第72話
勝敗は、目に見えていた。
「……ぐすっ」
無様にも地に伏せ、すすり泣く紅の魔女。ものの見事な、撃沈であった。
エレオノールが術式を開いた時点で、彼女は本来の力を発揮できなかったはず。それでいて、あそこまで大きく育ったバラムスに生半可な魔法など通用しない。極めつけに、この村はヴィヴィアンの縄張りだ。もし、彼女がエレオノールの術式を踏んでもなおバラムスを打ち倒せるほどの実力者であったとしても、善良な村人を装ったヴィヴィアンが美味しいところを掻っ攫っていただろう。
「どうしたどうした!もう終わりか!?」
バラムスがその脚を踏み鳴らすと共に、地面が揺れる。めちゃくちゃになった畑の片付けをしていたヴィヴィアンがその触手を伸ばした。
「ジタバタするなって何度言えば分かるんですか。貴方は」
「よ、よせ!わかった。分かったってーの。悪かったよ」
「……」
もはやただの観客と化していた俺は、出番のなかった拳を握りしめる。
彼女からすれば、通りがかった村を襲う魔物を見つけ、勇ましく飛び込んだは良いもののまるで刃が立たず返り討ち。何故か調子も振るわずあっという間に叩き伏せられたとあっては、戦意喪失もやむなしか。しかしここまで一方的な散り様を見ると、少しばかり心苦しいな。
「ギルバートさま」
「あぁ」
途中から、というより飛び去ってすぐに戻ってきて観客に加わったリリアを一撫でしてやり、三人の魔王に覗き込まれる哀れな勇者のもとへと歩み寄る。
「おいエレオノール。なぁに手出してんだお前。こいつは俺を撃ったんだから、俺の相手だろうが。邪魔するんじゃねーよ。白けるだろうがよ」
「し、白けるって……あ、あたしはただ……」
「あァ!?」
「ひょぇあっ!?……な、ななんでもないれす……ごめんなさ……」
「そんなことより、これ。どうしますか?」
手慣れた様子で魔女を縛り上げ、ため息をつくヴィヴィアン。俺を含めた全員の視線が、哀れなそれに突き刺さる。
「っ……ひっく……」
涙と泥でべたべたになったあどけない顔。
どこか呆然としたその表情には、もはや感情の色もない。勇猛果敢に巨蟲に挑んだ勇者の姿はどこにもなく、触手によって宙吊りにされてもなお暴れる様子すらないそれは、ただ理不尽に涙を流す無力な子供そのものである。恐らくはそれなりに腕の立つ火炎魔術師だったろうに。全く、運のないやつだ。
放り出された杖はその形を失い、めらめらと燃え盛っていたその髪はいまや焦げ付いた炭のように黒く染まって煙を吹いている。この様子では、もう戦うことも出来ないだろう。
「どうするって、殺せばいいじゃねーか」
「ま、まあ、勇者だし……殺しちゃっても……うん……」
頭上から覗き込むバラムスが顎を鳴らし、エレオノールが頷く。ヴィヴィアンがため息混じりに魔女を地面に放り出した。
「火霊使いです。この場で殺すのは危険かもしれません」
ぽつりと吐き出されたその言葉に、顔を見合わせる。
火霊使い。その存在は、噂に聞いたことがある。
人間たちの間に広く普及している土水火風の魔術のうち、炎に類する魔術師の一種。炎の精霊イフリータと契約を交わし、燃え盛る炎の具現たるその力を直接その身に詰め込んだ魔術師の総称である。なるほど確かに。俺はリリアの肩を抱いてため息をつく。
「また、面倒なのが飛び込んできたもんだな」
火霊使いは、アレクサンダーのような天賦の才を持つ生まれながらの勇者ではない。
炎の精霊と契約してその力を身に宿し、その力をハーキュリーズ神に誇示することで勇者としての加護を手に入れた後天的な勇者だ。
炎の精霊イフリータは、遥か西のドラグ火山に住まう炎の魔神バベルの眷属。怒りと罰を司る魔神バベルはとにかく短期で粗暴な男神であり、事あるごとに癇癪を起こしては辺り一面に怒りの炎を撒き散らす苛烈な魔神であると聞く。その眷属たるイフリータが一体どのような契約を交わすのかは、接点のない俺たちにはまるで予想がつかない。
いまや燃え尽きたように項垂れるこの勇者が「戦いに敗れて命を奪われた時、辺りに炎を撒き散らす」というようなある種の『呪い』を抱えている可能性もあるのだ。
下手をすれば、殺したその瞬間に俺たち全員が炎に包まれる可能性がある。その可能性がある以上、この場で殺すのは危険かもしれないと。ヴィヴィアンはそう言ったのである。
「じゃあ、どうするんだよ」
頭上からため息混じりに溢れるバラムスの声に、何とも言えない静寂がその場を包み込む。そんな俺たちの様子に、バラムスの脚を伝って降りてきた子猫たちが不思議そうに声を上げた。
「にゃあ、やっつけたの?」
「こげくさいにゃあ」
「あーあー、降りてくるなよ。ガキども。あ、こらチョロチョロすんな!踏んづけちまうだろうが!大人しくしろって。おい!こら!」
「にゃあ~」
「にゃあ~」
「母さ~ん!これどこに置けばいいの?」
子猫をつまみ上げるバラムスと、逃げ惑う子猫。グラグラと揺らぐ地面。瓦礫を片付けながら声を上げるヴィヴィアンの子供たち。ヴィヴィアンがため息を付いて頭を抱える。ざわつきに呼応してか、燃え尽きていた勇者も再びすすり泣き始める。いよいよ収集が付かなくなってきた。
「…………どうすんだよ、これ……」




