第53話
そこは、きらきらと光り輝く氷の庭園。
天を衝く氷山をそのまま飾り付けたかのような氷の城の膝下に、俺は居た。
「それにしても、変ねぇ」
俺の頭をその胸に抱き、氷の橋を渡る優男。どうやらガーランドというらしいその男はそうぽつりと呟くと、滑らかな布巾で俺の頭、もとい兜をごしごしと磨いて白い息を吐く。
「どうして鎧だけ帰ってきちゃったのかしらん……。首は、詰まってないわよねえ。うーん。これといって目立った傷はないし、血を吐いた跡もない……綺麗なままだわ。まるで、鎧が歩いて帰ってきたみたい。なんてネ」
その言葉に、ぎくりとしてしまう。
「ンフ。でも、そうね。鎧だけでも帰ってきてくれてよかったワ。帰らないオトコを待ち続けるほど、つらいことってないものね」
「……」
「ねえガストール。エリーってば、ずっとアンタのこと心配してたのよ。アタシの前では平気そうな顔してたけどネ。どれだけボロボロになって帰ってきても、すぐに治してあげられるようにって、色んな術式を用意してたんだから」
語りかけられるその言葉に、俺はぐっと口を噤む。
「(まずいことになってきたぞ……)」
この男は恐らく、俺が新たな器として選んだこの鎧の、元々の持ち主であった彼の知り合い、もとい仲間の一人。話を聞く限り、仲間は少なからずもう一人いる。俺がこの鎧に宿ったことには気づいておらず、友の遺品であろうこの兜に語りかけている。思い出を懐かしむような、優しい声で。
「……」
静寂。スンと鼻水を啜る音が、頭上から聞こえてくる。
「(どうする?どうすればいい?)」
俺は黙りこくったまま思考を巡らせ、右へ左へと視線を泳がせる。
ひとまず、声を上げるのはまずい。俺は、彼ではない。事情を説明したところで、ややこしくなるだけ。かといってこのまま黙っていては、俺はこのまま物言わぬ遺品として過ごす羽目になる。それはまずい。なにがまずいというと俺の心が耐えられない。胸が張り裂けてしまいそうだ。今の俺は生首状態ではあるが、それはそれとして。
「(落ち着いて、状況を整理しよう)」
まず、ここはどこだ。この男は一体何者だ。分からない。分からないが、思考を投げ捨てたらそこで終わりだ。見える範囲、聞こえる範囲から、出来る限り多くの情報を拾い上げるんだ。
大きな目印と成るようなものというと、あの氷の城くらいか。
雪と氷の壁に囲まれた、氷の城。あんなものを見た覚えはない。
だが、放り投げられたといっても、あくまでも俺は投げられただけ。流石に山をいくつも越えるということはないだろう。ないと信じたい。
つまりは、ク族の里からそう遠くはないはず。何か、何かないか。思い出せ。モニカやベルさんとの会話。この地で見たもの。こいつらが何者か分かれば、何か思いつくかもしれない。
「!」
ハッとする。雪原の、向こう。それだ。
この鎧を見つけたあの雪原。あの獣に襲われ、モニカと出会ったあの場所。あの雪原の向こうに、魔法使いが住んでいると、そんな話を聞いた気がする。そう、確かモニカが、そんなことを話していたはず。そうだ。確かに聞いたぞ。雪原の向こうの魔法使いに、会いに行くところであったと。
あの鎧が埋まっていた位置、モニカが目指そうとしていた方向、ここがその魔法使いの居城だとすれば、情報が噛み合う。辻褄が合う。
あの鎧の騎士たちはこの居城から、恐らくはあのク族の里を目指して出発し、あの雪原で力尽きた。そしてク族の獣人たちもまた、あの雪原を越えてこの居城へ向かおうとしていた。この二つの拠点は互いに手を伸ばしていたにも関わらず、いまだ繋がることが出来ずにいるのかもしれない。
「(……そうか)」
ここに居るのだ。彼らが助けを求めようとした人物。あの謎の病を治すことの出来る魔法使い。治癒を得意とする癒術士が、この城に居る。俺を胸に抱くこの優男、ガーランドが「エリー」と呼ぶ人物が、それだ。こいつの口ぶりからしても、恐らくそれは間違いない。
「(ということは、だ)」
俺が使者となって、この二つの拠点を繋ぐ架け橋となれば。
この城に住む魔法使いを、あの里に向かわせることが出来れば。
……俺は、あの里を救えるかもしれない。
「(……出来るのか……?そんな、ことが……)」
ようやく見えた光の道筋。しかしそこに辿り着くには、あまりに足が重い。障害物が多すぎる。膨れ上がる不安と脳裏に立ち込める暗雲に、差し込んだ光がやせ細ってゆく。
「(……いや)」
出来るかどうかではない。やらねば。俺が、やらねばならぬのだ。
「さ、て、とぉん。エリーは起きてるかしら」
ガーランドはそんな俺を胸に抱いたまま氷の門を開き、白銀に彩られた綺羅びやかな通路を歩いてゆく。やがて、その最奥の階段を軽やかに上がり、硬く閉ざされた美しい扉を開け放つ。
「ただいま。エリー」
ガーランドがひらりと身を翻し、声をかけた階段の上。そちらへと視線を向けた俺は、目を奪われた。
磨き抜かれた氷の階段に、さらりと流れて広がる純白の髪。
雪のようなという表現すら陳腐に思えるほどに、白く透き通る肌。薄氷を幾重にも重ねて織り上げたような美しいドレス。美しく彫り上げられた氷の玉座に腰掛けて頬杖を付き、細い脚を組んだ一人の少女が、静かにその眼を開く。
その姿を讃えるに相応しい言葉を、俺は知らない。それほどまでに、美しい娘。ふうと溢れたその吐息が、きらきらと瞬いた。
「――――ガストールが、帰ってきたワ」




