第34話
『ワシは、ディアボロスのやつが散らかした瓦礫を片付けてやらねばならぬでな。ワシの代わりに、封印が済んだことをワシの子らに伝えてやってほしいんじゃ。あやつらはここから南へ向かって、一番初めに見えてくる森に居る。ほれ、こいつを持っていけ』
「……」
リリアの羽ばたきだけが響く、暗闇の空。その背に身を横たえた俺はバラフム神の言葉を思い出しながら、受け取った金細工の首飾りをぼんやりと眺める。
一体何を頼まれるのかと思えば、単なる言伝とはな。それも、決して早急に伝えねばならぬという内容でもない。ヘル神の封印が無事に済んだ以上、不死者たちもその動きが鈍くなっているはず。この闇の中、不死者を狩っているであろうバラフム神の娘達……ラ=ミとその仲間たちも、既に察していてもおかしくはない。
わざわざ伝えてやらずとも、すぐに知れ渡ることだろうに。だがまあ、速く伝えるに越したことはない。余計な火種を生む前に、彼女たちの足を止めておきたいのだろう。
ともあれ、これでようやく一息つける。言伝なんてものはさっさと済ませて、休むとしよう。
「さて、と」
リリアの背に身を起こし、暗闇に目を凝らす。
薄暗闇の中で静かに眠る丘陵を越えると、やがて黒々とした森が見えてきた。
幸いにも、それほど大きな森ではない。リリアの背から身を乗り出して眼下に目をやると、身を寄せ合う木々の合間にちらりと火の明かりが顔を覗かせる。焚き火か、松明か。あるいは。いずれにせよ、何者かの気配はある。俺はバラフム神の首飾りを身に着け、リリアの背を撫でた。
「よし、降りるぞ」
いつもなら森の入口から入るのだが、今日ばかりはそれも億劫だ。森の上空でその身を傾けるリリアの背から飛び降り、丁度良い具合に顔を出した背の高い木に降り立つ。
「よっと」
細かい枝が全身を引っ掻く感触。互いに擦れて騒ぎ立てる木の葉の群れ。その中で視界に捉えた太い枝に手を伸ばすも、その枝は俺の体を支えきれずにべきりと折れる。あっと声を上げる間もなく、俺の体は細かい枝と木の葉の渦に飲み込まれた。
「っ」
枝とも幹とも分からぬそれに全身を殴りつけられ、やがて俺はごつごつとした木の根に叩きつけられる。何者かが驚いて声を上げた。
「貴様、何者だ!」
身を起こすと同時に、突きつけられる松明の明かりと剣の切っ先。
どうやら俺が落ちてきたその場所にちょうど居合わせたらしいそいつらの顔を見るや否や、ぎょっとする。そこに居たのは、二足歩行する獣。いや、獣のような人間。違う、人間のような獣。いわば獣人であった。
どこかふっくらとした丸みのある顔と、三角の耳。小さな鼻、細長い尻尾。こいつは確か、そう、猫と呼ばれる獣人の一種。しなやかな体に鋭い爪を持ち、高く跳び上がることを得意とする者たちだ。
「あー……驚かせてすまない。足を踏み外しちまってな」
「動くな!怪しいやつめ。そのまま手を上げろ。そう、ゆっくりとだ」
「あぁ、わかった。わかったよ。剣を下ろしてくれ」
促されるままに両手を上げ、敵意がないことを示す。同じ作りの毛皮鎧を身に纏い、柔らかな毛に覆われたその手に剣と松明を携えた獣人たち。恐らくは、北方のとても寒い地方にあるという獣人の国の兵士であろう。北方へはまだ行ったことがないのだが、まさか、北方の住民とこんなところで会えるとは。
だが、ぜひ仲良くしましょうという雰囲気ではないな。
「こいつが例の邪教徒か?」
「いや待て。服装が違う。奴らはこの闇夜よりも黒い布で全身を覆っていると聞く。こいつのそれは、どう見ても布ではないぞ」
「落ちてくる途中で脱げたのではないか?そもそも、何故こんな夜更けに木の上から落ちてくるのだ。やはり怪しいぞ。連れて行ったほうが良いのではないか」
「いや、しかし……」
俺を横目に顔を見合わせ、何やら話し込み始める獣人たち。
何故こんな所に獣人がいるのかと思ったが、どうやら邪教徒とやらを探しているらしい。邪神の眷属たる俺は、確かに邪教徒と呼ばれてもおかしくはないが、しかし魔族を探しているというわけでもなさそうだ。
邪教徒と呼ばれる何者かが、この辺りにいる。つまりは、そういうことであろう。
「(さて、どうしたものかな)」
じっと両手を上げたまま、周囲に目を向ける。リリアは、木の上で息を殺して様子を伺っているな。合図をすればすぐさま飛び込んできてくれるだろうが、無駄な火種は生みたくない。ちらりと木の上に目配せをし、微かに首を横に振る。リリアが頷いたのを確認すると同時に、獣人の一人が顔を寄せてきた。
「……む?その首飾り……どこかで」
鋭い爪の先でバラフム神の首飾りをくっと持ち上げ、その目を細める獣人。その横から覗き込んできたもう一人があっと声を上げた。
「そ、それは!バラフム神の首飾り」
「馬鹿な。どこでそれを」
途端に慌てて後ずさる獣人たち。その様を見た俺は、にいっと笑ってみせる。
「……まだ、分からんのか?」
ぼそりと呟いたその言葉に、獣人たちは狼狽えた様子で顔を歪める。こうしてみると、案外可愛らしいものだな。
「ま、まさかお前……いや、あなた様は…………」
「おい、まずいんじゃないか。俺たち、剣を向けちまったぞ」
「お、俺は、何もしてねえ。何もしてねえぞ」
ざわつき、顔を見合わせて互いの背を叩きながらじりじりと俺から離れてゆく獣人たち。バラフム神から預かったこれがまさか、こんな形で役に立つとは。俺は上げっぱなしの両手を下ろし、立ち上がる。それとほぼ同時に、獣人たちはハッとして周囲を警戒し始めた。
「まずい、何か来るぞ」
「この匂い……獣狩りだ。バラフム神の娘達だ!」
「迎えに来やがったんだ!に、逃げろ!森の外まで走れ!」
獣人たちはわっと声を上げ、一目散に逃げてゆく。散り散りに地を駆けてゆく彼らの姿は、すぐに見えなくなる。やがてしんと静まり返ったその場所にリリアが降りてくると同時に、木々の合間から見覚えのある黒い獣がのそりと顔を出す。
「……」
その背に腰掛ける少女、ラ=ミが、静かにその目を光らせた。




