第73話
「なんだかひんやりしてきましたね。ギルバートさま」
「あぁ」
揺れ動く足場。もとい、バラムスの背中。丸みを帯びたその頭部、長く強靭な触覚の根本に座り込み、膝の上に座らせたリリアの頬を撫でる。ちらりと背後に目を向けてみれば、少し後ろのほうに突き出た棘の一本に赤い魔女が括り付けられ、その燃えるような温もりに三匹の子猫がぺったりと寄り添っている。
「あったかいにゃあ」
「ぬくぬくだにゃ~」
「……にゃあ」
獣人は寒い地方の生まれゆえに元来寒さには弱くないはずだが、故郷を出て暖かい地方を知ってしまうと途端に寒さに弱くなってしまうらしい。彼らの根は、暖かいほうが好みなのかもしれない。
「ちょ、ちょっとお!離れなさいよぅ!何なのよ、アンタたちッ!!」
「お姉ちゃんあったかいにゃあ」
「離れたくないにゃあ」
「な、なな……あっ、もふもふ……じゃないッ!!離れなさいってばあ」
当の魔女はというと、つい先程意識を取り戻してからというもの、ずっとあの調子である。ぎゃあぎゃあと騒がしくはあるが、一応彼女も自分の立場をぼんやり理解しているのか、あるいは子猫たちが傍にいるからか、自慢の炎魔法をブチかます気配はない。
まあ、大人しくしてくれるならそれに越したことはない。俺はリリアのもちもちとした頬を捏ねてやりながらちらりと背後に目を向ける。
「悪いな。勇者殿。もうしばらくはそこで大人しくしててくれ」
「な、なによ!あんた、この化け物とグルだったのね。まんまと騙されたわ」
「騙したつもりはないが……まあ、そういうわけだ。くれぐれも、妙な動きは見せるなよ。いたいけな子猫たちが、怪我をしてしまうかもしれないからな」
「ぐ……あ、あたしをどこに連れて行くつもりなの?目的は何?」
ため息を付き、歩み寄る。そのツンとした気の強さがにじむ顔を見下ろすと、揺らめく炎で染め上げたような真紅の瞳がキッと俺を見上げた。
「な、何よ」
「いやあ、どういうつもりというわけでもないんだが……まあ、そうだな。俺たちは、暖かい地方の生まれでな。寒い地方にはどうしても不慣れだ。そんな俺たちがこれから向かうのは雪と氷に閉ざされた銀世界。分かるだろう?何が必要なのか……。防寒具を羽織ったくらいじゃ、心もとない。貸してほしいんだ。君の、熱く燃えるその力を、な」
「……っ」
「ギルバートさま。お顔が近いです」
「あぁ、すまない。まあ、そういうわけだ。協力してくれるかい?」
その小さな顎をくっと持ち上げてやると、魔女はその顔を真っ赤に染め上げてふいと顔を背ける。
「ま、魔族の言うことなんか」
「俺は魔族じゃないぜ」
「ふぇっ!?」
赤みの抜けきらぬ顔で俺を見上げる魔女。いい反応だ。俺は笑いながら背を向け、座り込んで硬い甲殻を叩く。
「このデカブツはただの友達さ。まあ、俺のペットみたいなモンだな」
「だぁれがペットだよッ!勝手なこと言ってんじゃねーぞゴルァ!!」
「はは。冗談だよ」
と、そうこうしているうちに辺りの冷え込みは一層厳しくなり、視界のあちこちに雪がちらつき始める。ソラール神の温もりが届く範囲を越え、北方領土が近づいている証拠である。ヴィヴィアンから借りた防寒具を身に纏ってはいるが、やはり鎧とは何もかもが違うな。
やがて、山脈の合間に伸びる巨大な渓谷を横目に、バラムスが遥かな岩山を見上げる。
「よぉしお前ら!この山ァ越えるぜ。しっかり掴まっとけよ」
バラムスの声に、俺を含めた全員がそれぞれが大きな揺れに備える。それと同時に巨体が傾き、凄まじい勢いで巨蟲が岩山を駆け上がってゆく。
「隣は崖だ。脚、滑らせるなよ。バラムス」
「分かってらァッ!!」
雪のちらつく岩山に張り付き、巨大な岩や土くれを蹴飛ばしながら突き進むバラムス。やがて、岩山の鋭い頂上が見えてこようかというところで、ふいにリリアがハッとして顔を上げた。
「何か居ます!バラムスさまぁっ!」
「構うかよ。踏み潰してやるァ!どけ、どけどけェッ!!バラムス様のお通りだァッ!!」
「――待て、バラムス!止ま」
地響き。大地が悲鳴を上げ、岩山に亀裂が走る。バラムスが『何か』にその足を止められ、前方に投げ出されそうになる子猫たちとリリアを抱きとめる。ハッとして眼下を見下ろすと、そこには、一人の子供。骨の翼を生やした少女が、片手でバラムスの大顎を掴んでいた。
「な、んだコイツ……ッ!!離しやがれェッ!!」
少女は離さない。バラムスの強靭な脚が岩肌に食い込み、激しく土を掻き散らす。しかしそれでも、それより前には進めない。
「……」
少女が俺のほうを見上げて唇を舐めたかと思うと、その小さな影が膨れ上がって形を変える。二対四本もの、巨大な骨の腕。ガラガラと音を立てて広がりのたうつ、巨大な翼。骨の尻尾。竜のそれと似た頭骨に、真っ赤な眼光がぎらりと光る。その瞬間、俺はその場を飛び退いた。
「くそ……ッ、リリア!子供たちを頼む!」
「は、はいっ!」
揺らぐ足場を蹴ってリリアが羽ばたき、膨れ上がった影が子猫たちを掴んで灰色の空へと飛び上がる。子猫たちの悲鳴が遠ざかると同時に、再び足場が大きく揺れる。どうやら、見送ってやる余裕は無さそうだ。俺はバラムスの棘を掴み、膝をつく。
「バラムス!大丈夫か!?」
「大丈夫なもんかよォッ!!こいつ、こ、んの野郎ォォおお――――ぁ、が、ぉおッ!!」
嗚咽。弧を描いて突き刺さる骨の尾鞭。バラムスの大顎を掴み、こじ開ける白骨の巨腕。ビシリ、ベキリと鋭い音を立て、巨大な甲殻に亀裂が走る。大きく裂けたその隙間から鮮やかな体液が飛び散り、足場が傾く。その巨体を支える岩場が、崩れてゆく。少しずつ、しかし確実に、バラムスの巨体は大地の裂け目に押し込まれてゆく。このままでは、まずい。ここに居ては、巻き込まれる。
「ギャアァァァォオォォォッ!!!」
甲高い悲鳴が響き渡るその中で、俺は地面を見据える。下は岩肌。この高さなら、飛び降りても死にはしない。そうして身構えた瞬間、俺はハッとして振り返る。
「…………っ」
その身を括られたまま、大きな眼をうるませる魔女。置いていけば、バラムスと共に奈落へ真っ逆さま。だが。こいつは勇者。だが、しかし。俺は舌を打ち、その身を括り付ける棘を蹴り砕く。
「――――来いッッ!!」
その手を掴み、燃えるように熱いその体を抱いてバラムスの背から飛び降りる。一瞬の浮遊感と、すぐさま俺と魔女を受け止める硬い岩盤。岩を蹴飛ばして身を起こすと同時に、音を立てて崩れる岩山。大量の土砂と共に、谷底へ落ちてゆく巨蟲。響き渡る大地の悲鳴と、友の咆哮。
「伏せろッ」
「痛っ」
乾いた岩肌によく目立つ真紅の魔女を岩の陰に押しやり、息を潜めて『それ』を睨む。
「…………」
パキパキと音を立てて、小さな体に収まる巨大な骨格。やがてそいつは骨だけの翼を広げ、飛び去った。




