第85話
「はい、おしまい。しばらくは、走ったり跳ねたりしちゃダメよ」
「……あ、ありがと……ござい、ます」
恐らくは、言い慣れてないのだろう。ぎこちなく、どこかぶっきらぼうにそういった少女、ハルは、自らの両腕を覗き込んでほうと息を吐く。細かい擦り傷や青痣がいくつもあったその手に傷は無く、白く美しい滑らかな肌がそこにある。
エリザベスの癒術の腕は確かである。体の方にあった傷も、綺麗さっぱり消えているはずだ。
「……すごい。ほんとに、治っちゃった」
「そういえば、この国には癒術士が居ないんだったな。そんなに珍しい魔法なのか?その、癒術ってのは」
「そんなに大層なものでもないわ。私は魔力を活性化させて傷の治りを早めているだけ。あっという間に治ったのは、あなたが生まれ持った生命力のおかげよ。ハル。両親に感謝することね」
「両親に、感謝……」
ハルはそう呟くと、耳付きのフードを被り直してため息をつく。
「……ボクは、両親の顔、知らない。パパがオークで、ママがエルフだってことは、教えてもらったけど……ボク、捨てられたんだ。きっと、オークでも、エルフでもない、なりそこないの雑種だから」
ぽつり、ぽつりと言葉を繋げ、ハルは俯く。
「オークとエルフの子か。そりゃまた、珍しい組み合わせだな」
「となると、故郷は『いにしえの森』かしら。たまに居るのよね、かけおちするオークとエルフ……大抵は、森から追い出されるって聞くけど……まあ、赤ん坊を育てる余裕は無かったんでしょうね。捨てられたのが本当だとしても、雑種だからって理由じゃないと思うわ」
「……そう、かな……」
「ええ。きっとね」
同じハーフエルフとして思うところがあるのか、エリザベスのハルに対する声はどこか優しい。その見た目と目つきは氷のように冷ややかでありながらも、決して冷たい女ではないのだ。
「いにしえの森、か」
皿に盛られた肉をつまみ、噛みちぎってふうと息を吐く。
いにしえの森。それはかつて神々がその力を以てこの大地を彩った際、最もはじめに作り出されたとされている森。木と再生を司る魔神、森の神エルリムの加護を持つ古代樹が立ち並ぶその森は、遙か古よりその姿を変えずに在り続け、多種多様な種族がエルリム神の加護のもとに生活を営んでいるという。
そんないにしえの森の中で特に大きな力を持つ種族こそ、狩猟と貞潔を司る女神アーシェラの子ら。気高き狩人たるエルフ。そして、同じく森の民と呼ばれる魔族。誇り高き戦士たるオークである。
オークとエルフは遙か古より森を二分する領土を持ち、それぞれと共生する森の民たる種族と共に、長年睨み合いを続けているはず。そんな中、種族の壁を越えて恋に落ちるオークとエルフの存在は、噂程度には聞いたことがある。価値観も美意識も違うため、本当に稀な話だというが、まさかこうしてその間の子と出会う日が来るとは。
「聞いた?エミリー。いにしえの森ですってよ。懐かしいわねェ。アカデミーの実技試験、覚えてる?アンタってば迷子になってわんわん泣いて、再試験でもまた迷子になって……ぷっ、ふふ」
「やめてよ、ガーランド。昔の話でしょ」
「ことあるごとに泣いちゃうクセ、治ったの?『泣き虫エミリー』?」
「やめてってばぁっ!!」
勢い余って席を立つエミリー。ぼわっと燃え上がる髪が火の粉を散らし、他の客の視線が集まる。エミリーはハッとして座り直し、白い煙を吐いてからぎゅっと口を結ぶ。真っ赤な顔でガーランドを睨むその眼には、じわりと涙が浮いていた。
「泣きグセ、治ってないみたいね」
「う、うううるさいなあっ!もおっ!!」
どうやら同郷の生まれであるらしいガーランドとエミリーは、かつて同じ魔導学校に通っていたという。学科とやらは違っていたようだが、授業や試験などで一緒になることが多かったようだ。ゆえに、端から見ていても仲がいい。
「あまり大声を出すな。他の客の迷惑になるだろう」
「そうよぅ、エミリー。もうちょっとおしとやかに出来ないの?」
「う、っ…………ぁ、それ、あたしのお肉……う、うう」
「あぁ、泣くな泣くな。ほら、俺の分やるから」
「ギルバートさま。それなら私の分のお肉どうぞ。はいっ、あーん、です!」
「あ、あぁ」
横からずずいと差し出されるそれを口で受け取り、リリアをわしわしと撫でてやりながらよく噛んで飲み込む。中々に食いでのある噛みごたえと、噛むほどに溢れる肉汁。ざらついた焦げ目もまた香ばしい。魔力はあまり含まれていないようだが、まあ、良い肉なのだろう。
「ところで、ハル。もうひとつ聞きたいことがあるんだが」
「……な、なに?」
びくりとその肩を震わせ、どこか緊張した面持ちで俺を見やるその眼に、俺は息を吐く。姫を攫った一団については、ここで聞くべきではないな。ガーランドはともかくとして、この場で無駄な騒ぎを起こしたくはない。
「……君は、どうしてこんな街に居るんだ?流れてきたにしても、わざわざこんな、寒い地方に飛び込む必要もあるまい」
「……そ、それは」
ハルは一瞬言葉を詰まらせ、ほっと息を吐いてから改めて言葉を繋ぎ始める。
「ここでなら、お金が……お金がたくさん稼げるって、聞いて……」
「それで、衛兵の言いなりにか」
「…………」
ハルは口を結び、俯く。
「この街の連中は、よそ者を快く思っていない。この街の猫、いや、ネ族の奴らは、獣人の中でも選民思考が強い。ただでさえ、魔族の混血は嫌われがちだ。この街じゃ、半魔族はまともに生きていけないだろう」
「その角を見られて、脅されでもしたのかしら?」
エリザベスの言葉に、俯いたままのその肩がぎくりと震えた。当たりだ。恐らくは角を隠して、人間として振る舞っていたのだろうが、運悪くもあの腐った猫どもにバレてしまったのだろう。
「……とにかく、金を稼ぐにしても、この街じゃダメだ。環境が悪すぎる。どこか別の、もっと住みやすい街に移ったほうが良い」
「そんなこと、いわれても」
ぽつりと返ってきた言葉に、俺は言葉を詰まらせる。そうしてテーブルが一瞬の静寂に包まれたその時、肉を頬張っていたエミリーが「それなら」と声を上げた。
「それなら、ベスティエラに来ればいいわ。あたしが案内したげる!」




