1.思い出話とツンデレドラゴン娘
「ん、しょ。ん、しょ」
埃のかぶった、初秋の屋根裏部屋。
天窓から差す月明かりに照らされながら、夕川智之はひとりひっそりと魔力をこねていた。
バスケットボールほどの白い魔力でできた玉が、彼の手によってぐにゃりぐにゃりと形を変えていく。
彼の目の前には、直径二メートルはあろうかという大きな幾何学模様の円が描かれていた。
白くぼんやりとした陣はところどころは欠けており、きちんと魔法陣として機能していないことが分かる。
「俺だって、魔法が、使えるん、だ」
智之は魔法が使えない。
世界のほぼ全員が使える魔法が。
その原因は、彼の魔力属性にあった。
この世界において、使える魔法は個人の持つ魔力の属性に依存する。
赤い火属性魔力しか持っていなければ炎に関係する魔法しか、青い水属性と黄色い土属性を持っていればその両方の魔法が。
彼の持つ魔力属性は、『無』。
何も使えない、誰の干渉も受けない無能も同然の真っ白な魔力だった。
だが、魔法が使えなかったとしても、将来は真木架学園に通って魔法の道を志すことができなくても、学校で魔法の基礎や歴史は学んでいた。
魔法とは、古くから続くものである。
魔法とは、原因と結果の間を歪める手段である。
魔法とは、魔力の塊である。
そんな簡単なことさえ分かっていれば、後はどうだってよかった。
彼に魔法学を教えた先生は、あまりに非効率すぎる行動に目を剥くかもしれない。
一緒に授業を受けたクラスメイトは、何をバカなことをと嗤うかもしれない。
空気を固めて物体にするようなものだ。
誰もやろうとしない、やろうとすら思わない。
それでも、彼は魔力をこねることをやめなかった。
魔力をこねて、伸ばして、並べて。
ちぎれたらその部分を無理やり練り直して。
そうやって大きな陣を作り出していく。
「できたっ!」
そうして、粘土のように魔力を並べること数時間。
夜も既に半分を超えたところで、智之は歓声を上げた。
「はぁ、はぁ……もう魔力すっからかんだ……」
身体にじんわりと広がる疲労感に身を任せて、どさりと木の床に倒れこむ。
その音はこの家の住人の耳に届いたらしい。
『智之、まだ起きとるのか。明日も学校じゃろうて、はよう寝んか!』
屋根裏と二階をつなぐハシゴの先から、そんな声が飛んできた。
声の主は、一緒に住んでいる智之の祖母だった。
「ば、ばあちゃんっ!? もうちょっとだけ! すぐ降りるから!」
屋根裏と二階を繋ぐハシゴの先に声を投げかける。
ほかに場所が思いつかなかったからと言って、家の中で魔法陣を貼ったとなれば大目玉を食らうに違いない。タイムリミットはもうあまり残されていなかった。
急いで部屋の隅に積み上げられた木箱に近づく。。
そこから取り出すのは、魔法使いの両親が遺した魔道書、その一つ。
「呪文は……あった! これだ!」
それをパラパラとめくり、彼が指差したのは『使い魔の召喚/契約』だった。
名前の通り、魔法世界から魔物を召喚して使い魔にする魔法だ。
魔法世界とは世界の『裏』に位置する場所で、そこでは広大な大地に魔物たちが住んでいる、らしい。
学校の先生すら行ったことがない場所なので、智之も本で読んだことしか知らないけれど。
どんな子が来るんだろう。
ケット・シーかな、シルフかな、デザート・バタフライだろうか。
あぁ、でも、優しい子がいいな。
彼は期待に胸膨らませ、右手を前に突き出した。
「描け、描け、描け、描け。其は自らが紡ぎし召喚の門」
言葉を紡ぐ。
足元の幾何学模様が、白い光を放ち始める。
「拓け、拓け、拓け、拓け。其は我と魔を繋ぎし扉なれば」
言葉を続ける。
白い光が煌々と輝きを増し、次第に見えない目を開けられないほどまでになる。
すうっと息を吸いこむ。
「魔よ、今こそ我が下に来たれ! 共に歩むことをここに誓わん!」
その瞬間、魔法陣の中心に光が収束する。
それはやがて人ひとり入るほどの球体になったかと思うと、音を立てて弾けた。
きらり、きらりと飛び散った魔力がダイヤモンドダストのように儚く輝く。
あまりに幻想的な光景。
だが、智之の目は別のものに釘付けになっていた。
「……女の子?」
そこにいたのは、銀髪と碧い瞳を携えた美貌の少女のようだった。
ようだった、というのは、すぐに彼女が人間でないと気づいたからだ。
蝙蝠のような一対の翼と、鱗に覆われた尻尾、そして淡い唇の端から漏れる黒い炎がその存在を象徴していた。
その存在を、智之は知っていた。
「ドラゴンだ!」
大空の支配者、空中戦最強と呼び声高い魔物で、研究者でさえもめったに見ることができないレア種。
まさか、こんなところで見られるなんて!
「アンタが私のマスター?」
しかし、目の前の少女から飛び出したのは、やけに攻撃的な色を含んだ言葉だった。
どこか猫を思わせる瞳は、見定めるようにじろりと睨めつけてくる。
テンションの上がった智之はそのことに気づかず、気さくに話しかけた。
「そうだよ、俺は夕川智之! 君は?」
「近寄らないで」
腕が振るわれる。
威嚇するかのごとく、熱風が彼女の周りで渦を巻く。
あまりの迫力に思わずたじろぎ、一歩後ずさる。
そんな自分の主人に対して、彼女は傲岸不遜に言い放った。
「私の名前はセレナ。セレナ・ドルマン。言っとくけど、アンタたち人間に従う気はないから」
– ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ – ☆ −
「ん、んぅ……」
智之が目を覚ますと、トンネルを走る電車の中だった。
がたんごとん、がたんごとん、眠気を誘う揺れに思わず再び目を閉じそうになる。
ふらりと揺れた身体が、誰かに支えられた。
「アンタ、昨日ちゃんと寝たの?」
トゲのある、しかしどこか柔らかい少女の声が耳に届く。
見知った声に安心感を覚えながら、智之はゆっくりと身体を起こした。
「ふわぁ……ワクワクして眠れなかったんだよね」
「何、その子どもみたいな理由」
智之を支えたのは、長い銀髪を携えた少女━━セレナ・ドルマンだった。
つり目がちだけどぱっちりとした大きな碧い瞳は、二年経っても変わることはない。淡いピンク色の唇は、少し皮肉げに持ち上がっていた。
翼と尻尾は魔法でしまってるけど。
「少し前まで中学生だったんだから、子どもっていう括りでいいと思うんだ」
うぅんと大きく伸びをする智之。
周囲では同じような年頃の少年少女が乗っていた。
その面持ちには、どこか緊張と高揚が混じっているように見える。
「はい、これ。寝てる間に落としてたわよ」
彼の前に、セレナから一枚のカードが差し出された。
顔写真とともに、名前欄にはしっかりと『夕川智之』と記されている。
受け取ると、手にしっかりとした重みが伝わってくる。
「夢だった真木架学園に通えるなんて、二年前からは想像もつかなかったなぁ」
「またその話? いい加減、アンタは自分の実力を自覚しなさいよ。従ってあげてる私の格が落ちるわ」
呆れたようにセレナはため息をつく。
尻尾を隠してなければ、今頃所在なさげにふらふらと揺れていたことだろう。
「あ、そうだ。夢で思い出した。アンタ、何か夢でも見てたの?」
「夢?」
「えぇ、寝てる間、『俺は魔法使いになるんだ』ってうわ言のように言ってたわよ」
彼女の言葉で、智之の脳裏に寂れていた夢が彩りを持って蘇る。
いや、正確には二年前の記憶だ。
智之と今共に歩んでくれている、セレナという少女との初めての出会い。
「うん。懐かしいものを見てたよ。セレナを召喚した時のこと」
「ま、まだ覚えてたの、そんなこと! 今すぐ忘れなさい!」
智之の言葉に、セレナは顔を炎のように赤く染め上げた。
手をわたわたと振って否定する姿がとても可愛らしく思えるのは、ペット馬鹿ならぬ使い魔馬鹿だからだろうか。
「忘れないよ。セレナとの大事な、とっても大事な思い出だからね」
「さらっと恥ずかしいこと言うな! あんなにイキッてた自分なんて思い出したくもないんだから!」
智之にとってはいい思い出でも、セレナにとっては黒歴史らしい。
ただ……。
「今でもそんなに変わらないんじゃない?」
「うっさい、芯まで燃やし尽くすわよ!」
「ちょ、セレナ! 漏れてる漏れてる!」
激昂したセレナの口から炎がチロチロと漏れる。
同じ電車に乗っている乗客たちが、ギョッと目を剥くのが分かった。
それでも上を下への大騒ぎになっていないのは、やはり智之と同じ魔法学園の入学生だからだろうか。
もしかしたら見間違いかと思っただけかもしれないけど。
と、そんな折。
電車がゆっくりと動きを止めた。
周囲の分からない状態での停車に、周囲がざわつき始める。
やがて、どこからか車内アナウンスが聞こえてきた。
『皆さま、大変申し訳ございません。この先で土砂崩れが起こっているとの情報が入ってきました。現在、魔法使いの局員が土砂を取り除いております。運行再開の目処が立つまで、今しばらくお待ちください』
その言葉に、周囲の動揺が収まっていく。
ただの土砂崩れなら、土属性の魔法使いが数人いればすぐに元通りとはいかないまでも、通れるようになるはずだ。
「土砂崩れ……? トンネルに入る前は雨なんて降ってなかったわよね」
「昨日にでも降ったのかもしれないよ」
「それにしても暇ね……」
「じゃあ、思い出話の続きでもしよっか。ちょうど夢も見たことだし」
「なっ!」
智之の発言に、セレナの眉が釣り上がる。
綺麗な顔は拒絶の意思を明らかにしていた。
「なんでわざわざ黒歴史を蒸し返さないといけないのよ!」
「楽しいからだよ」
それに、これから新生活が始まるんだ。
出会いの物語の一つぐらい、思い出してもバチは当たらないだろう。
「私は楽しくない! ったく、会ったばかりの頃はもうちょっと純粋だったと思うんだけど?」
「そうかな? 俺も変わってないと思うけど」
そう、智之自身、初めて出会ったあの日から、何も変わったつもりはない。
それでも変わったものがあるとするなら━━
「多分、関係が変わっただけだよ」
━━これは、人と使い魔と、心と魔法の物語。






