小競り合い? やぱり〇〇〇は人気食!?
やっぱり戦国でも人気食になるんですね~
天文4年(1535年)9月某日
━━━━平手政秀 齢43━━━━
大河内城北東約三町・織田軍陣営
大河内城の北東約三町【約300m】の場所に陣を引き終わり、城からの攻勢に注意を払いながら拒馬柵と、深さは膝辺りまで無いが空堀を拒馬柵前方約3尺【約90cm】と陣容の外側になる部分に膝深さの物を掘った。
(これで多少は、時間が稼げるだろうが……向こうもこちらが合流している事ぐらいは、知っているはずだからな。)
翌日、大河内城から威力偵察と言う様な約千の兵が、こちらに攻め込んできた。
約五百ほどの兵を屍に変えることは出来たが……こちらも約百の兵を失う形になった。
「誰か死んでいった者の名はわかる者は居らんか?せめて名と遺髪だけでも国に返してやらねばの……」
兵達にわかる範囲で、名と遺髪を集めてもらった。
これで多少は無縁仏も減らせるじゃろうな。後は遺族にもしばらくは生活出来るだけの、金子を用意もせねばな。
ここで少し指揮を高めるとしておくか。
「よし、皆に伝えよ!『この戦を乗り切れば、帰路の際の夕餉に【カリィ~】を出す。』そう伝えよ!なんとしても乗り切り、本軍が来るで持ちこたえるぞ!」
そして、『この戦を乗り切れば、帰路の際の夕餉に【カリィ~】を出す。』が伝言ゲームのごとく走り、最終的には何故か「この戦が終われば毎食夕餉を【カリィ~】にする」と言うおかしな伝聞になってしまい、材料の関係もあってか戦の間は七日に一度夕餉に【カリィ~】を出す、という形になってしまった。
「どうしてあんな伝言ゲーム状態になったんだ……本気で……」
その裏で、戦の間でも【カリィ~】を食べたいと、その味に魅了された服部半三保長がこっそり動き伝聞した事で起きた事であった。
それから、四五日は睨み合いと小競り合いの繰り返しが続き……
決着が着いたのはそれから更に十日後の事だった。
その間の兵たちの指揮は【カリィ~】が食えると言う事で一様に高かった。
そして、霧島御所を攻めていた柴田権六勝家が、兵と共に此方の人に現れた。
「平手様、ご報告いたします。霧島御所にて北畠晴具の一族を捉えました。」
「うむ!よくやってくれた!!よく根切りにせず捉えてくれた。一応守護家の一族だからな、伊勢志摩を収める名分になる。権六よ、よくやってくれた。」
「はっ!ありがたき御言葉。」
さて、後は北畠晴具を捉えるだけだな。
自身以外には使用した事は無いが捉えしだい(検索・ステータス)で状態を調べてみるか……
次話では北畠晴具の心身状態が判明します。
あと、現在登場予定も含めた「創造」ベースでの人物のステータス作ってます。
あまり期待しないように
うーん、村正さんのスカウトまでかけるかな・・・




