第九話 VS 蛮勇族の悪魔ヴィニール
「リュウガ君……、リュウガ君」
そこは、ふかふかのベッドでも気の利いた部屋でもなかった。リュウガは、デバッグルームに入る前の地面に寝転んだままで彼女たちを見上げた。
「おお、リナ。無事だったのか……。それと……」
幼なじみのリナの横には、武器屋のフィオナの姿があった。
「よう、少年。少しは成長したようだな」
二人の小顔の美女が、リュウガをのぞき込む。状況がよく飲み込めず、上半身だけを起こして説明を求めた。
「私が、他のプレイヤーさんたちに、追いかけられてて……フィオナさんのお店に駆け込んで助けてもらったの。それで、多分ここに倒れてる人がいるからって言われて、ついて来ちゃったの。でも、それがリュウガ君だったなんて……二人は知り合い?」
「まあ、知り合いって言われればそうだけどな」リュウガは、そっけなく答えた。
リュウガは、リナとは幼なじみ以上の関係ではないため、それ以上の弁明をする必要がなかった。リナの方は、まだその話を続けたそうな感じに見えたが、話を切り替えた。
「あいつは……。ヴィニールってヤツは現れてないか? 彫刻みたいな筋肉をひけらかしている、蛮勇族の男だ。プレイヤー……、いや、もしかしたら世界全体を力で支配しようとしているヤツだ」
「ごめんなさい、リュウガ君。私、よく覚えてないかも。さっきも、草原で道を間違えちゃうぐらいだから……」
そうだ、こいつの方向音痴は今に始まったことではない。まだガキの頃、神社の縁日に行くときはよく手を引っ張ってやったもんだ。そうしないと、すぐに人波に飲まれちゃってたよな、こいつ。
「来たぞ、少年。お出ましだ」リュウガが思い出に浸るのを遮るように、フィオナが言う。
いつの間にか自分の呼び方が、坊やから少年に変わっていた。何となく、その意図は分かる気がした。あの部屋を教えてくれたのは他でもない、彼女だから。
そして、今は……この下の部屋は完全に閉鎖された、ということか。リュウガは地面の出触りを確かめながら、そう理解した。
フィオナがあごで指し示した先には、ヴィニールが仁王立ちしていた。その背後には、野に落ちたと見られるプレイヤーを多数引き連れている。その者たちは皆、死んだ魚の目をしていた。
ステータスウィンドウを誇示するように見せるヴィニール。己の全身を広げてみせ、悠然と歩く様は正に支配者気取りだ。波打つ髪は、品がないほどその肉体に絡みつき、しなだれかかる女の肌を濡らしていた。濡れているのは――プレイヤーの返り血のせいか。
ヴィニールは、勝者の権利とばかりに声を町中に響かせる。
「ほう、こんなひとけのない裏通りに縮こまっていたとはな。んっ? 何だその目は? リュウガ、お前みたいな雑魚はすっこんでろよ」
ヴィニールの前に立ちふさがるリュウガに向けて言う。リュウガは言葉を返さない。
「お? ちょうどいい。そこに武器屋の女がいるじゃないか。これから買い占めにいこうとしていた。何ていう偶然だ。ふー、こいつは面白い。なあ、お前ら、面白いだろ? それなら笑え、ほら笑え!」
引き連れているプレイヤーに、冷笑を強要する。引きつりながらも、手下と化したプレイヤーは、それに従う。ハハハッ、ハハハッとかすれた笑い声が起きる。
「何がおかしいのか、分かってんのか、お前ら!」ヴィニールが声を荒らげると、数十人の手下の笑いがピタリとやんだ。
ヴィニールの急変ぶりに、へつらい歩いていた暴漢も困惑の表情を浮かべる。
「そこにいる連れの女二人を、英雄気取りの小僧の前で征服するから楽しいんだろうがっ! えっ、想像してみろ。お前らも楽しくてたまらないだろ。圧倒的な力で――巨象がアリを踏みつぶすように、支配するんだ。無力な男。力に屈服して落ちていく女。それが、連綿と続く争いの姿だ。御丁寧に、この世界ではそれを再現してくれてるんだよ。その楽しさが分かんねえのかっ!」
男の目には、この世の狂気が渦巻いていた。
「は、はい。そうっよね。ヴィニールさん。おかしくって、笑いがこみ上げちゃいますよね。俺なんかも、そのおこぼれに預かっちゃたり何かして……」
腰巾着の男が、素早くすり寄って言う。ウケを狙って選択したセムシ男のアバターが、やけに似合っている。どこの世界にでも存在する、長きものには巻かれろを体現している男だ。
「臭え息を近づけんじゃねえよ、お前」
ヴィニールはそう言うと、店売りでない長尺の剣をセムシ男の顔に突き刺した。そのきらびやかに宝玉が飾り付けられた剣は、誰かが幸運にも見つけ出した隠しアイテムであり、きっと強奪したものだろう。
「えっ、えっ、そんな。まさか……」
まるで電波が届かなくなるような感じで、消え入るように声を出す。セムシ男はこの世から消失した。血しぶきが舞うエフェクトは、表示設定を抑えたとしても残像のように飛び込んできた。
純粋な悪。それを顕在化させようというのか。ヴィニールがゆっくりとした足取りで、リュウガとフィオナ、そしてその横で震えるリナに近付く。
ヴィニールの頭上のステータスを見ると、レベル5に上がっていた。だまし討ちしたプレイヤーの経験値が、ごっそりとヤツに入ったためか。この世界のトラップを利用したにせよ、プレイヤーキルの判定がなされたと見える。そこに関しては、ゲームの仕様を熟知した、ヤツの勝利といえた。
「おっと、ヴィニール! それ以上の進撃は止めてもらおうか。あいにくと今の俺は、貴様に道を譲る気はないもんでな。何だったら、バトルといこうじゃないか?」
「はははっ、レベル1の貴様がレベル5の俺様に戦いを挑むだと? 面白い、ちょうど、こいつらに俺の力を知らしめようと思ってたところだ。相手をしてやるぞ!」
ステータス表示は、設定を変更すると相手に隠すことができる。自慢好きのものや、相手を畏怖させる意図があれば表示させるのが正しい選択だろう。
だが、リュウガはもちろん自分のステータスを隠すようにしていた。直接相手に触れる距離までいけば、のぞき見することは可能なのだが……。
ヴィニールは、悪党がもつ特有のおごりからか、そのプロセスを怠った。
――バトルフィールド展開。
グン、と全身が何者かの手による力で締め付けられる。まるで全身にシートベルトが巻かれたような感じだ。これが、戦闘か――。心臓が民族太鼓のようなビートを刻み始める。
蛮勇族から悪魔に成り下がった男、ヴィニール。神の力を手にした少年、リュウガ。
戦いの幕が切って落とされた。