第81話
『今宵は、全ての兵に休息を命じた。この城を見張る者は居ない。今このときばかりは、何が起きても不思議ではないな。さて、どうする?ギルバート』
そう言って、ヴァレム神は笑いながら姿を消した。消してしまった。
「……」
溢れ返る黄金と静寂の中、俺はただ立ち尽くす。どうしろと。何をしろというのだ。
いや、あの御方が望む選択肢は分かっている。分かっているが、それはあまりにあまり。クロマは酔い潰れたかのように眠りに付き、衛兵が飛び込んでくる気配もない。本当に見張りが居ないのならば、俺はこの部屋に溢れる黄金を持ち去ることも出来るし、眼の前で無防備に寝顔を晒す姫君に襲いかかることも出来る。何もせず、ただこの場から立ち去ることだって出来るのだ。
考えうる全ての選択肢を、俺の手に委ねようというのか。
「くそっ……」
思わず、頭を抱える。あの御方は、こうして俺が悩む様を見て楽しんでいるのだ。これでは思う壺。分かっている。そんなことは分かっているが、せざるを得ない。またしても俺は、神の手のひらに転がされるのか。
「……っ」
何が褒美だ。これはまるで、試練じゃないか。
いくつかの選択肢の中からどれでも好きなものを選べと言われると、迷ってしまう。目的地とは関係のない分かれ道で、立ち止まってしまう。これは、俺の昔からの悪癖のひとつだ。
「……」
いっそのこと、めちゃくちゃにしてやろうか。獣人の加護というものがどんなものかは知らないが、それなりの魔力は持っているだろう。その血肉を喰らい、糧とすれば、さらなる力が手に入る。より多くの同胞を守ってやれる。他ならぬ守護神が「好きにしろ」というのなら――――
「…………ダメだ」
ため息をつく。無垢な寝顔に伸ばしたその手を、引っ込める。
この子は、生まれてこの方『黒猫』として大切に育てられた姫君だ。側近の者たちも、頭が硬い様子だった。あの時、引っ張られた俺の意識に流れ込んだ記憶や感情がこの子のものであれば、この子はきっと、この黄金の檻の中で退屈な日々を過ごしている。寝て起きて、恐らくは用意された食事を取るだけの、毎日を。
確かに、安全ではあるだろう。だが、そんな毎日はあまりに退屈。遊びたい盛りなら、なおさらだ。
「(俺なら、きっと耐えられない)」
身を丸めて顔をこする無防備な寝顔を見下ろし、溜息をつく。
連れ出してやりたい気持ちはある。あるが、俺の旅は決して平和なものではない。俺は、同胞を守るために、仇なす者と戦わねばならない。俺の旅は、血と暴力と混沌に彩られている。無垢な姫君に、血で汚れた道を歩ませるのは酷であろう。箱入りのお姫様を連れていけるような旅路ではないのだ。
「……すまない。姫……俺は……」
俺は、君の将来を背負えない。そんな言葉を飲み込み、俺はその無防備な寝顔を一撫でして踵を返す。
「(…………着ていくか。抱えていくのは、面倒だ)」
転がる銀色の球体。きらりと光るそれを横目に、俺は黄金の箱から鎧を取り出してゆく。暖かい上着を脱ぎ去ると同時に突き刺さる肌寒さを噛み締めながら鎧を着込み、腕を通し、留め具に手をかける。やはり、ぴったりだ。こういった鎧は、所有者ごとに採寸を行って調整するものだが、俺は運がいい。この鎧の本来の持ち主は、俺と同じくらいの背格好だったわけだ。
「(しかし、変な感覚だ)」
一度は自らの肉体として動かしたそれを、今度は身に纏って動かすことになるとは。恐らく、二度とは出来ない経験であろう。
俺は手甲の具合を確かめ、最後に兜を被り、黄金の山に突き刺さった剣を手に取る。異様なほど手に馴染むそれは、どこか懐かしさすら感じる。こいつとは、もうしばらく付き合うことになるだろうか。なんて、そんなことを考えていると、何やら部屋の外がドタバタと騒がしくなってきた。
「な、なんだ……?」
何者か、何名かが、長い階段を駆け上がってくる。まずい。誰か来る。ここにいては、賊と間違われるかもしれない。俺は身を隠そうとするも、この図体を隠せそうなものはない。
「…………ッ」
俺は咄嗟に壁際に駆け寄って姿勢を正し、剣の切っ先を床に突き立てる。それとほぼ同時に、部屋の戸が開け放たれた。
「――――姫さまっ!お迎えに上がりました!」
「んぅ?」
戸を開け、部屋に流れ込んできたのは、フードつきのローブを身に纏った十数名ほどの人影。ちょうど姫と同じくらいの背丈の、恐らくは女の子。その顔の殆どを隠すほど深く被ったそのフードには、三角の耳が縫い付けてある。
あの耳付きフード、どこかで見たような。と、そんなことを考えている暇もなく、ローブ姿の少女たちは姫を取り囲み、そのうちの一人が着ているものと同じ服を取り出して姫に差し出した。
「姫。今こそ、旅立ちのときです!さぁ、我らと共に」
「……」
姫は眠たげに目をこすっていたが、やがてその眼をぱちくりと瞬かせると同時に、その表情にぱっと花を咲かせた。
「ヒメ、お外にいけるの?」
「はい。我々がお連れ致します。さ、この服を」
何だ何だ、どういうことだ。騎士像の如く直立不動を保つ俺を横目に、姫は促されるままにぎこちなくもフード付きのローブに身を包む。やがてそのフードを被ると、姫の姿は少女たちと見分けが付かなくなった。
「姫、さあこちらへ!」
そうして、姫は少女たちに連れられ、部屋の外へと駆けてゆく。そんな中、その集団から外れて黄金の山に手を突っ込むものが一人。ちらちらと辺りを伺いながら、金貨を服に詰め込んでいる。やがて、部屋を出た少女たちの一人が戻ってきた。
「おい新入り!何をしている。行くぞ」
「うぇあっ、あ、は、はいっ」
ポロポロと金貨を零しながら、駆けてゆく最後の一人。
「……」
俺はただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。




