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魔王のすゝめ  作者: ぷにこ
第三章 魔王と死神の丘
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第31話


「うん…………?」


 リリアを掴み上げようとした骨の指先が、ぴたりと止まる。新鮮な獲物の気配に、死神がくすりと笑う。巨大なドクロの眼孔にぎょろりと浮き出た目玉が俺を見下ろすのと同時に、俺の脳裏に渦巻く感情は一色に塗り潰された。


 恐怖。ただ恐ろしいという感情だけが、俺の意識を食い荒らす。しかし彼女(・・)から目を離すことは出来ず、その場から逃げることも出来ない。


「っ」


 無防備な俺の首筋が、骨の指に掴まれる。凍りついたように冷たく、ざらついたその指先が俺の体をぐいっと引っ張り、骨の山を押しのける感触と共に俺の体は引きずられてゆく。ただ、ずるずると。


 手を縛られているとはいえ、いつもなら身を捻ってどうにかその指を振り払おうとしただろう。だが、それは許されない。出来ないのではなく、抵抗は許されていない。そう、その気になればそれなりの抵抗が出来るはず。出来るはずなのに、俺の体はぴくりとも動かない。


 やがて俺は、彼女の目の前に吊り下げられる。ルナール神が身に纏う闇のような、底知れぬ漆黒の瞳が俺を見上げた。


「ふふ。こんばんは~」


 彼女――ヘル神はその胸に抱いたぬいぐるみの腕を動かし、こちらに手を降ってみせる。可愛らしく、愛嬌のあるその様と、楽しげなその表情とは裏腹に、俺の意識は恐怖と絶望に貪られる。


「……」


 どうしようもなくあらがいようのない、計り知れぬほど大きなその力の気配に、俺はただ震えていることしか出来ない。抵抗するどころか、自由であるはずの足を曲げることすら出来ない。俺は、無力なのだと。言いようのない絶望感が、俺の全てを砕いてゆく。


 自らの力に対する自信や、大きなものに立ち向かう勇気。そういった全てが、ひとつひとつ砕けてゆく。抵抗しなければというその意思さえも、少しづつ砕けて消えてゆく。やがて、死神はくすりと笑った。


「ねえ、怖い……?」


 囁くようなその声が、くすくすと笑うその声が、俺の脳裏に反響する。もはや、何の思考も必要ない。俺は無意識のうちに、口を開いていた。


「はい」


「そう。怖いの」


 俺の口から発せられたその言葉に、彼女は嬉しそうに笑ってぬいぐるみを抱きしめる。冷たい骨の指先が俺の頬を優しく擦り、深い闇のような瞳が細められる。


「そう。そうなの。とっても、とっても怖いのね……ふふ。ふふ」


 ちろりと唇を舐めるその様に、頬が引きつる。指先が震え、足が痺れる。彼女は、楽しんでいる。机に並べた菓子を手にとって微笑むかのように。その手のひらの上で、計り知れぬ恐怖に怯え、耐え難い痛みに喘ぐその様を、楽しんでいるのだ。


「……ふふ。でも大丈夫。すぐ、楽にしてあげるから……」


 虚空を彷徨う骨の片腕が大鎌の柄を掴み、音もなく翻したその巨大な刃を俺の首筋に添える。ありとあらゆる命を刈り取るそれを目の当たりにしてもなお、俺は身動き一つ取れない。それどころか、力が抜けてゆく。俺の肉体が、俺の意識が、死を受け入れようとする。俺の全てを、捧げてしまいそうになる。


「だから、それ(・・)、わたしにちょうだい……?」


 俺はただ、目を伏せる。その言葉に、身を委ねる。その瞬間、どこからか吹いた風と共に甘い香りがふわりと俺の意識を掠めた。



「――――だめだよ」



 その声に、はっとする。俺を掴み上げていた骨の腕が割れて砕け散り、俺は柔らかな布団の上に尻餅をつく。目を見開いたヘル神はすぐに頬を膨らませてぬいぐるみを抱きしめ、呆然とする俺の頭が背後から優しく抱きしめられる。


 俺の顔を覆うにはあまりに小さな手と、柔らかな腕の温もり。その甘い香りと優しい抱擁に、心が溶ける。俺はただ、深く息を吐いた。


「ヘルになんか、あげないもん」


 聞き覚えのある、甘い声。床を覆った布団の海に骨が転がったかと思うと、それは可愛らしい色の枕や毛布へとその形を変える。俺の頭がぎゅっと抱きしめられ、ヘル神が抱きしめたぬいぐるみに顎を載せる。その可愛らしい顔は、苛立ちに染まっていた。


「……あっちいってよ。じゃましないで」


「やだ。この子はわたしのだもん。絶対絶対、ぜぇ~ったいあげないもん」


 俺を挟んで交わる視線と、互いに押しのけ合う魔力。壁がその形を変え、床が波打ち、空間そのものが大きく歪む。その可愛らしさとは裏腹に、あまりに大きなその力のぶつかり合いに、俺は押し潰されそうになりながらも必死に歯を食いしばる。


 俺には、何も出来ない。歪む空間に翻弄される意識の中、自我を保つのが精一杯だ。立ち上がることはおろか、声をあげることすらも。許されていないのではない。出来ないのだ。

  

 どうしろと。俺に何をしろというのだ。


「!」


 やがて、歪む部屋の外から轟音と共にいくつもの悲鳴が重なり合う。何か硬いものを叩きつけ、殴りつけ、全てを壊すようなその音が、近づいてくる。俺を挟んで睨み合う両者もとうに形を変えた部屋の入り口を見やり、やがてピエールのものと思わしき悲鳴が響く。


「ピエールさま~!」

「ピエールさまー!」


 双子の声。迫る破壊音。ついに、部屋にまでその揺れが伝わってくる。


「お、お引き取りくださ~、あうんっ」

「どうか、お引き取りをー、ひゃあっ」


 押しのけられたであろうその声と共に、歪んだ部屋の扉が壁もろとも吹き飛ばされた。



「!」


 立ち込める煙の中、部屋になだれ込む瓦礫を踏みつけて砕くしなやかな脚。尾を引くドレスと、美しい黒髪。その合間に覗く真っ赤な片目がぎらりと光る。その視線に、小さな神々が息を呑んで震え上がる。


「…………」


 その拳が、ぎりりと握り締められた。

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