレナ。けれど今度は先ほどのようにはならなかった。


「まだまだぁ!」


 くるりと宙で回転した彼女は、周りに浮かぶ魔力弾を足場にもう一度跳ねる。

 まるで飛ぶ鳥を撃ち落とす弾丸のように鋭く突き進む。


『ちぃっ!』


 すんでのところで身を翻す邪竜。

 空中で自由に動ける分、まだ彼の方が有利だろう。

 けれど、この瞬間絶対的な優位は崩れ去った。


(行けるか……っ!)


 額に汗を流しながら、智之は考える。

 その杖と指は周囲に満たした魔力弾を操作するために余念がない。


 余裕なんてとっくの昔になくなっていた。


 高速で動くセレナの足元に魔力弾を持っていくだけ。

 言葉にすれば単純な作業。


 目の前で繰り広げられるのが少しのミスも許されない高速戦でなければ、だけれど。


 セレナは何度も飛び続ける。

 自分が届かない強大な邪へと食らいつく。

 落ちることなんて考えていない捨て身の攻撃は智之を信頼しているからに他ならない。


 だから。


(──くっ)


 汗で落としそうになる杖を必死で握りしめる。

 これが智之とセレナの命綱。

 絶対に離すわけにはいかなかった。


 でも。

 あぁ、けれど。


 智之は忘れていたのだ。

 目の前に立ちはだかっているのが、一度とはいえこの世界を支配した実力者であるということを。


「<インフェルノ・ストライク>!」


 何度目かの激突。

 炎をまとった拳が龍を落とすべく振りかぶられる。


 それをひらりと交わして、彼は楽しそうに声を上げた。


『楽しい余興だったぞ、馳走をくれてやろう!』


 両手を天に上げると地表から赤黒い煙がゆらゆらと立ち昇る。

 やがて立ち上った先では、血の雲がむき出しの天井を覆い尽くしていた。


 あれはやばい。

 智之はセレナと共に、直感で理解した。


 幸いだったのはお互いの距離が近かったことか。

 セレナが智之の下に駆け寄ってくる。


「トモ、やるわよ」

「……任せた」


 会話は一瞬。

 けれどお互いの意図は伝わった。


『──今この大地を魔たる血の下に染め上げろ。血属性魔法<ブラッド・レイン>』


 そして、血の雨が降る。

 相対するは破壊の魔法。


「<破壊吐息>!」


 セレナの口から血よりも黒い炎が吹き出る。


 雨と炎の衝突。

 衝撃によって凄まじい風が吹き荒れた。


「はぁ、はぁ……」


 雨が止んだ時には、セレナは肩で息をしていた。

 周囲はでこぼこで、二人が立っているところ以外に平らな場所なんてほとんどない。


 それでも無事だったのは──


「──ふぅ。やってくれるじゃない。トモ、生きてる?」

「セレナのおかげでね」


 そう告げるセレナの口元は人の肌ではなく。

 黒くなめらかな鱗と鋭い牙が見えていた。


 彼女の魔力が、人化魔法を破壊したのだ。


「セレナ、口」

「ん? あぁ、とっさに出したから普段よりコントロールきかなかったのね」


 セレナは右手で拭って人化をかけ直す。

 見慣れた形のいい薄桃色が戻った。


『この魔法を耐えたか』

「耐える? そんな生半可なものじゃないわ。アンタの魔法をぶっ壊しただけよ!」


 いくつか逃していた魔力弾を動かして、飛びかかって行ったセレナをサポートする。

 そこから先は人間の想像を遥かに絶する戦いだった。


 跳び回るセレナと飛び続ける央麻。

 だが、これまでとは攻守が逆転していた。


 一度手を触れれば、その魔力はファフニールさえも破壊し尽くすだろう。

 逃げる央麻と追うセレナ。

 智之のやるべきことはひたすらに足場を動かして彼女を跳ばせるだけだ。


 幸いにも央麻がこちらを狙うことはなかった。

 彼にとって、智之は狙う価値もない存在だということだろう。


 けれど、それでいい。

 それがいい。


 セレナが智之を信じているように、智之もセレナを信じている。

 彼女の強さを。

 必ず目の前の強敵を打ち破ってくれるのだと。


 ゆえに智之は自らの集中力を振り絞る。


「堕ちろぉ!」

『その程度で当たるものか!』


 白熱する二人。

 智之は必至に目で追いながら手を動かす。


 全体を眺めて、どこに動かすのが最善か。どこに跳ぼうとしているのかを汲み取って魔力弾を動かしていく。


 セレナは魔力コントロールが上手くない。

 だから、あまり長時間使いすぎるとその力で己を壊すことになる。


(せめて俺がその魔力を使えれば……)


 そう考えつつも、手を止めない。思考を止めない。

 セレナにとっての最善を取り続ける。


 ──そんな彼だからこそ、『それ』に気がついたのだろう。


「きゃう……」


 木々が幾重にも倒れたその間から、小さな小狐が顔を出したことに。


「──<破壊吐息>!」


 黒い炎がセレナの口から放たれる。


 まずい──!

 さまざまな思考が頭を巡る。


 この勝負の行く末とかセレナがどうなるのかとか何処から来たのかとか。

 投げ出すものと投げ出したくないもの全てを天秤にかける。


 そうして加速した思考の中で残ったのは──


(セレナを人殺しにさせちゃいけない)


 ただ、それだけだった。


 走る。

 でこぼこな大地を物ともせずに走る。


 周囲に放っていた魔力弾を何とかかき集めて壁を作ろうと試みる。

 けれど、セレナの強力無比な魔法はその程度では止められなくて。


 だから身を投げ出した。

 ココを抱きしめるように身体で包みこんだその背中に、破壊をもたらす魔力が吹き付けられた。


 熱さはない。

 痛みもない。


 あるのは身体の全てが散り散りになるような感覚だけ。

 それでも智之は歯を食いしばって耐える。


 やがて魔法が止んだ頃。

 智之は腕の中の小さな命に微笑みかける。


「ココ、大丈夫?」

「きゅいきゅい、きゅい」

「よか、った……」


 どさり。

 智之はその場で倒れこむ。


「きゅい、きゅい」


 心配そうな鳴き声を聞きながら、彼の意識は暗闇の中に落ちて行った。


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