14.
「ちょっといいか」
授業も終わり、帰ろうとしたその時。
学園の玄関エントランスを通りかかった智之たちに声がかかった。
「ウェスカーさん?」
「あら、どうしたの?」
「ちょっと話しておきたいことがあってな。昨日、部屋に黒い影みたいなのが出なかったか?」
周囲に誰もいないことを確認しながら、彼はそんなことを言ってくる。
考えるまでもなく、すぐさま智之の頭に過ぎる影があった。
「黒い影……はい、出ました。すぐに消えたのであまり気にしてなかったんですけど……」
「どういう姿になったか覚えているか?」
「それが……」
かくかくしかじか。
暇そうなセレナを脇に、智之はウェスカーに事情を説明する。
「……そうか、もうそこまで形を取れるようになったのか」
「あれはいったい何なんですか?」
それを尋ねると、ウェスカーはもう一度周囲を見回す。
やがて声を潜めて色々と教えてくれた。
「とまぁ、こんな感じ。黒い影の正体ははるか昔、オイラたちみたいな魔物が表の世界に跋扈していた時にここの支配者だったドラゴンの怨霊らしい」
「怨霊ですか」
怨霊。
それは負の感情が集合してできあがったゴーストのような存在だと智之は本で読んだことがあった。
「……」
傍らで一瞬、お化けの類が苦手なセレナの身体がこわばる。
「と、トモ、早く行きましょうよ」
袖をぐいっと引っ張られる。
可愛らしい仕草だけれど、力の強さのせいでのけぞってしまうのはご愛嬌だ。
「いや、でも何か手伝った方がいいんじゃないかなって思うと、どうしてもね」
「わざわざお、おばけみたいなのを相手にする必要はないわ。人だって待たせてるんだし」
「それはそうだけど」
知ったからにはやはり躊躇してしまう。
話を聞いた限りだと、智之たちにも責任の一旦があるように思えるのもその一因だ。
だが、そこでウェスカーさんから声がかかった。
「こっちとしても、話が聞きたかっただけで処理はこっちでさせてもらいたい。具体的には邪念は人に憑くことがあるから、変な行動をしている人がいたら教えてほしい」
学校側がそう言うのなら仕方ない、か。
「わかりました」
「さ、行きましょ行きましょ」
こうして智之は後ろ髪を引かれながらも、セレナに腕を引かれて学校を出て行った。
セレナに引かれて学校を出て、目的の場所──使い魔グッズ専門店を目指す。
学生たちが行き交う道の流れに沿って歩いていると、しばらくして夕日に照らされた見知った顔が見えてきた。
「待たせてごめん、神宮寺さ──」
「しー」
神子に声をかけようとすると、口が横に引き延ばされる。
その腕の中には茜色の熱を浴びてすやすやと眠るココがいた。
「ごめん」
「小狐はお昼寝かしら」
二人して小声になりながら神子に近づく。
「今日は測定試験があったから、疲れが溜まっちゃってたんだと思います」
「タイミング悪かったかな」
「ううん、お願いしたのはこっちですから。それに、このままだと眠れなくて部屋でやんちゃしちゃうと思いますし、むしろこのままお店で起きたら遊んでほしいなぁって」
「そういうことなら喜んで」
元々、ここに来ることになったのは神子からの相談がきっかけだった。
なんでもこの学園の使い魔ショップに行ってみたいのだとか。
そこで友人である智之に白羽の矢が立ったらしい。
中に入ると、お客さんのいない広々とした店内にジャズが流れていた。
「いらっしゃいませ、使い魔グッズ専門店バティへようこそ」
リザードマンのデフォルメが描かれたエプロンを着た店員が、レジカウンターの向こうから迎えてくれる。
会釈を返しながらも、智之はその内装に目が向いて仕方なかった。
「へぇ、こうなってるんですね」
「神宮寺さんはこういうところ、来たことない?」
確か雑貨屋ノーマークの櫛は持ってたはずだけど。
「えへへ、実はあんまりなくて。あの櫛は一度お屋敷を抜け出した時に手持ちのお小遣いでこっそり買ったものなんです」
はにかみながらそう告げる神子。
箱入りお嬢様のように見えて意外とやんちゃしていたらしい。
「夕川くんはこういうところ、よく来るんですか?」
「セレナを召喚したばかりの頃はいっぱい来てたんだ。よくケンカしてたから、ショップの店長さんに何度も相談してたなぁ」
「そうなんですね。今だと羨ましいぐらいに仲良しだと思いますよ」
「色々あったのよ、色々と」
恥ずかしそうに目をそらしながら、セレナは言う。
彼女と出会ってから二年経つぐらいだけれど、本当に出会ったばかりの頃は色々あった。
智之もセレナもまだ不安定な頃だったのだ。
だいたいは暴れるセレナとそれをなだめる智之という構図だったけれど、一度だけセレナが家出した時もあった。
それもこれも、今となってはいい思い出だ。
セレナにとっては一部黒歴史としているらしいけれど。
「きゅい……?」
そんな話をしていると、ココがゆっくりと目を開けた。
「ココちゃん。おはよぅ。ほら、ボールだよー」
「きゃう、きゃう」
神子の手に握られたボールに向かって、小狐は腕に抱かれた状態で前足をぱたぱたと動かす。
「可愛いなぁ」
「でしょでしょ。うちのココちゃんはとびきり可愛いんです」
にへら、と頰を緩ませる神子。
その間にも眠気が覚めたらしい小狐は、あたりをキョロキョロと見回していた。
「きゃう?」
「何よ」
セレナと目があった途端、そのくりっとした目が動きを止める。
「「……」」
無言で視線を交わす二人、
先に焦れたのはセレナの方だった。
「何か言いなさいよ!」
「まぁまぁ、相手は寝起きの子どもだから」
智之が宥めている間にも、ココはすんすんと鼻を鳴らす。
すると──
「きゃうっ!」
──毛を逆立てて警戒し出した。
「ココちゃん?」
「きゃう! きゃう、きゃう!」
ココはするすると腕を伝って、神子の肩に巻きつく。
そして親の仇でも見るかのような目でセレナに向かって吠え出した。
「な、何よ。私、何もしてないわよ」
動揺するセレナ。
なおもココは吠え続ける。
「ど、どうしたの、ココちゃん? 落ち着いて──え、窓?」
何かが伝わってきたらしい。
神子が店の窓を見る。
それにつられて、智之もセレナもそちらを見る。
「「──っ」」
窓の外を覆い尽くさんばかりの目がそこからのぞいていた。
琥珀色の瞳に縦長の瞳孔、爬虫類のようにも思えるそれははっきりと智之たちの──正確には、セレナの方を見ていた。
「ま、またあの黒いのがいるっ!? ト、トモ! 何とか、何とかしなさい!」
怖がるセレナは智之の腕にすがりつく。
痛いほどにこめられた力は彼女の恐怖をはっきりと表していた。
あまりのプレッシャーに唾を吞みこむ智之。
「あれは……」
だが、その傍らにいた神子は反応が違っていた。
「あれはダメです。関わっちゃダメなヤツです」
神子は冷静に首を振る。
「あんまりこの魔法を使いたくはなかったんですが、仕方ありません。今からお二人とあの怨霊のつながりを切ります。けして、決して動かないでください」
ぴしゃりと言われて、思わず身をすくめる。
それほどまでの気迫がはっきりと伝わってきた。
「ココちゃん」
「きゃう!」
神子の呼びかけに、ココは一声。
すると、ぼんやりとした炎が三人と一匹を包みこんだ。
それは智之たちを隔離する幻想の炎。
神子の足元から水がこんこんと広がり、隔離された空間を満たしていく。
「水よ、水よ。清めたまえ。操操れ、操操れ。百の刀」
しゃん、しゃん。
どこかから、鈴を鳴らすような音が聞こえた。
鳴っているのは、刀だ。
十、二十、三十──数多くの刀が神子の背後に浮かび上がる。
すらりとした刀身からは水が滴り、足元に広がる水面に波紋を作った。
「玄よ、玄よ、鎮めたまえ。千切れ、千切れ、永久の縁」
しゃん、しゃん。
背後に浮かび上がった刀は、智之とセレナの周りを回り始める。
今から起こることを、智之とセレナは固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
そうして、詠唱が終わる。
「今一刀にて穢れを伏す──<幻想剣舞・百斬り>!」
「きゃう!」
ココの掛け声に合わせて無数の刀が落ちてくる。
円を描くように智之とセレナの周囲に突き刺さったそれは、まるで二人を守る小さな陣のようであった。
──そして、世界が元に戻る。
暗い世界から明るい店内へ。
水と刀に満ちた地面はフローリングの床へ。
鈴の音は軽やかなジャズに置き換わり、いつの間にかこちらを見つめる瞳は藍色の中には見えなかった。
「これでもう大丈夫なはずです。それにしてもあんな怨念、どこで引き連れてきたんですか?」
「それが……」
「……お客様方?」
説明しようとしたところで、レジの方から声がかかる。
振り返ると、青筋を立てた店員がにこにことこちらを見ていた。
「店内での魔法の使用はお控えください」
龍をも殺しそうな眼光に射られ、三人と一匹は逃げるように使い魔ショップを後にした。




