第71話
思わず窓から身を乗り出し、それを視界に収めると同時にぎょっとする。
「……随分と、でかくなったな」
身を寄せ合う家屋を跨ぐ脚。ギチチと音を立てる何対もの大顎と、大きく反り返った長い触覚。ずらりと生え揃う棘。吐き散らす白い煙の中に光る、六つもの瞳。幾重にも重なり合った漆黒の甲殻が降り注ぐ光を反射し、ぬらりと光る。そこに居たのは、山と見紛うほどの巨蟲。バラムスであった。
「はァー…………」
その姿は、まさしく蟲の王と呼ぶに相応しい。溢れんばかりの魔力と、見る者全てを気圧すような荒々しい気配。やがてその巨大な眼がぐるりと蠢き、俺を視界に捉えてその口を開く。
「……うん?おお、ギルバート!ようやっと目を覚ましやがったな。随分な寝坊じゃねえか?ええ?」
その刺々しくも仰々しい姿とは裏腹に、その声の調子は気さくである。俺は肩をすくめた。
「あぁ。長い夢を見ていた気分だよ」
バラムスは相も変わらず立派な触覚を揺らしながらその脚を折り、ずずいと宿の窓を覗き込む。少し見ないうちに随分と厳つくなった友の顔に、俺の背後から伸びた鋭い触手がべちんと跳ねる。
「ギャアァっ!?目が!目が!」
「宿に触るなと、何度言えば分かるのですか。貴方は」
甲高い悲鳴と共にその巨体をよじり、後ずさるバラムス。その巨大な脚がヴィヴィアンの畑を蹴散らし、空き家をぐしゃりと踏み潰す。舌打ちと共に溢れ出た触手がたちまちその脚に絡み、甲殻の隙間を這い、その巨体を地面に縫い付けた。
「もう、動かないでください」
「ぐ、ぐおお……すまねえ……」
苛立たしげに触手をうねらせ、ため息を付いて畑の手入れに向かうヴィヴィアン。そそくさと退避するエレオノールを横目に、俺は窓枠を超えて外に出る。そうして村の広場に縛り付けられたバラムスに歩み寄ると、バラムスはその長い触覚を揺らした。
「不便そうだな。バラムス。そこまで育つのは久しぶりじゃないか?」
「あぁ。ガキどもをそれぞれの故郷に送ってやってるうちに、な。小せえままだと運んでやるのも面倒だからよ。まとめて運べるように脱皮しただけなんだがな」
「お前の甲殻は確か、脱皮すればするほど分厚く、頑丈になるんだったか。その調子で成長していけば、いよいよ殺されることも無くなりそうだな」
「いやあ、そうでもないぜ。でかくなればなるほど、目立っちまうからな。あぁいや、目立つのは悪いことじゃあねえんだが……人気者はつらいんだぜ。分かるだろ?ギルバート」
「いや、知らないが」
そうこうしているうちにヴィヴィアンの触手がバラムスの巨体を離れて引っ込み、バラムスは白い息を吐き散らして再び身を起こす。
「ところで、バラムス。お前がせっせと送り届けた子供たちは後何人残ってるんだ?今さっき、猫の子供を見たが」
「あぁ、そいつらで最後だぜ。茶色のトラ柄と、白黒のブチ、赤毛の無地だろ。あいつらは他のガキどもと違って故郷に帰りたくねえって言うから、後回しにしてたんだ」
その言葉に、俺は頬を掻く。この男、粗雑なように見えて面倒見は良い。恐らくは、子供たち全員のことをきちんと把握しているのだろう。
「帰りたくないって?確かに、そんなことを言ってたような気もするが」
「あぁ。無理もねえさ。そいつらの故郷はここからずっと北の、寒い地方にあるらしいんだ。あいつら猫の獣人は一族のしきたりだか、何だかで、子供のうちに国を出るらしくてな。そんでもってあちこち旅をするらしいんだが、寒い国に帰るよりかは暖かい国でずっとダラダラ過ごしたいって奴も多いんだとよ」
「旅を、ねえ」
そう言われてみれば確かに、あの国には猫の獣人、もといネ族の子供はあまり居なかったような。といっても、俺があの国で過ごしたのはほんの僅かな時間だけ。俺が気づかなかっただけで沢山居たのかもしれないが、そういった風習があるならそれも頷ける。
「だがまあ、簡単に掴まって牢屋にブチ込まれちまうようじゃ、旅はまだ早いな。そう思わないか?ギルバート」
「全くだ」
エレオノールに手を引かれ、リリアに背を押され、嫌々ながらも宿から出てきた三人の子猫。旅の荷物を持たされて不満げに鳴き声を上げるその様を横目に、バラムスが大顎を鳴らして笑う。
「よぉし、荷物の用意は済んだな。暴れるんじゃねーぞ」
バラムスが改めて身を起こしたかと思うと、その巨大な前肢で子猫たちをそっとつまみ上げ、宿の屋根を有に超えるその背へと登らせる。その高さに怖気づいた子猫たちが悲鳴を上げると同時に、村の広場に何者かが駆け込んできた。
「やあああぁぁぁッ!!!」
響き渡る少女の勇ましい声。俺を含めた全員がぎょっとして振り返ると同時に、虚空を貫く火球。火の粉の尾を引いて牙を剥くそれは、振り返ったバラムスの厳つい顔面に炸裂した。
「……ッ」
「子供たちを離しなさいッ!!この、化け物ぉっ!!」
そこに居たのは、真紅の服を身に纏う魔女。激しく燃え盛る紅蓮の髪を翻し、火柱から削り出したかのような杖を一振り、二振り。描き出された魔法陣が燃え上がる。きりりとしたその眼に怒りと正義の炎を燃やし、火の粉を撒き散らすその様に、俺は気圧されて後ずさる。
「ゆ、勇者です。ギルバートさま」
「だろうな。下がっていろ」
小さなコウモリとなって飛び去るリリアの姿を尻目に、俺は拳を握りしめる。すると、炎の魔女がキッと俺の方を見た。
「あんた、何してるの!?早く逃げなさいッ!!あたしが時間を稼ぐか、ら――――ッ!?」
再びバラムスのほうへと向いたその顔が、次の瞬間には苦痛に歪む。振り抜かれた尾部の棘が、その脇腹に食い込んで弾き飛ばす。燃え盛るその体が嗚咽と共に宙を舞い、ヴィヴィアンの畑に突っ込んだ。
「……」
揺らめき、のたうつ触手。
物陰から溢れ出す負の魔力。
煙の向こうに光る六つの眼。
俺を含めた四人の魔王の視線が、一人の勇者に突き刺さった。




