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17.

 それは、かつて智之がセレナを召喚したばかりのこと。

 日が落ちた住宅街の、誰もいない公園でそれぞれブランコに座りながら話したことがある。


「なんでそんなに私に構うのよ」


 静寂に包まれた世界の中、言葉だけがはっきりと智之の耳に届く。

 今よりも少し幼い声は肌寒さの残る春の夜風を震わせた。


 その頃の彼女は今よりも激しくて、不安定で、それでいて弱かった。

 身体の意味でも、心の意味でも。


「放っておけないよ。セレナは俺の使い魔だから」


 智之が強かったらまだ良かったのだろう。

 彼女を力で押さえつけられるほどの力があれば、屈辱のまま従うことになったのだろう。


 けれど。


「何よ、アンタなんて魔法が使えないクセに」


 その言葉に嘘偽りなく、夕川智之という少年はどこまでも弱い一般人でしかなかった。


「ぁ……ごめんなさい」

「ううん、気にしてないよ」


 口元に笑みを浮かべて首を振る。

 それでもどこか寂しげな瞳をセレナは見逃してくれなかった。


「私はアンタが思うようなドラゴンじゃないわ。まだまともに力も操れないし、他とは違う魔力持ってるし、それに、空も──」

「でも、俺が読んだ物語にはこう書いてあったよ。『ブラックドラゴンとは気高く自分の誇りのために力を振るう。その力は暴虐のためではなく誇りのために使われ、力を認めた者には彼らなりの礼儀を果たす』って」


 それは彼がかつて読んだ本のこと。

 憧れの輝きが灯った瞳は使い魔の真実を知ろうと変わらない。


「だから、セレナは立派なドラゴンだよ」


 それが励まし方として正しいかどうかは定かではなかった。

 けれど、一足分離れたブランコに座る少女には何か通じるものがあったらしい。


「……ぷっ、何よそれ」

「あれ、変だったかな?」

「変よ、変。それともアンタ、自覚せずに言ってたわけ?」


 それは、或いは少年の憧れ(呪い)のようなものだったのかもしれない。

 けれどその憧れによって救われた少女がいるのも確かだった。


 ひとしきり笑った彼女はブランコから飛び上がる。竜の脚力は前方の手すりを超え、その足がひらりと地面につく。

 空にはまん丸の月明かり。その名前にセレナ()を冠した少女は金髪の髪をくるりと翻す。


「いいわ、私はアンタの信じるドラゴンになったげる」


 それが智之の初めて見た、セレナの満面の笑みだった。








「ねぇ、ねぇちょっと」

「ん……」


 智之の意識を浮上させたのは、慣れ親しんだ声と体をゆさゆさと揺さぶる手だった。

 うっすらと目を開けてそちらを見れば暗がりに人影。


 ベッドの縁に座りこんだセレナが彼の方を振り返っていた。


「大丈夫なのアンタ。うなされてたわよ」

「うなされてた……?」

「そ。悪夢でも見てたの?」

「いや、むしろ──」


 ──何か懐かしい夢を見ていた気がする。


 夢うつつの間に見た記憶は空気のようにすり抜け、頭に空白を残す。

 ただ、それでも残り香はあった。


「……セレナはやっぱり、世界一カッコよくて綺麗なドラゴンだよね」


 手を伸ばして、ベッドの縁に腰かけたセレナの背中を触る。

 ジャージに覆われたその先、翼が隠された部分に手を添えた。


「当然じゃない。私はドラゴンなんだから……って、くすぐったいから止めなさい」


 身をよじって逃げる真紅のパジャマ。


「ったく、人を心配させておいて呑気なんだから」

「あはは……いつも迷惑おかけしてます」

「ホントよ。付き合わされるこっちの身にもなりなさいよね。今日だって余計なことに首突っこもうとしてたし。アンタ、魔法使いになるんじゃないの?」

「なるよ。もちろんなる」


 真木架学園に通っているのもそれが理由だ。

 その目的は数日過ごしても衰えてはいない。

 むしろ目につく教師や先輩たちを見てそう思う機会が増えてきたとさえ感じている。


「じゃああの那波とかいうヤツに構う必要なんてないでしょ。そんなことするぐらいなら私にも魔法決闘させなさい」

「それが本音だよね」

「何、悪い?」


 ふふん、と彼女は悪びれた様子もなく胸を張る。

 智之もさせてあげたいのはやまやまだが、セレナの──インフェルノ・ドラゴンの火力に正面から戦える相手がいないと言うのが大きな問題だった。


「何ならこの際、あの蛇女でも構わないわ」

「それなら早くこの一件を終わらせないとね。ヴルムさんも那波くんが行方不明だと本調子が出ないだろうし」

「んぐ」


 口ごもるセレナ。

 その揺れる身体の向こう、対面の壁に立てかけてあった掛け時計が智之の目に入ってくる。


 針が示していたのは、早朝というよりも深夜に近い時間帯だった。


「そういえばこの時間に起きてるのって珍しいね」

「ぎくっ」


 何気ない一言。暗い部屋の中で長い金髪がひょこんと飛び上がる。

 そしてぎこちない仕草のまま智之の方を振り返った。


「べ、べべべ別に昨日のお化けが怖いからあんまり寝られなかったとか、そういうんじゃな、な、ないわよ!」


 どうやらそういうことらしい。


「寝る前はあんまり気にしてなかったから大丈夫だと思ってた。ごめんね」

「誰もそんなこと言ってないでしょ!」

「全部まるっと言ってたよ」

「は、謀ったわねっ!?」

「はかってないはかってない」


 弁明虚しく、むぅと恨めしげに頰が膨らむ。

 その姿は気難しいドラゴンというよりは年頃の少女のようにしか見えない。


「何でそんなにお化けが怖いのさ」

「怖い話とか聞いてると背中がぞわぞわっとするじゃない。アレが気持ち悪いのよ」


 そういうことらしい。

 智之自身もおばけが全然平気というわけではないのだけれど、かの怨霊が元魔物であることを知ってからは落ち着きを取り戻していた。


「那波くん、大丈夫かなぁ。きちんとヴルムさんに見つけてもらってるといいけど」

「あの蛇女ならどうにかするわよ。私とまともに殴りあえるヤツなんだから」

「だといいなぁ」


 布団の暖かさに包まれながら、智之は茫洋と思いを巡らせる。


(あれ、何か重大なことを見落としているような……)


 こうして数度目の夜が明けていく。

 智之の覚えた感覚は、その日にはついぞ形となることはなかった。


 ──その翌日、智之たちがヴルムの姿を目にすることはなかった。


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