表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/65

ゲーム機片手に天下統一!Player3側の『時系列』



こちら側の『時系列』を簡単にまとめてみました。


それだけです^^;


天文元年(1532年)4月


現代より戦国時代に逆行転生。戦国時代の武将、平手政秀に転生する


転生特典を確認する



天文2年(1533年)10月


独断で斎藤家と同盟。東三河の大半を織田家が手中に入れる。


薬草園や学校等を作る



天文2年(1533年)11月


粗銅から金塊、銀塊、銅塊の三つを……



天文3年(1534年)6月


銅製の調理器具、じろ飴などを製作する。



天文3年(1534年)11月


三河松平家を織田家参加に入れる。


兵農分離や目安箱、灌漑整備に四公六民などの多数の政策を開始。



天文4年(1535年)2月


服部半三保長を配下に入れ、朝廷への金子の横領犯の首を落とす。



天文4年(1535年)4月


伊勢神宮式年遷宮と内裏修理料を、木材などと共に金銀三万貫【約三十億円】を、


織田家の名で献金する。



天文4年(1535年)6月


桑名港にて関家に鹿伏兎家、長野工藤家が織田家の臣従する。


東海道の鈴鹿関を整備した事で、鈴鹿大回廊と呼ばれる事になる。



天文4年(1535年)7月


伊勢北畠家と一戦交えることになる。



天文4年(1535年)8月


伊勢神宮への参拝。


伊勢志摩へ本格侵攻を開始。



天文4年(1535年)9月


尾張にて織田信友と斯波義統が兵を挙げ古渡城と名古屋城に侵攻開始。


平手政秀、大河内城に向けて進軍する。


『この戦を乗り切れば、帰路の際の夕餉に【カリィ~】を出す。』という伝聞が、


『この戦が終われば毎食夕餉を【カリィ~】にする』と言うおかしな伝聞になる。


桑名にて鍛冶師、村正を配下に迎える。



天文5年(1536年)1月


玄広恵探こと、今川良真が刺客という形で、尾張三河方面に逃走してくる。


スターリングエンジンやスクリュープロペラの知識を手に入れ板絵にして、


写しを書き木材で手彫りの見本型も職人たちに渡す。



天文5年(1536年)3月


平手政秀、謹慎の沙汰を喰らう。



天文5年(1536年)4月


謹慎中に、東美濃恵那郡にて盗賊退治をする。



天文5年(1536年)5月


織田信秀、松平清康、三河の統一まで漕ぎ着け、


遠江西半国も領地として手に入れる。


平手政秀、一時……山中で迷子になり、南信濃の天竜川中流域から川下りをする。



天文5年(1536年)6月


平手政秀、遠江二俣城にて大休止をとる。


井伊谷村にて、後の押しかけ女房となる「井伊直虎」こと「井伊祐」と邂逅する。


遠江西部を天領化計画を考える。



天文7年(1538年)12月


吉田城は豊橋城に改名、曳馬城も浜松城に改名


西遠江の内政に本格的に従事する。


遠江にて「遠江薬草園」を開設する。



天文9年【1540年】10月


尾張御方会と三河御方会から、下着作成依頼が来て抗議文を遠江御方会経由で出す。



天文10年【1541年】10月


『スターリングエンジン』や『スクリュープロペラ』、


『百分の一木彫り模型の金〇型戦艦』からの『四分の一サイズ〇剛型戦艦』を作らせ、検証実験等を行う。


伊勢湾での牡蠣貝と阿古屋貝の養殖


尾張分国法なる『織田仮名目録』を作る。


信長を学校に通わせるため策を練る。



天文11年【1542年】4月


信長に『京への献上品』の『螺鈿細工の地球儀』を強請られる。



天文11年【1542年】11月


武田家に進物を贈る。


武田晴信との会談。



天文12年(1543年) 2月


平手政秀、2度目の『人生の〇〇』に囚われ、


『井伊祐』と『山科葵』の二人を妻に迎える事になった。



天文12年(1543年) 4月


長島をどうやって落とすか、鉄砲を入手するか考える



天文12年(1543年) 6月


追加の薬草類の入手


石鹸制作


外に関しての資料をまとめて作って、公家達の危機感煽る



天文12年(1543年) 8月


種子島近海にて、南蛮船と接触。


鉄砲を手に入れると共に、船内の奴隷を開放。


船にいた南蛮人と唐人は証拠隠滅のために殺害。


南蛮船は、尾張まで曳航される。



天文12年(1543年) 10月


織田家主体で京の都の本格的再建。のように見せて平手家の財布から再建費用を出す。


政秀の妻になった井伊佑と山科葵に子ができる。



天文13年(1544年) 3月


井伊佑と山科葵、政秀との子が生まれる。


「硝子細工」が完成し生産の軌道に乗る。



天文13年(1544年)6月


総動員令により招集された兵力は10万にて長島を落とす。



天文13年(1544年) 7月


伊賀の内政に手を出すことになる。


信秀に、一家総出で京に赴任を命じられる。



天文14年(1545年) 10月


義父上と九条殿、花山院殿と即位礼、大嘗祭、新嘗祭、相嘗祭等に関しての打ち合わせを行う。


こっそりと日吉大社を廃墟にするが、なぜかバレている状態に。



天文14年(1545年) 11月


散逸焼失するであろう、書物や歴史書の保護と写本作成を行う。


公家官位と武家官位の2種を作り、官位と位階の明確化を行う。



天文15年(1546年) 2月


幕府から尾張で開発された最新式兵器を強請られる。


土堀『御土居堀』の建設開始。


政秀の愛馬である『鬼葦毛』が進化?し『火眼黒白磁』となる。



天文16年(1547年) 4月


ペニシリン制作を行う。


京の都の再建が進む中、寺領持ちが文句を言ってくる。


三好家の爆弾男こと、松永弾正久秀から、『薬草を売ってくれ』と書状が来るようになる。



天文17年(1548年) 4月


遠江の天竜川にて、今川家との戦が始まる。『天竜川の戦い』


松平三河守広忠、謀叛。父である、清康を岡崎城にて殺害する。


『お市の方』『松の方』『寧々』が産まれる。


政秀、左足の膝下を戦にて失う。


濃尾に腐教が迫ってくる。



天文17年(1548年) 9月


美濃にて内乱勃発。西美濃の斉藤家派、東美濃の土岐家派と別れ争う。


室町幕府十三代将軍と為るはずの、『足利義輝』が尾張に避難【逃亡】してくる。


三河松平家をどう安定させるかで悩む事になる。



天文18年(1549年)7月


戦国初の修学旅行が行われる。


茶の種類や入れ方をまとめた、『平手流・煎茶道』なる書を認める。


政秀、子宝に恵まれ嫁が一人増え、子が男一人に女二人産まれ、嫁が三人と息子三人に娘二人になる。



天文18年(1549年)9月


六角家と浅井家の間で小規模な戦が起こる。


朽木谷でも戦が発生。朽木家の勝利に終わる。



天文18年(1549年)10月


政秀、伊賀国を所領として与えられる。



天文19年(1550年)1月


山城国の山科にて、山科本願寺を再建。高田派が山科本願寺の宗主となる。



天文19年(1550年)3月


斎藤新九郎義龍、一色左京大夫義龍と名乗り、道三に反旗をあげる。


史実よりも早い、長良川の戦いが起きる。


鷺山城に立て篭もる。


特典がパワーアップする。


電磁投射砲を稲葉山に放って、崩城させる。


昼夜問わず、電磁投射砲、回転弾装炸薬式杭打機で、住民の恐怖心を煽る。



天文19年(1550年)4月


住民による一揆が発生する。


その後降伏勧告を出し、義龍を討つ。史実より11年早い死を迎える。


13代将軍の御内書が見つかる。




天文20年(1551年)1月


摂津・和泉国 堺 南宋寺にて宣教師と会談



最新話は、頑張って書いておりますので、


もうしばらくお待ちくださいませ。m(_ _)m


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ